第1章 堂々と、麗しく

暦の卯月と心の疼き

1連目 入学と一目惚れと事故紹介

 新品の制服を着ると、不思議と背筋が伸びた。


 今日から俺、白倉文吾しらくらぶんごは高校生になる。とはいっても今日は入学式とちょっとしたオリエンテーションがあるだけらしいので、初日から気を引き締めすぎることもない。まあ寝なければ問題なし。


 これまた新品のスクバに筆記用具やプリントを入れるファイル、財布、そしてスマホをぶち込んでいく。ロック画面には『7:10』の文字。春休みに買ってもらった当初は家族との連絡以外に使う機会があるか不明だったが、青のカバーと保護フィルムもしっかり付けると――あら不思議、愛着が湧いてしまった。今ではカメラロールが近所で見かけた野良猫達で溢れている。


「よしっ……」


 鏡で身だしなみを確認。どうせ俺のことを見る奴なんていないのは分かっているが、気になってしまうのだからしょうがない。寝ぐせは無し、中着も華美じゃない――完璧だ。


「行ってきます」


「おー、行ってらー」


 ローテンションで送り出してくれたのは姉の白倉みやびである。朝に弱いこの女は動画配信者をやっており、ファンも約十万人以上とかなりの知名度を誇っている。

 既に働きに家を出た両親よりも稼いでいるのだから、世の中はホントに何があるか分からない。事実は小説よりも奇なりを地でいくスタイルである。ちなみに顔出しはしていない。


 自転車のかごにフランスパンの要領でスクバを入れ、いざ亀屋かめや高校へ。家からは大体三十分で着く。入学生の集合時間は八時五分なので、余程のことがなければ遅刻することはない。


 春休み中読書に耽りすぎて生活習慣が崩壊しかけたのだが、スマホの『アラーム機能』を知って救われた。

 特に四月に入ってからは毎朝六時にアラームを止めて天気を確認、晴れなら野良猫ウォッチング&行きつけのカフェで読書、雨なら家で読書という布陣。

 あ、ちゃんと高校から出された課題もなんとかやり切ったよ。


 これだけ使いこなしているのだから、俺は前にテレビで取り上げられていた『スマホ依存症』なんじゃないかと姉ちゃんに話したところ、「まだまだ」との返答をいただいた。

 ほぼ毎日ご飯エゴサお風呂エゴサと配信とエゴサだけの生活を四年もやっている方の言うことは違う。せめてもう少し寝てほしい。


 そうこうしているうちに高校に到着。時間は七時五十二分、セーフである。正面玄関にはデカデカと『ご入学おめでとうございます』の文字。

 改めて俺はこの高校に合格したんだな、とテンションが上がる。廊下には準備良くクラス表と対応する教室の場所が書かれた張り紙がされていた。さすが進学校、ぬかりないな。


 俺のクラスは――二組か。出席番号は十三番。う~ん、何とも言えん。

 早速教室に向かおう――とその前に、トイレに駆け込みスマホの電源をオフにする。先生の手によって明るみとなってしまったスマホは連行され、禁錮一週間の刑に処される。もっとも、スクバの中から取り出さなければバレることはない。

 CHAINEチェインのカフェの公式アカウントは通知オフの設定にしてるし、そもそも俺のスマホにはそれと親と姉ちゃん以外の通知は来ない。

 と思ったら二通もメッセージが来ていた。


『コンビニでツナ買ってきて~』『今すぐっ』


 あのアホ姉め。今すぐは無理に決まってるだろ。


『俺今日から学校だよ』


『あ、ホントだ~』『今日から私をミヤコパイセンと慕いたまえよっ』


 既読無視を決め込んだ、慈悲は無い。

 ちなみに『ミヤコ』というのは彼女の配信者名義である。


 教室へ入ると、そこは人間の群れだった。みんな来るの早いなと感心したが、時計の針は八時に対応する場所に位置していたのでそういうことでもなかった。どうやら姉ちゃんのメッセージ分、時間の感覚が狂ってしまったらしい。


 群れの雰囲気が何だか良い気がする。初対面の人達だっているだろうに、なんでそんなに打ち解けているんだろう? 

