第44話 二人なら
「やっぱり負けず嫌いだなぁ」
遠ざかっていくアリシアの背中を見ながら、わたしはそう呟かずには居られなかった。
やっぱり、アリシアは凄い。わたしのように魔力が見えないはずなのに、正確に魔力の流れに乗っている。レースが始まった当初はただがむしゃらに飛んでいたのが、今は嘘みたいに冷静で落ち着いた飛び方だ。
しかも、それでいて速い。さっきまでよりも、明らかに。
今の一瞬で何か掴んだのかな……?
なんにせよ、このままじゃアリシアに負けてしまう。わたしは再び魔力の流れに乗ってアリシアの背中に追いすがった。
生半可な加速じゃアリシアには追いつけない。もっと、魔力を箒に流し込んで加速を促す。
けれど、箒は思うような加速をしてくれなかった。
あ、れ……?
魔力切れというわけじゃない。まだ十分に飛べるはず。それなのに、箒が速く飛んでくれない。
首を傾げながら飛び続けて、結局わたしはアリシアが先にばてて失速するまで彼女に追いつくことができなかった。
どれだけ飛び続けただろう。わたしたちはどこかの山中の原っぱに着地して、そのまま大の字に倒れこんでいた。お互い、魔力切れ寸前で疲労困憊だ。乱れた呼吸を整えるのに三分はかかったし、せっかくお風呂に入ったにもかかわらず全身汗まみれだった。
「どんなもんよ、ミナリー。あたしに勝とうなんて、百年早いわ」
「最後の方、へばってふらふらだったくせにー」
「そ、そこはノーカンよ、ノーカン! とにかくあたしの勝ちだから! いいわね⁉」
「はいはい。わたしの負けです。参りましたぁー」
わたしが降参の意を示すと、アリシアは「よっしゃ」と胸の前で両こぶしを握り締める。
本当に負けず嫌いだなぁ、アリシアは。そういうところも好きなんだけど。
夜風が上気した頬にあたって気持ちいい。ほどよい疲労感に包まれて、なんだかすごく充実している。
「ねえ、アリシア」
「なによ」
「楽しかった?」
寝ころんだまま、アリシアの方を見て訊ねる。アリシアもこっちを見ていて、視線が交差した。アリシアはしばらく考え込むように黙り込んで、
「うん。すごく楽しかった。レースでこんな気持ちになったのは初めてよ」
と、破顔した。
「今すっごく心が満たされてる感じがするわ。勝てたことはもちろん嬉しいけど、それ以上に充実したレースだった。……ありがと、ミナリー。あんたがレースを持ち掛けてこなかったら、こんな気持ちにはなれなかった」
「そう言ってくれると、わたしも勇気を出した甲斐があったかな。アリシアにレースしようって誘うの、けっこう緊張したんだよ?」
「え、あんたって緊張するの?」
「どういう意味かな?」
アリシアはわたしのことをなんだと思っているんだろう。
「冗談よ。でも、どうしていきなりレースだったの? その……あたしのこと、元気づけようとしてくれたっていうのは、なんとなくわかるけど」
「アリシアに、飛ぶことが楽しいって思って欲しかったから。……わたしね、アリシアがもう飛ばなくなっちゃうんじゃないかって不安だったんだ」
ずっと胸の内に抱えていた感情を、ゆっくりと吐き出す。
アリシアが凹んでいる間、わたしはアリシアの傍に居て面倒を見てあげながらずっと不安だった。彼女がもう飛ばなくなっちゃうんじゃないか。飛ぶことを嫌いになっちゃうんじゃないかって。
「わたしは、飛ぶことが好き。子供の頃から、ずっと空が飛びたくて。シフア先生に箒をもらって、やっと飛べるようになって。好きで好きで、大好きで。……だから、アリシアが飛ぶことを嫌いになっちゃったらどうしようって。親友で、居られなくなるかもって」
自分が何より好きなことを、親友が嫌いになってしまう。考えるだけでぞっとする。もしそうなった時、今まで通りの関係を続けられるほどわたしは器用じゃない。
だから、すごく怖かった。
