第32話 後方集団

 およそ百五十を超える箒が一斉に飛び立って、スペリアル湖を北上する。コースは入学試験とほぼ同じ。スペリアル湖の湖岸に沿って逆時計回りに一周、学園に戻ってくるというルートだ。


「良い天気ですわ。絶好のレース日和ですわね、ミナリー・ロードランド」


「そうだねー。風も気持ちいいよ」


 後方集団の、さらに後方。固まって飛ぶ一年生たちの中で、わたしとロザリィはのんびりと話し込んでいた。


「にしても、先頭集団は早いですわね。もうあんな遠くに見えますわ」


「ホントだ。入学試験の時よりもペースが速いかも……」


 わたしたちよりも遥か前方を飛ぶ先頭集団は、もうゴマ粒ほどの小ささに見える。


 あの中にアリシアが居るんだ……。かなりのペースだけど、大丈夫かな……。


「心配ですの? アリシアさんのこと」


 わたしの顔を覗き込んで、ロザリィが尋ねてくる。


「まあね。アリシアってけっこう無理するところあるから」


 心配じゃないといえば嘘になる。お姉さんのことで頭がいっぱいになって、ペースを乱してなきゃいいけど……。


「ところでロザリィ、こんなにのんびり飛んでていいの? わたしたち、どっちが先にゴールするか勝負してるんじゃなかったっけ?」


「そういえばそうでしたわね。すっかり忘れていましたわ」


「えぇー……」


 自分から言い出したのに。


 まあ、気持ちはわからなくもない。周囲を見渡すと、一年生たちはみんな近くを飛んでいる人と雑談しながらのんびり飛んでいる。レース、という雰囲気はどこにもなくて、なんだか遠足の道中みたいな感じだ。


 さすがに上級生たちは黙々と飛んでいるけど、新入生歓迎レースと銘打たれたこのレースで、全力でレースに挑もうとする人はごく一部に限られているのかもしれない。


「というのはもちろん冗談ですわよ、ミナリー。これは作戦ですわ。前半は魔力を温存して、後半で一気に仕掛けるんですの」


「へぇー。じゃあ、仕掛けるとき教えてね」


 なんて感じでゆるーく飛んでいると、スタートから五十キロ地点を示すバルーンが見えてきた。ここからは魔術使用可能エリアに入る。


 入学試験では最下位だったから魔術を受けることがなかったけど、今回は集団のど真ん中。四方八方から魔術が飛んでくることだってあるかもしれない。


 ……いや、この雰囲気だとないかもしれない。


 レース順位を気にするような人たちは、もうこんな後方を飛んじゃいないだろう。ここまで緩い雰囲気で、魔術の応酬なんて起こりようがない。


 何事もなく魔術使用可能エリアに入って、何事もなくレースが続いていく。


 そう思っていた。


「……あれ?」


「どうかしましたの、ミナリー」


「何かありましたか?」


 ロザリィと近くを飛んでいたアンナちゃんが、不意に声を発したわたしに振り返る。


「ねえ、先輩たち変じゃない?」


「変、ですか……?」


「別に不審なところは見当たりませんわよ?」


「……ううん。やっぱり、変だよ。だって」


 だって先輩たち、仕切りの辺りを見渡してる。時折わたしたちの方を振り向いては、どことなく悲壮感の漂う笑みを顔に張り付けている。


 何だろう、このピリピリとする感じ。前を飛ぶ先輩たちの表情は、とてもレースの完走だけを目指しているようには思えなかった。もっとこう……生きるか死ぬかみたいな。そんな差し迫った緊張感が漂っているようにも見える。


「嫌な予感がします」


「別に何も感じませんわよ?」


 アンナちゃんの言うとおりだ。ロザリィは何も感じていないみたいだけど、わたしは先輩たちの様子を見ているだけで妙な胸騒ぎがしてくる。


 いったい、何が起ころうとしてるの……?


「――ッ!」


 直後、全身に鳥肌が立った。


 な、なにっ……⁉


 視界がぐにゃりと歪んで、元に戻ったかと思えば空気中に漂う微細な粒子が上へ上へと昇っていくのが見えた。


 なにこれ、魔力……?


 空間の歪みとしてじゃなくて、魔力が粒子としてはっきり見える。こんなの、初めてだ。


 わたしは魔力の粒子が昇っていく先に目を向けた。


 そして、すべてを悟った。


 先輩たちの様子がおかしかった理由。妙な胸騒ぎを感じていたわけを。


「二人とも、上‼」


 見上げた先……太陽を背にして誰かが宙に浮いていた。


 太陽光が目に入って、それが誰なのかわからない。真っ黒なシルエットは箒に跨ったまま、右手をわたしたちの方へかざしている。


 開かれた五本の指。それを中心として展開される魔術式。膨大な魔力が形を伴い、わたしたちへと降りかかろうとしている。


『来るぞぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ‼』


『一年を守れぇええええええええええええええッッッ‼』


 上級生の誰かが叫んだと同時、先輩たちはわたしたち一年生を守るよう一斉に魔術シールドを頭上に展開した。


 その光景をどこか他人事のように見ていた一年生たちは、困惑して周囲と顔を見合わせる。


 そしてロザリィは先輩たちの必至な姿を見てぱちぱちと拍手をする。


「先輩方も冗談がお上手ですわ。つまりこれは余なのですわよ、ミナリー・ロードランド。先輩方は我々一年を脅かそうとされているのですわ。考えてもみてくださいませ。新入生歓迎レースで、レース結果に絡まない下位集団相手に魔術を撃ちこむなんて、常識的に考えてありえな――」




 ――その瞬間、ロザリィの姿は降り注いだ閃光に消えた。

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