第38話 里帰り
翌日のこと、わたしたち三人はお昼過ぎに寮からキリクスの町へと飛び立った。
「アリシア、大丈夫?」
隣を飛ぶアリシアに訊ねる。新入生歓迎レース以来、アリシアは箒にも触れていなかった。久々の飛行、箒に苦手意識が芽生えていないかと少し心配だ。
「……うん。平気よ、これくらい」
アリシアは少し強張った表情で答える。問題なく飛べてはいるけど、時折手の甲で目元を拭ったり、しきりに頭を振ったりと落ち着かない様子だ。
わたしの後ろで二人乗りでもよかったのだけど、それを言ったらアリシアに断られた。自分で飛びたいと言われたら、無理に勧めるわけにもいかない。
アリシアなりに、少しずつ前を向こうとしているんだと思う。
「ミナリーさんの故郷は、どういった場所ですか?」
アンナちゃんが魔力シールドを展開して飛びながら訊ねてくる。この移動時間も、アンナちゃんは練習に充てているようだ。
「キリクスっていう普通の小さな町だよ。どうって言われても、困るくらいには何もないかなぁ」
わかりやすい名産や名所があれば説明しやすいんだけど、学園や王都と比べると本当に何もない町だ。王都からは直線距離だとそう離れていないけど、山脈が横たわっているせいで陸路じゃほとんど王都と交流がない。
街道からも外れているから、そもそも他の町との往来も少ないし、もしかするとキリクスっていわゆる陸の孤島なのかな……。
「キリクスですか。あまり聞き馴染みのない地名です」
「あたしも、聞いたことないかも……」
北部のアラルカ出身のアンナちゃんはともかく、アリシアも知らないって相当知名度が低いのでは? そっかぁ、キリクスって田舎なんだなぁ……。
ちょっぴりどんよりとしてしまった気持ちを引きずりながら飛ぶこと二時間ちょっと。山脈を超えた先に、小さな町が見えてきた。見慣れた町並み、見慣れた時計塔。のどかな草原の中にポツンと在る、わたしの育ったキリクスの町だ。
「あれですか」
「うん。あそこがキリクスだよ。二人とも、ついてきて!」
ここからはわたしが先導して二人を案内する。そうして向かう先にあるのは、大きな煙突の赤い屋根の家。
わたしを孤児院から引き取って住み込みで働かせてくれた、レインさんとクレアさんが経営するパン屋さんだ。
お店の前に着陸して箒を降りる。窓越しに店内を覗くと、今日も美味しそうなパンがいっぱい並んでいて、店内はお客さんでいっぱいだった。
懐かしいなぁ、この感じ。
さっそく店内に入ろうとすると、ぱたんとお店の扉が開いて小さな影がわたしに向かって飛び込んできた。
「ミナねぇっ! おかえりーっ‼」
「ナルカちゃんっ!」
駆け寄ってきたナルカちゃんを抱き上げて、ぎゅーっと胸に抱きしめる。ナルカちゃんもぎゅーっとわたしに抱き着いてきた。
「ミナねぇ! ミナねぇー!」
「ただいま、ナルカちゃん! 少し見ない間に大きくなったねぇ!」
「ミナねぇもちょっとおおきくなった?」
「うっ……」
子供特有の屈託のない発言がわたしの胸を抉った。ここ最近はアリシアのために自炊しているからセーブされているけど、また学食を使うようになったら自重しようと心に決める。
「お帰りなさい、ミナリー」
と、クレアさんがお店の中から顔をのぞかせた。透明感のある水色の綺麗な髪にバンダナを巻いていて、額には少し汗が浮かんでいる。とても忙しそうだ。
「ごめんなさいね、ミナリー。長旅で疲れているところ悪いんだけど……」
「大丈夫だよ、クレアさん。手伝うね」
「ありがとう、助かるわ。レインも配達で居なくて、一人じゃ大変だったのよ」
クレアさんが疲れた様子でそういうと、店内からお客さんの呼ぶ声が聞こえてきた。お願いね、とだけ言い残してクレアさんは慌ただしくお店の中に戻っていく。
この時間は夕食を買いに来る人が多いから余計に混雑しているのかもしれない。
「ミナねぇ、おかあさんたいへんそう」
「そうだね、お手伝いしにいこっか」
「うんっ! ナルカもおてつだいする!」
ナルカちゃんはわたしの手から離れると、とてててと走ってお店の中に戻っていった。クレアさん、お店の切り盛りとナルカちゃんのお世話までしなくちゃいけないから本当に大変だったと思う。
今日からの連休中くらいは、わたしが頑張って休ませてあげないと!
「そういうわけだから、二人とも手伝ってね」
「えっ⁉」
「わたしたちもですか……?」
事の成り行きを後ろで見守っていたアリシアとアンナちゃんの手をつかんで、わたしは店の中へと強引に引っ張っていく。
「ちょ、ちょっと! あたし、お店で働いたことなんてないわよ⁉」
「わたしも初体験です」
「へーき、へーき。わたしがちゃんとフォローするから!」
不安そうな二人にナルカちゃんが持ってきてくれたバンダナを押し付けて、お店の中に放り込む。クレアさんにはあとでお店が落ち着いたら事情を説明しよう。まずはお客さんを捌くことに集中集中!
