第43話 アリシア VS ミナリー

 ミナリーの背中が見る見るうちに遠ざかっていく。


「待っ――」


 あたしはその背に向かって伸ばしかけた手を、引っ込めてハンドルを強く握りしめた。


 しっかりしろ、アリシア・バルキュリエ‼


 ミナリーはまるで空を滑るように加速していく。それはまるで、レースの時の姉さまと同じ。風の魔術を使っているわけでも、魔力を振り絞って加速しているわけでもない。


 何かが必ずあるはずよ!


 姉さまは天才だ。子供の頃から誰よりも速くて、負けた所を一度だってあたしは見たことがないくらい。……だから、姉さまの飛行に一度も疑問なんて抱かなかった。追いつけないのは姉さまとの、生まれつきの才能の差だと思い込んでいた。


 でも、そうじゃないのだとしたら……?


 姉さまにしかできないはずのことが、ミナリーにもできた。それは、ミナリーが天才だから? あたしよりも才能に恵まれているから?


 ……違う。


 ミナリーは確かに才能がある。入学試験レースで、最下位から合格圏に滑り込んだ実力は本物で。今こうしてレースをしてみて、彼女の才能には驚かされた。あたしと同等か、たぶんそれ以上。


 だけど、姉さまほどの天才だとは思わない。


 つまりは、ミナリーに出来てあたしに出来ないわけがない!


 思い出せ! ミナリーは何をした? 彼女は加速の直前に、どんな動きを見せた?


 目立ったことは何もしていない。魔術だって、使っているようには見えなかった。


 ただ、高度を少し下げただけ。


「たった、それだけ……?」


 あたしはミナリーと同じ高度まで下りて、彼女のお尻につくようにその後を追った。半信半疑で、まったく同じコースを辿る。


「あっ……!」


 箒が、見る見るうちに加速していく。魔術を使っているわけでも、魔力をいっそう箒に流し込んだわけでもないのに。まるで、見えない何かの流れに乗って進んでいるように。


 風向きとは違う、目に見えない何か。それが、姉さまとミナリーにはわかるんだ。


「もしかして、魔力……?」


 姉さまがレース中に言っていた言葉を思い出す。


『空気の流れを読みなさい。魔力を肌で感じるのです。レースは闇雲にスピードを出せば勝てるわけではないと、昔から何度も言ってきたではありませんか』


 ……そうだ、姉さまはずっとこの魔力の流れをレースで利用してきたんだ。


 姉さまはミナリーのように、魔力が見えるってわけじゃない。五感を研ぎ澄ませ、精神を集中させて、空気の流れを読み解き、その中から魔力の流れを探り当てていた。


 やっぱり、姉さまは天才だ。こんなの、簡単に真似できる技じゃない。


 あたしは、このままミナリーの後ろで飛び続けることしかできない。


 本当に……?


 だって、あたしには魔力が見えないもの。魔力を感じ取ることだって。


 本当に、魔力を感じ取れない……?


 姉さまだから、天才だからできることだ。あたしはただ、姉さまの後を追うだけの凡才。


 だから、どうすることもできない……?


 できるわけがない。あたしには、才能なんて――


「アリシア!」


「……っ」


 前を行くミナリーが、振り返ってあたしの名前を呼ぶ。ハッとして顔を上げると、彼女はにししと笑って訊ねてくる。


「もしかして、もうへばっちゃった?」


「そ、そんなわけ……」


 ない、と言い切れなかった。


 魔力は十分残ってる。だけど、気持ちが途切れかかっていた。


 ミナリーには追いつけない。そんな諦めがあたしの心を満たしつつあって、


「じゃあ、わたしの勝ちでいいよね?」


「――ッ! いいわけあるかっ‼」


 ミナリーの言葉にあたしは反射的にそう叫んでいた。


 心の中を満たそうとしていた諦めが吹き飛ぶ。奥底から湧き上がってくるのは、負けたくないという強い想いだ。


 負けたくない。ミナリーに、負けたくない!


 ミナリーには才能がある。ただそれだけのことに、ひっくり返されてたまるか。あたしは子供の頃からずっと、ずっとずっとずっと! 姉さまを追いかけて飛び続けてきたんだ。努力を重ねてきたんだ‼


 負けられない。負けるはずがない!


 感じろ。目に見える全て、耳に聞こえる全て、肌に触れる全て! 感覚を研ぎ澄ませて、空気を読み解け! あたしにも、絶対に出来る‼


 だって、誰よりも空を飛んできたのはあたしなんだから‼ あたしはもうとっくに、知っているはずなんだから‼


「…………まだ」


 まだだ。視界を広げろ、前を向け。気持ちを空回りさせるな。煮えたぎるような想いを抱きながら、頭は冷静で居続けろ。タイミングを見計らえ。


 飛び出したくなる気持ちを抑え込んで、その時を待つ。


 そして、


「――今っ!」


 あたしはミナリーの後ろから外れて高度を上げた。彼女の背中が遠くなる。魔力の流れから外れたことで、あたしが失速したんだ。


 それでいい。だって、


「うわっ⁉」


 風の流れが、変わるもの。


 ミナリーは突如として吹いた強風に揺られ、箒のバランスをわずかに崩した。その隙に、一気に加速して彼女を抜き去る。直後、箒がさらなる加速を見せた。魔力の流れに乗ったのだ。


 あたしにもかろうじて魔力の流れが感じられる。どこまでも広がる大空に漂う一本のクモの糸を掴むような難しさだけど、あたしの積み重ねてきた全てが支えてくれている。


 負けない。ミナリーにも、姉さまにも!


「先に行くわね、ミナリー!」


 箒に更に魔力を流し込み、風の魔術も併用して、ミナリーとの距離を一気に広げにかかる。この勝負、あたしの勝ちよ!

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