「ミナリー……」
「ごめん、ごめんね、アリシア」
感情が、気を付けていたはずなのに溢れ出す。クレアさんにも見せられなかったわたしの抱えていた不安が一気に押し寄せてきて、わたしは思わず袖で目元を覆った。
「わたし、アリシアが好き。でも、空を飛ぶことも好き。どっちも、大好きだから、どうすればいいかわかんなくて」
わからなくて、自分の気持ちから目を背けていた。アリシアと、本当に向き合うことを躊躇っていた。
「だから、レースをすれば。アリシアが飛ぶことを好きになってくれるかもって。そしたらわたしは、アリシアも、飛ぶことも、ずっと好きで居られるかもって!」
勇気をだしてレースに誘った。アリシアが頑張って自分と向き合ったように、わたしも自分と向き合わなきゃダメだと、そう思って。
「……ごめん、アリシア。わがままに付き合わせて」
「…………ばぁーか」
アリシアはわたしの手を取ると、指の間に指を絡めてぎゅっと握りしめた。
「謝るのは、あたしの方よ。ごめんなさい、ミナリー。あたし、あなたに甘えてたわ。あなたが不安がってるなんて気づきもしないで、優しくしてくれるあなたにずっと甘えてた」
「そんな、こと……」
「そんなことあるわよ。あたしもう、ミナリーが居ないと生きていける気がしないもの」
「それはもうちょっと自立した方がいいよ?」
アリシアの将来が不安になった。
「とにかく、あたしにはミナリーが必要なのよ。さっきだって、あんたと一緒だったからあたしはあれだけ速く飛べたわ。ミナリーが居てくれたら、あたしはどこまでも速く、どこまでも遠くへ飛べる気がする。それに気づかせてくれたのはあなたよ、ミナリー」
「……アリシアは、飛ぶことが嫌いにならない?」
「ミナリーが傍に居てくれる限りはあり得ないわね」
「じゃあ、ずっと傍に居る」
アリシアと繋いだ手に力を込めると、同じくらいアリシアがギュッと握ってくれた。
目元に置いていた腕をどけてアリシアを見ると、アリシアの顔が赤い。きっと、わたしも同じくらい赤くなっているだろう。
心の中にあった不安や恐怖が薄れて、温かい気持ちがアリシアと繋いだ手から溢れでてくる。それはわたしの心を満たしていった。
「ねえ、ミナリー」
「なに?」
「今度の来訪祭でウィザード・レースが開催されるのは知ってるかしら」
「ううん、初耳。出場するの?」
「昨日までは迷ってたわ。きっと姉さまも出場してくるだろうから」
「じゃあ、今は迷ってない?」
「ええ、決めたわ。あたしは姉さまにリベンジする」
アリシアはそう決心を口にすると、わたしの方を見て言う。
「だからミナリー、あなたにはあたしのリベンジを傍で見守ってほしい。あなたが見ていてくれたら、あたしは何も怖くない。姉さまとも、ちゃんと向き合える気がするの」
「……うん、わかった。わたしが誰よりも近くで、アリシアのことを応援するよ」
「ありがとう、ミナリー!」
アリシアは嬉しそうに笑いながら、体を起き上がらせる。
「そろそろ戻りましょ。あんまり遅くなると、みんな心配するわ」
「そうだね、戻ろっか」
「ところでミナリー」
「ん?」
「ここ、どこ……?」
「さぁ……」
ただただ月に向かって飛び続けたわたしたちは、すっかり迷子になっていた。
その後ふらふらになりながらキリクスの町に戻れたのは、太陽が東の空に顔を覗かせた頃のこと。出迎えたアンナちゃんに「お二人は馬鹿なのですか?」と真顔で尋ねられ、クレアさんからは「若いっていいわねぇ……」とどこか遠い目で羨ましがられた。
それから二人でお風呂に入りなおして、お昼過ぎまでぐっすりと眠った。
起きてお店の手伝いをするまで、アリシアとはずっと手を握りっぱなしだった。
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