 黒板に貼られていた座席表を頼りに、自分の領地を探す……既に侵攻されていたようだ。しかも堂々と机に。

 本来の使い方をされない机と、本来の使い方なのに無視されている椅子。一体どこでそんな差ができたのか。


「あ、あの……そこ、お、僕の席……」


 おっと、初対面の人にいきなり『俺』なんて一人称は良くないか。


「あー、ごめんごめん」「ごめんねっ」


 敬語ムーブで喧嘩にならずに済んだ。危ねぇ~。俺は椅子を雇用し、尻を預ける。集合時間の八時五分になったのにまだ先生は来ていない。

 こんな時は本でも読むか――スクバを開き手を突っ込んで探す。だが見当たらない。

 ない……のか!? くそっ! どうして学校じゃろくに使いもしないスマホを持ってきて本を持ってこない!! くそっ!!


「やば! 先生来た!!」「やばいやばい!」


 大半のクラスメイト達は、人が近づいてきた鳩のように慌てふためき自身の席へ収まる。俺もスマホの所持を隠すために急いでチャックを閉め、スクバを席のフックに掛け事なきを得る。


「一年二組、廊下に並んでとりあえず体育館の前で待機しててください。待機中の私語はしないように、高校生としての自覚を持って臨んでくださいね」


「「「「「はい!」」」」」


 一年二組の四十人は全員一斉に返事をし、入学式に臨む。出席番号順に並ぶこともあり、ついさっきまで話に花を咲かせていたあの二人組も口を開くことはなかった。

 こういうメリハリがついている所を見ると、さすが進学校に合格した生徒だなと思い知らされる。俺にはまだそんな自覚ないや……


「新入生、入場」


 体育館の扉が開き、一組から入場する。脇では在校生が祝福の拍手を送り、新入生二百人は順に椅子へ腰を下ろす。式はつつがなく進行していき、一ヶ月前にも見た顔をした来賓の方々が、ありがたい話をしてくださった。


「新入生代表、挨拶。新入生代表、深堂麗奈みどうれいな


「はい!」


 この『新入生代表の挨拶』は、先月の入試で最も成績が良かった者がすることになっている。その代表が二組の領内から返事をして立ち上がったのだ。クラスメイトに秀才がいると、なんだか自分が勉強したって意味がないように思えてしまう。


「この度は、私達新入生のためにこのような式を開いていただき、誠にありがとうございます――」


 俺はその声の主を一目見て、

 統制された髪色の中で、一際艶やかな輝きを放つ長い黒。これまた黒の双眸と長く綺麗にカーブを描くものの、自然さが残る睫毛。

 

 そんな少女がセーラー服を着て、似合わないわけがない。


「――新入生代表、深堂麗奈」


 代表挨拶の内容は、彼女が『深堂麗奈という名前にピッタリな存在』ということ以外何も理解できなかった。


「新入生、退場」


 在校生から最後に拍手をいただき、体育館を後にする。惰性で叩いているのか、その音は小さく感じた。あるいは脳が『深堂麗奈』にリソースを割いている分、聴覚が鈍っているからかもしれない。


 これが所謂『好き』という感情と言えるかは分からない。

 たった二文字で言い表せないし、決して綺麗な感情ではない。一番近いのは『友達になりたい』……かな?

 彼女と言葉を交わしたい。カフェで読書もしたい。野良猫ウォッチングもしたい。


 でも俺なんかが、深堂さんと仲良くなるなんて無理な話だよなぁ。今まで友達がいなかったのに、いきなり女子とだなんて。ラブコメみたいに上手くいったりはしないよね――経験値が足りない。俺は自覚なしに十五年を棒に振っていたことを痛感した。


 一列に並んでいたこともあり、いつの間にか俺は教室に着いていた。

 後がつっかえないよう早歩きで自席へと向かう。今度は侵攻されていなかったのですんなり座ることができた。やがて全員が着席する。


「みんな、まずは入学おめでとう! 私がこのクラスの担任となりました、桜庭好絵さくらばよしえです! 一年間、みんなと楽しく過ごせたらいいなーと思ってます!! よろしくお願いします!! ……そしてっ!」


「同じく副担任となりました、不破賢仁ふわけんじと申します。桜庭先生とは違って頼りないかもしれませんが、精一杯みなさんをサポートしていけたらと思います。一年間よろしくお願いします」


「「「「「よろしくお願いします!」」」」」


 生徒達も呼応するように、これからの一年を二人に預ける。

 現時点では見た目でしか判断できないが、桜庭先生も不破先生も恐らく若い先生だろう。ってことは他の先生方よりも感性が生徒達と近いのかな? 


