第33話 虐殺の魔女

「ロザリィ‼」


 わたしは魔力シールドを展開しながら、視界を覆いつくすほどの魔力の奔流の中にロザリィの姿を探した。けれど、彼女の姿はおろか他の誰の姿も見つけることができない。


 これ、雷撃の魔術⁉ 魔力が、桁違いすぎる……‼


 恐ろしいまでの密度の魔力が、シールドに重く圧しかかる。ロザリィの魔術なんて比較にもならない。ダメ……シールドが破られる……っ!


「ミナリーさん……っ!」


 もうダメかと思ったとき、誰かがわたしの前に躍り出た。銀色の二房の髪が揺れ、わたしのシールドの内側に新たな魔力シールドが形成される。


「アンナちゃん⁉」


「無事でなりよりです」


 わたしの魔力シールドが消滅した直後、アンナちゃんが新たに展開させた魔力シールドが雷撃の魔術を受け止めた。


 すごい、この膨大な魔力を完璧に受け止めてる……!


 物凄い量の魔力と魔力が拮抗する様が、わたしの目にははっきりと見えていた。


「あ、ありがとう、アンナちゃん!」


「お礼なんて要りません。それよりも……!」


 やがて閃光が途切れる。閉ざされていた視界が広がり……その光景に、驚愕する。


「……誰も、居ない」


 わたしたち以外、周囲には誰も居なかった。ついさっきまで隣を飛んでいたロザリィも、他の一年生たちも……それどころか、魔力シールドを張っていた上級生たちまでも。


 墜とされた……?


 さっきの、魔術で? 百人以上は、飛んでいたはずなのに……⁉


「へぇー、今のを耐えちゃうんだ。生意気だなぁ」


「……っ」


 その声は上から聞こえてきた。太陽に隠れていた影がゆっくりと降りてくるのが見える。


 黄色の箒。太陽光を浴びて光沢を放つ薄桃色の髪。その人はわたしたちの前で止まると、心底楽しそうに屈託のない笑みを浮かべた。


「そのうえミナリーちゃんを守るなんて、やるね、アンナちゃん!」


「シユティ先輩……っ!」


 『虐殺の魔女』。上級生たちがシユティ先輩を見てしきりにそう呟いていた言葉の……その名の意味を、わたしはやっと理解した。


「いやぁ、ごめんねミナリーちゃん? 巻き込むつもりはなかったんだけどさぁ、力の調節が難しくって! 無事で良かったよ、うん!」


「なんで、こんなこと……したんですか?」


「なんでって、これレースだよ?」


「後方を飛んでいた人たちは代表戦の選考には関わらなかったはずです! みんな完走できれば良いって感じだったのに、どうして……っ!」


「だからぁ、これはレースなんだって」


「それがなんだって」


「これ、ウィザード・レースだよ。レース・オブ・ウィザードなんだよ。わかってる、ミナリーちゃん? レースに参加した以上、手を抜くなんてことはあり得ない。完走できれば良い? 馬鹿じゃないかな。完走だけで良いならそれ、ただの箒の競争。レース・オブ・箒だよ」


「……っ」


「魔術師が己の持つ全てを競う。それがウィザード・レースなんだからさ」


 先輩が右手前に突き出す。その動作はあまりにもよどみなく、躊躇なく。洗練された美しさすら感じさせて、


「あたしは、あたしが持つ全てをぶつける。ミナリーちゃんも見せてよ、君の持つ全てを」


「……っ⁉」


「『稲光れ』」


 展開された術式から雷撃が放たれた。……速すぎるっ⁉


「させませんっ‼」


 直後、わたしの目の前に割って入ったアンナちゃんが魔力シールドで雷撃を打ち消した。


「ちょっとちょっと。愛し合う二人の語らいを邪魔するなんて無粋だよ?」


「あなたの相手は、わたしのはずです……っ!」


「むぅ、せっかちさんだなぁ」


 先輩は頬を膨らませ不満げな顔をした後……すぐにふぅと息を吐いた。


「ま、勝負を持ち掛けたのはあたしだもんね。どうやらやる気になってくれてるみたいだし、相手してあげるよ。二人一緒に、ね」


 再び魔法陣が展開される。


「『光れ』」


 さっきよりもさらに速いっ!


