第37話 明日からの秋休暇

 あらかた夕食の準備を終えて、わたしたちはアンナちゃんの帰りを待っていた。ソファに座って、王都で購入した本のページをめくる。


「ミナリー、何を読んでるの?」


 わたしの膝を枕にしてソファに寝そべるアリシアが訊ねてきた。


「伝記だよ。屠龍王ドラングニルの」


 わたしは一度本を閉じて、表紙をアリシアに見せた。表紙にはあの筋骨隆々で髭面の違和感しかない屠龍王が、ドラゴンの頭に剣を突き立てて拳を天に突き出しているイラストが載っている。


「ミナリーって読書するのね。ちょっと意外」


「どういう意味かな? ……まあ、普段はめったに読書なんてしないけどね。この本もロザリィから押し付けられたものだし」


 ちなみに購入したのもロザリィだ。彼女が子供のころから愛読している一冊なのだそうで、屠龍王の男らしい熱い生き様が描かれているとのこと。ぱらぱらとページをめくって軽く中身を見たけど、これたぶん九割くらい創作だと思う。


「ロザリィから……?」


「うん。今日、買い出しにロザリィがついてきてね。アリシアのことが心配だからって、食材も色々と買ってくれて。その時に屠龍王の話になったら、この本を本屋で買ってきてわたしに押し付けてきたの。おすすめだから読みなさい、って。あのロザリィがわたしにそこまでするって、この本のことよっぽど好きなのかなぁ…………って、アリシア?」


「むぅ~……」


 気づけばアリシアがぷっくりと頬を膨らませていた。


「ミナリーのバカ、鈍感、天然女ったらし」


「えぇぇ……」


 なんでわたし罵倒されてるの……?


 アリシアはむくりと起き上がると、


「えいっ」


 とわたしの脇腹に手を伸ばしてきた。


「ちょおっ⁉」


 むにゅっと脇腹の肉をつかまれて、わたしはびっくりして立ち上がる。


「な、なにするのアリシアっ!」


「ほほぅ……。ミナリー、少し食事の量減らしたほうがいいわよ?」


「うぐっ……⁉」


 実はこの学園に入ってから、ほんの少しだけ体重が増えた。本当の本当にほんの少しだけだけど。


「やったなぁ……!」


 触れられたくないラインを超えられて、わたしは仕返ししてやることにした。アリシアに飛びかかって、パジャマの下に手を滑り込ませる。


「ちょっ⁉ み、ミナリーっ! へ、変なとこ触るなぁ……っ!」


「アリシアから先に触ってきたもん! これは正当防衛だよ、せいとーぼーえー!」


「やっ……、んぅ……っ! こ、このぉっ!」


「ひゃぁわっ⁉」


 アリシアからの反撃も始まり、わたしたちはソファの上でくんずほぐれつ互いの体をまさぐりあった。気づけば着ていた服は乱れに乱れ、アリシアに至ってはパジャマが抜けかかって下着まで見えてしまっている。


 そんな状態で、彼女はわたしの下敷きになっていた。


「もう逃げられないよ、アリシア?」


「ミナリーのへんたい……」


 上気したように赤い頬。荒れた息遣いで、胸が小さく上下する。目じりには涙が浮かんでいて、うるんだ瞳がわたしを見つめている。うーん、エロい。流れでこうなってしまったけど、はてさてどうしたものか。


 こんなところ、誰かに見られでもしたら勘違いされそうだ。


「……何をしているのですか?」


 そう、こんな感じでベランダから帰宅したアンナちゃんに見られでもしたら。


 ………………。


「ミナリーさん、お腹が空きました」


「あ、うん! すぐに用意するね!」


 わたしはアリシアの上から飛びのいてキッチンに向かった。心臓がバクバク言っている。アンナちゃんに誤解されちゃったかな……? いや、誤解も何もないんだけど。


 スープを温めなおして、サラダやパンなどを準備して食卓に並べる。アンナちゃんは既に食卓についているけど、アリシアの姿が部屋の中になかった。


 よくよく見ると、二段ベッドの一階の布団がもぞもぞと動いている。


 もうお嫁に行けない……なんて言いながら布団の中にいるアリシアを、布団から引きはがして食卓に座らせた。


 三人揃ったところで「いただきます」をして食事を始める。学食の騒がしい雰囲気も嫌いじゃないけど、こうして三人で食卓を囲んで食べる静かな夕食もいいものだ。


 ……いや、さすがに静かすぎると少し気まずくなってくるけども。


 アンナちゃんは黙々と、アリシアもこっちをちらちら見てくるけど喋りだしはせず、食卓には何とも言えない沈黙が流れている。食器の音や咀嚼の音が、やけに耳朶に残った。


「そういえば、二人は明日からの長期休みはどうするの? 実家に帰る?」


 耐えかねて、わたしから話題を振る。アンナちゃんは食事の手を止めると、普段と変わらない表情で、


「練習です」


 とだけ短く答えた。


 アリシアはうつむいたまま、


「今は、帰りたくないわ」


 と、それだけ言ってパンをちびちび千切って口に運ぶ。


 なるほど、つまり帰省しようとしているのはわたしだけみたいだ。


 王立魔術学園に入学してそろそろ一か月。クレアさんたちとは手紙でやり取りしているけど、そろそろ帰って顔を見せないと心配させてしまう。ナルカちゃんにも会いたいし、この秋休暇はキリクスの町で過ごそうと思っていた。


 ……のだけど、どうしよう。二人を置いて帰省して大丈夫かな……。


 二人とも、お世辞にも生活力があるタイプじゃない。食事は寮の学食で何とかなるにしても、それ以外のことは不安だ。特にアリシアは今、メンタルがすごくアレなので、秋休暇から戻ってきたらどうなっているか、想像するだけで頭が痛くなる。


 それならもういっそのこと、わたしは二人にある提案をしてみる。


「ねえ、二人とも。もしよかったら一緒に来ない?」

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