「じゃあプリントとか配る物がいっぱいあるから、順番にどんどん回してねー」


 両先生は段ボールから配布物を取り出し、各列先頭の生徒に配る。全体量が多いので、最初の方は回しづらいだろうなぁ。俺は前から六番目で後ろには一人しかいないので、結構楽な位置にいた。白倉姓に感謝である。


「全部配れたかな? おっ、時間がまだ全然余ってる……というわけで、みんなも自己紹介しよっか! ここ仲良くなるチャンスだよー!! じゃあ出席番号順で……どうぞっ」


 えっ、ジコショウカイ? そんな、公開処刑だ……。

 できるだけ穏便に、目立たないように……考えろ、十三番だからまだ時間はある。今のうちに、えっと、名前と趣味と――


「出席番号一番、相羽水樹あいばみずきです。トップバッターで少々緊張してます。趣味というよりは好きなことかな? 野球が好きで、野球部にも入るつもりです。一年間よろしくお願いします!」


 歓迎の拍手が鳴る。果たして俺の時は貰えるのだろうか。

 名前、趣味、よろしく、この三つで行くぞ! できるだけ長引かないように!!


「じゃあ次の子……どうぞっ」


 ついに俺の番が来た。椅子から身体を切り離し、気持ち背筋も伸ばして口を開く。


「し、白倉文吾、です。趣味は読書と、猫の写真を撮ることです……。これからよろしくお願いします……!」


 少々詰まってしまったが、慈悲の拍手は貰えた。

 再び椅子に掛けようとしたその時、


「ねーねー、白倉くんってお姉ちゃんとかいたりする?」


 桜庭先生ぃ!? なんですかそのキラーパスは?


「ま、まあ……いますけど……。どうかしましたか?」


 いらん注目が集まってきた。やめて! みんなそんな目で見ないで!!


「その子って、もしかして雅って名前だったりする?」


「はい……」


 肯定する声はほぼ掠れていた。


「やっぱり! 私ミヤコちゃんと同級生なんだよー!! あれー、ミヤコちゃんって今何してるんだっけ?」


「あまり詳しくは教えてくれないんですけど、家で仕事してますね……」


「あーそうだ! うんうん、ありがとー! 気を取り直して、じゃあ次の子……どうぞっ」


 やっぱり白倉姓に感謝するのは止めだ!


 災難だったね、と前の席の佐藤さとうさんは同情してくれたが、このチャンスをモノにできなかった陰キャにとって、最も心が抉られる一撃でもあった。

 その後はつつがなく進行していき――ついに深堂さんの番になった。


「深堂麗奈です。一年間よろしくお願いします」


 全員が拍手のタイミングを失い、教室内にいつぶりかの静寂が訪れる。


「えっと……それだけ?」


 先生もどうパスを上げればいいか分からない様子だった。

 対する深堂さんは『何か問題でも?』みたいなリアクションをとっているので、これ以上話が広がることはなさそうだ。


「じゃあ次の子……どうぞ……」


 全員の自己紹介が終わり、初日は解散となった。

 帰り次第読書を決め込もうと思っていたのだが、なんと明日にテストがあるなんて連絡が来たものだから、さすがに勉強しなければならない。

 これが進高校の洗礼か――


「ねぇねぇ、深堂さんってさ!」「相羽くんって守備位置どこなの?」


 深堂さんと相羽くんがクラスのみんなに囲まれている。アレが人気者ってやつなのか。嫌でも聞こえてくる音量で紡がれる会話の中には、ご飯に行こうだとか、今からカラオケに行こうだとか、所謂『遊び』的な内容もあった。

 待って、みんな明日テストなのに、なんでそんなに余裕そうなの? あの時桜庭先生の声が聞こえない空間にでもいたのかな?

 ちょっと羨ましい気もするが、俺はこの高校に入れたこと自体が奇跡くらいのバカなので、遊びにかまけてはいられない。


 五歳の時に本の魅力に取りつかれて以来、俺はほぼ読書しかしてこなかった。面白いから、落ち着くから、教養になる……。

 何かと理由をつけて、それ以外のことをシャットアウトしてきたのだ。こういうとこなんだろうなぁ。

 勉強ができなければ運動もダメダメ。友達なんてできるわけなかった。心を許せるのは読書スポットとして活用していて行きつけになってしまったカフェと、猫のみ。


 初日から悪目立ちしてしまったので、成績だけでも普通の順位を取っておかないと本格的に居場所が無くなってしまう――

 かといってここで一人だけ帰るのも、でも誘われてないしなぁ……。

 俺は一体どうすればいいんだ……?

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