「その程度っ……!」


 先輩の放った雷撃はアンナちゃんのシールドに打ち消された。……けれど、今の魔術も尋常じゃない魔力の密度だった。


 本来、魔術の発動には二つのプロセスを必要とする。


 一つは魔力の放出。次に詠唱、同時にイメージの構築。体内の魔力を放出し、詠唱によってイメージを固めて形を組み上る。これが基本的な魔術の発動方法だ。


 けれど、シユティ先輩はそこにもう一つプロセスを追加している。


 魔術式の構築。


 シユティ先輩は体内から放出した魔力と大気中に漂う魔力で魔術式を描き、詠唱とイメージで構築された魔術を強化している。しかも、工程が尋常でないほどに速い。プロセスが一つ多いはずなのに、より速く、より強力な魔術を放ってくる。


 ……どうしてだろう。本流とは違う魔術のはずなのに、わたしはこの魔術を知っている気がする。


「ミナリーさん、こっちです……!」


「あ……、うん!」


 アンナちゃんはわたしの手を引いて飛んだ。


 その表情にはどこか焦りがあって、額には汗も浮かんでいる。


「どうするの、アンナちゃん⁉」


「このままゴールを目指します。それまで撃ち落とされなければわたしの勝ちです……!」


「そんな簡単にゴールさせると思う?」


「……っ⁉」


 並ばれた。アンナちゃんはお世辞にも飛行速度が速いわけじゃない。シユティ先輩を振り切って逃げることはできないだろう。


「覚悟の上ですっ……!」


 絶え間なく放たれる雷撃を、アンナちゃんはシールドで必死に防ぐ。防戦一方……アンナちゃんに反撃に移る余裕はない。それはわたしも同じだった。


 魔力シールドは、魔術をその魔術が持つ魔力と同量の魔力をぶつけることで打ち消す技だ。それは外部からだけでなく、内部から放たれた魔術にも適用されてしまう。


 絶え間なく魔術を撃たれ、それを防ぐため魔力シールドを張り続けている今、仮にわたしが魔術を撃ってもアンナちゃんの邪魔にしかならない。


 それにそもそも、わたしに出来るのは日常生活レベルの魔術くらいで、シユティ先輩への有効打にはなりそうになかった。


 ……だから今、わたしに出来ることは。


 ハンドルを握る手に魔力を込め、箒を加速させる。シユティ先輩から逃れるためには、わたしがアンナちゃんを引っ張って進むしかない。


「さっすが硬いなぁ。そんじゃあそろそろ温まって来たし、こういうのはどうかなぁ?」


「なっ……⁉」


 わたしは絶句した。シユティ先輩の右手に魔術式が展開される。尋常ではなく巨大な、途轍もなく複雑な魔術式が!


「『疾く疾く走れ、迸れ。光れ、光れ、稲光れ』」


 今までとは違った、まるで歌のような長い詠唱。それだけ高度な魔術の組み立てと、大量の魔力の注入が行われているってことだ……っ‼


 アンナちゃんはそれを、受け止めようとしてる。


「ダメっ! 無理だよ、アンナちゃん‼」


「防いで見せます……っ‼」


 アンナちゃんは両手を先輩に向け、魔力シールドにより一層の魔力を集めた。


 でも、それと時を同じくして、


「『駆けろ、駆けろ、空翔ろ。天翔け、宙翔け、突き抜けろ。切り裂け、貫け、轟かせ』」


 息を呑む。ピリピリと肌に感じる痛み。先輩の周囲の空間が、ぐにゃぐにゃに歪む。魔力がそう見えているわけじゃない。実際に高密度の魔力が周囲に干渉して、空間を歪ませているんだ。


「アンナちゃんっ‼」


「くっ……‼」


 アンナちゃんは逃げようとしない。真正面から先輩の魔術を受けようとしている。普段の物静かで無表情な彼女とはまるで違う。対抗心を剥き出しにし、意地を貫こうとするその姿に、わたしはそれ以上何も言うことができなかった。


 そして、


「『一切合切全部まとめて消し飛ばせ――雷神の鉄槌』ッ‼」


 放たれる。


 世界の終わりを知らせているかの如き轟音と、眩い限りの閃光がわたしたちを包み込んだ。


「ぐぅっ……⁉」


 アンナちゃんの表情が歪む。


 彼女の張ったシールドはミシミシと嫌な音を立て、瞬く間に幾つものヒビが刻まれた。


 それでもアンナちゃんは、歯を食いしばって必死に耐えようとする。


 だけど、限界はすぐに訪れた。


 ――ぱりん……と。


 その音はわたしの幻聴だったのかもしれない。それか本当に、魔力シールドが砕かれた際に聞こえた音だったかもしれない。……もしくは、それはアンナちゃんの――


 閃光の中で、小さな体を抱きとめる。わたしにできたのはそれだけで。


 高密度の魔力の凄まじい奔流を受けた瞬間を最後にして、わたしの意識は途切れてしまった。

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