第45話 決意
アリシアの長くて綺麗な金色の髪。触れると天使の羽のように軽く、サラサラで。窓から差し込む光を浴びてキラキラと輝いている。
そんな髪を前にハサミを手にしたわたしは、今にも心臓が口から飛び出そうなほどに緊張していた。
「ほ、ホントにいいの、アリシア?」
「ええ、肩のあたりでバッサリいっちゃっていいわよ」
「バッサリって……」
普段のポニーテールをほどいたアリシアの髪は腰の辺りまである。それを肩のあたりで切るなんて結構な思い切りだ。それをあまりにも軽く言うものだから、ハサミを渡されたわたしの方が緊張してしまう。
「ね、ねぇアリシア。本当にわたしが切らなきゃダメ……? クレアさんならわたしやナルカちゃんの髪を切り慣れてるし綺麗に整えてくれると思うよ?」
「駄目よ、それじゃ意味がないもの。あたしは、ミナリーに切ってもらいたいの」
アリシアはキッパリとそう言い切る。部屋の中にはわたしとアリシアの二人きり。それはアリシアの希望だった。わたしに頼みたいことがあるから二人にさせてほしい、と他のみんなにお願いしたのだ。
いったい何を頼まれるんだろうと首をひねっていた矢先に渡されたのがハサミで、わたしはアリシアから髪を切ってほしいと頼まれてしまった。
「……気分転換というか、ケジメをつけたいのよ」
と、アリシアは言った。
「あたしはこれまで、ずっと姉さまに置いて行かれないために飛んできた。姉さまに勝つために飛んできた。姉さまを追いかけて、姉さまの背中だけを見て飛んできた。……それはもう、終わりにする。これはそのケジメ。髪を伸ばしていたのも、元々は姉さまの真似っこだったから、丁度いい機会だと思うのよね」
「いい機会って、姉離れの?」
「そ。姉さまが目標なことに変わりはないわ。けど、姉さまだけを見て飛ぶことはもう辞めるの。空はもっと広いんだって、あなたが教えてくれたから」
そういって、アリシアは柔和な笑みを浮かべる。キリクスに来る前、新入生歓迎レースで負けて凹んでいたアリシアはもうどこにも居ない。何なら、今のアリシアは入学試験の日に出会ったアリシアとも少し違う。雰囲気が、ずっと柔らかくなった。
「そういうわけだから、お願いね、ミナリー」
「うん、わかったよ。その代わり、失敗しても許してね?」
「その時はあたしもミナリーの髪を切ってあげるわ、バリカンで」
「それ切るって言わないよ⁉」
冗談よ、と言わないあたりアリシアの本気具合がうかがえる。
他人の髪なんて、クレアさんのお手伝いでナルカちゃんの髪を少し切ったくらいだ。手先の器用さには自信があるけど、さすがにちょっと指先が震える。
「可愛くお願いね、ミナリー?」
「ここでプレッシャーを上乗せしてくるあたりアリシアって性格悪いよね……」
冗談よ、と今度は苦笑しながらアリシアは言う。つまり、さっきのバリカンは冗談ではないと。
こうなったら腹をくくるしかない。どうせなら飛び切り可愛く仕上げてあげよう。
わたしは自分に美容師の才能があることを祈りながら、アリシアの髪にゆっくりとハサミの刃を入れていった。
※
「ミナねぇ、となりのひとだれ⁉」
アリシアを見て開口一番、ナルカちゃんが目を丸くして言った。
「おいこら。あたしよ、あたし。アリシアよ」
「ありしゃー⁉ あたまきったの⁉」
「頭じゃなくて髪を切ったのよ。どうかしら、ナルカ。似合ってるかしら?」
「うん‼ ありしゃーかわいい!」
駆け寄ってきたナルカちゃんを、アリシアは少し頬を赤らめながら抱き上げた。小さな手がアリシアの髪に触れる。肩のあたりで切りそろえた髪型は、アリシアにとってもよく似合っていた。
個人的なこだわりポイントとしては、もみあげの髪が後ろより少し長いところだ。これで元々小顔なアリシアをさらに小顔に見せている。他にも色々とこだわった部分があって、特に前髪には一時間近くの時間を要した。
何はともあれ、奇跡的に美容師の才能に目覚めたわたしは、見事アリシアの髪を可愛くカットすることに成功したのである。坊主にならなくてよかったぁ、わたしが。
「印象が変わったわねぇ、アリシアちゃん。何だか明るくなったように見えるわ」
「前髪にはかなりこだわったからね」
「そうかもしれないけど、そうではなくてね?」
クレアさんは何か言いたそうな顔でこっちを見て、何かを諦めたのか溜息を吐いた。ミナリーは昔からそういうところが……と、ぶつぶつ呟いている。
どうしたんだろう……?
「ミナリーさん、わたしの髪も切ってほしいです」
アリシアの散髪の出来栄えを見てか、アンナちゃんまでそんなことを言ってきた。
シルクのように滑らかで宝石のようにキラキラ輝く銀色の髪が揺れている。
この神秘的な何かを感じさせる髪に刃を入れることを想像しただけで眩暈が起きそうだった。アリシアの髪でも相当躊躇したのに、アンナちゃんの髪を切るとなったら心臓が今度こそ口から飛び出る。
「ま、また今度ね……」
と、曖昧に誤魔化すことしかできなかった。
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