「いらっしゃいませー!」
「い、いらっしゃい、ませぇ……」
「いらっしゃいませ」
王立魔術学園の制服を着た金髪と銀髪の美少女が接客をしてくれる。なんて噂が立ったかどうかはしらないけれど、お客さんは店内のパンが全て売り切れるまで途切れることがなかった。
その日、町唯一の小さなパン屋さんは、過去最高の売り上げを記録したという。
※
「つ、疲れたぁ……!」
「タフなトレーニングでした……」
最後のお客さんが退店し、お店の入り口のOPENの看板をCLOSEにひっくり返した直後、アリシアとアンナちゃんは互いに背中を預けながらへなへなとその場に座り込んだ。
かなり疲労困憊した様子だ。慣れない立ち仕事、ことさら接客は肉体的にも精神的にも疲労が溜まりやすいから無理もない。
「お疲れさま、二人とも。どうだった?」
「どうもこうも、大変だったわよ……っ!」
「急に手伝わされてビックリしました」
「えへへ、ごめんごめん」
わたしが謝ると、アリシアは「まったくもぅ」と唇を尖らせた。その表情は、出発前に比べると少しだけ明るくなった気がする。アンナちゃんも、張り詰めてばかりだった糸がほんの少し緩んだ様子だ。
考え事をする暇がないくらい、忙しかったのが良かったのかもしれない。
「三人とも、お疲れさま。ホットミルクを淹れてきたの、みんなで飲みましょう」
奥の厨房から、マグカップを四つトレイに載せたクレアさんがやってきた。
お客さんがある程度少なくなってきた頃合いで、クレアさんには後ろの部屋で休んでもらっていたのだ。ナルカちゃんも疲れたのか途中でうつらうつらとしてきちゃって、今は後ろの部屋で眠っている。
「ありがとう、クレアさん」
「あ、ありがとうございます……!」
「いただきます」
アリシアとアンナちゃんはマグカップを受け取って、ホットミルクに口をつける。
「甘くて美味しいわ……!」
「これは、はちみつですか?」
「正解だよ、アンナちゃん。クレアさんのホットミルクは絶品なんだよねぇ」
「ありがとう、ミナリー。昔、友達に教えてもらったレシピなの」
クレアさんは優しく微笑んで、アリシアとアンナちゃんに視線を向ける。
「二人はミナリーのお友達よね? 今日は手伝ってくれて本当にありがとう」
「い、いえっ! あたしたちは別に……」
「立っているだけで、あまりお力になれませんでした」
「そんなことないわよ。二人が居てくれて心強かったもの。名前はなんていうの?」
「あ、アリシアです! アリシア・バルキュリエ」
「アンナ・シールズです」
「アリシアちゃんに、アンナちゃんね。私はクレア・ロードランド。ミナリーの保護者をしているわ」
「保護者、ですか……?」
アリシアが首を傾げて疑問符を浮かべる。
なんだかんだと先延ばしにしちゃったまま、このことをアリシアとアンナちゃんには伝えられていなかった。クレアさんがわたしに視線を向けてくる。わたしはそれに肯きで返した。
首を横に振ったら、クレアさんはきっとわたしの代わりに事情を説明してくれただろう。
けど、これはわたしが自分で言うべきことだと思った。特にアリシアとアンナちゃんには、自分の口で伝えたい。
「あ、あのね!」
わたしは、自分が孤児院の生まれで十歳くらいでロードランド家に引き取られ住み込みで働いていたことを二人に説明した。
自分の生い立ちに不満も恥じらいもないはずなのに、いざ口にするとなると酷く緊張した。何度も言葉に詰まりながら、何とか話し終えたときには、わたしはクレアさんにぎゅっと手を握ってもらっていた。
いつ握ってもらえたのかもわからないくらい、わたしは緊張しちゃっていたようだ。
「……ずっと言えなくてごめん。隠してるつもりはなかったんだけど……」
わたしの生い立ちを聞き終えて、アリシアとアンナちゃんは互いに顔を見合わせる。
先に口を開いたのはアンナちゃんだった。
「水臭い、とは思いますが」
そう前置きして、アンナちゃんは首を傾げる。
「それって、そこまで気にすることですか?」
「そうね。今更聞いたところで……ううん。どんなタイミングで聞いたところで、ミナリーがミナリーだってことには変わりないもの」
アリシアとアンナちゃんはそれきり何事もなかったかのように、ホットミルクを飲んではふぅと吐息を漏らす。
なんというか、肩透かしを食らったみたいな感覚だった。もう少しこう、反応してくれるかと思っていたのに。嬉しいような、ちょっぴり寂しいような。
ただ、まあ。
「いい友達ね、ミナリー」
クレアさんにそう言われ、わたしは自信をもって「うん!」と頷く。
「クレアさん。わたし、王立魔術学園に入学出来て本当によかった!」
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