第34話 遠ざかる背中
「あの馬鹿、少しは加減を覚えなさい……」
後方から伝わってきた轟音と閃光に、アリシアの前を飛ぶアリスは頭に手を当てて溜息を吐いた。……その隙に加速し、アリシアは一気に抜きにかかる!
だが、
「……っと。今のは惜しかったですよ、アリシア?」
抜き去ろうとした矢先に、目の前にアリスの背中が現れ、アリシアは減速を強いられる。
「くっ……!」
そのアタックは、アリスによっていとも簡単に防がれた。
これがかれこれ、レース開始直後から十回は繰り返されている。
アリシアはまだ一度も、アリスを抜くことができずにいた。
「仕掛けてくるのが気配で丸わかりです。対抗心を剥き出しにしてくれるのは嬉しいですが、もう少し自分の感情をコントロールする術を身につけなさい」
「うるさいっ‼」
「レースが始まると熱くなりすぎるのも悪い癖ですね」
アリスはこれ見よがしに溜息を吐き、それがより一層、アリシアを苛立たせた。
届きそうで、届かない。そのもどかしさがアリシアを苛む。
追い越すどころか、その横に並ぶことすら許されていないまま……。
ずっと見続けてきた幻影と同じだ。アリス・バルキュリエは、常に目の前を飛び続ける。
(あと少しなのに……っ!)
アリシアは唇を噛んだ。レースの運びは予想以上に順調だ。ほぼ独走状態。そろそろコースの三分の一は過ぎようかという頃合いで、後続とは一キロ近い差をつけられている。
姉との事実上の一騎打ち。少しでもアリスの前に出ることができれば、そのままゴールまで一直線に行けるような気もする。それ以外に、彼女に勝つ方法はない。
(私は、負けない)
……絶対に勝つと、宣言したのだから。
ハンドルを強く握りしめ、魔力を流し込む。
(大丈夫、……いけるっ‼)
十一度目のアタック。
箒のスピードは一度に流し込む魔力の量に比例する。アリシアは全力で魔力を箒に流し込み、急加速で一気に抜きにかかる。
「……――っ」
常にあった姉の背中が消え、アリシアの視界が開けた。
目の前には誰も居ない。
レースの頂点に立つ者だけに許されたその光景は、
「だから言ってるでしょう。何でも気合を入れれば良いってものではないのです」
「……っ⁉」
するりと、目の前にアリスの背中が現れ遮られる。
気配も何もなかった。
まるで瞬間移動でもしたかのような動きに、アリシアは言葉を失う。
「空気の流れを読みなさい。魔力を肌で感じるのです。レースは闇雲にスピードを出せば勝てるわけではないと、昔から何度も言ってきたではありませんか」
「このっ……‼」
抜き返されたならまた抜くまで。アリシアは再び魔力を注ぎ込み、急加速で仕掛ける。
だが、
「そう何度も同じ手は通用しませんよ」
今度は横に並ぶことすらできなかった。
それどころか、加速したにも関わらず姉の背中が徐々に小さくなっていく。
引きはがされそうになったアリシアは加速を維持したままアリスの背中に必死に追いすがった。
「どうしましたか、アリシア? もうへばりましたか?」
「……っ! そんな、ことっ!」
アリシアは歯を食いしばる。
加速を維持するということは、相応の魔力を常に箒へ送り続けるということだ。
(ここで躊躇えば引き離される……っ!)
ペース配分も何もない。アリシアは全力を搾り出していた。
姉の背中が、だんだんと小さくなっていく。その変化は傍から見れば微々たるもので、けれどアリシアにとってはその一センチ一センチが、数百……数千キロにも感じられた。
同じだ。今までと、何も変わらない。
遠ざかる。小さくなって、手を伸ばしても届かない。追いつけない。離れて行く。あたしを置いて、先に行ってしまう。残されて、一人きりになる。
……嫌だ。
(嫌だ嫌だ嫌だっ‼)
アリシアは姉の背中に向けて右手を構えた。
「『炎よ。弾丸となって撃ち貫け』ッ‼」
アリシアの手から放たれたのは燃え滾る火球だった。火球は真っ直ぐにアリスの背中を狙う。
アリスは振り向かない。
なのに、
「……っと!」
くるりと、アリスは体を箒ごと側転させて火球を避けて見せた。
「なっ⁉」
着弾を確信していたアリシアは絶句する。後ろは見ていなかったはずだ。それなのにタイミングはドンピシャ。魔力シールドに防がれるならまだしも、無駄のない動きで完璧に避けられた。
「そろそろやめておきなさい、アリシア」
「うるさいっ‼」
姉の忠告をアリシアは拒絶する。
アリスは小さく舌打ちすると、急降下し琵琶湖の水面ギリギリまで高度を下げた。
「このっ……『炎よ』ッ‼」
アリシアはその後を追い、矢継ぎ早に火球を放つ。
だが、背後から飛来する火球をアリスは、
「単調な攻撃ですね」
一度も後ろを見ないまま避け切る。アリシアの放った火球は、アリスに一つもかすりもせず、水面に幾つもの水柱を作るだけだった。
「どうして当たらないのよっ⁉」
「そんな破れかぶれの魔術に当たるものですか。棄権しなさい、アリシア」
「……っ! まだ、あたしはっ‼」
「そんなだから、私に勝てないのですよ」
「――っ」
冷たく言い放ったアリスの言葉が、アリシアの胸に突き刺さった。
そんなことない! ……そう言い返そうとしたアリシアは、自分の体の変化に気づく。
「あ、れ……?」
体に力が入らない。
いつの間にか、ハンドルを強く握りしめていたはずの手から握力が失われている。
「自分の状態すら把握できてない者が、レースに勝てるものですか。あれだけの加速を続けながら、魔術をばかすかと撃ったのです。そうなるに決まっているでしょう」
「そん、な……」
アリシアの箒は、明らかに失速した。
……魔力切れだ。
レース中盤。まだコースを半分近く残しているのに、アリシアの体内魔力は底をついたのだ。
箒がふらつく。立て直そうにも、言うことを聞いてくれなかった。
全身を襲う脱力感。激痛が頭を苛み、視界が霞んでいく。
「あた、しは……まだ……」
遠ざかる姉の背中に、手を伸ばす。
そんなアリシアにアリスは、
「…………」
背を向けたまま、振り返ることはなかった。
「待って…………、まってよ……、ねぇ……さま…………――」
伸ばした手は、何にも触れることなく垂れ下がる。
薄れていく意識の中で、アリシアの脳裏には初めて出場したウィザード・レースの大会の記憶が蘇っていた。……もう、十年以上も前の、忘れたと思っていた記憶。
(あの時も……)
同じだ。
姉に必死に付いて行こうとして、ダメだった。
遠くの空に消えて行くその背中を、ただただ見送ることしかできなくて。
……悔しくて、泣いていた。
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