第7話 アリス・バルキュリエ
カルーア岬から北東に五キロほどの地点。スぺリアル湖上空を飛ぶ一つの箒があった。
現在行われている王立魔術学園飛空科の入学試験レースのコースではない。
箒に乗っているのは学園の白地に青のラインが入ったブレザーを着て、黄色のローブを羽織った女子生徒だ。彼女の左腕には『試験監督生』と書かれた腕章がある。金色の髪を風に揺らされながら、彼女は試験の成り行きを見守っていた。
スタートからおよそ三十分。先頭を飛ぶ赤い箒に乗った少女は既にコースの五分の一にあたる四十キロに差しかかろうとしていた。後続との距離は二キロ以上あるだろうか。完全に独走状態だ。
「……まったく。飛ばし過ぎですよ、アリシア」
女子生徒……王立魔術学園飛空科三年生、アリス・バルキュリエは苦笑する。
彼女はレースの先頭を飛ぶアリシア・バルキュリエの実姉だ。試験監督生の立場ながらさっきからずっと妹の飛行ばかりに視線が行ってしまっていることに気づき、アリスはいけないけないと首を振る。試験監督生の役割は、試験がトラブルなく円滑に行われるよう監視することだ。
年に一回の入学試験レースは回を重ねるごとに人々に親しまれ、大きなイベントとなっていった。その注目度は、王国中からやじ馬が集まるほどで、今も上空には箒に乗った各地方の新聞記者が多く旋回している。
それだけの一大イベント。目立とうとした馬鹿や、参加者や学園に何かしらの恨みを持った人間がレースを妨害するケースも考えられなくはない。それらから参加者とレースを守るのが試験監督生の役目だ。
とは言え、そのような妨害なんて滅多に起こりはせず。警備には多くの国家魔術師が動員されているため、試験監督生の仕事はほとんどあってないようなものだった。
義務感からレースを注視してはいるものの、視線はどうしても妹に吸い寄せられていってしまう。アリシアはもうそろそろ五十キロ地点に到達しようとしていた。このままのペースで飛べれば、アリシアのゴールタイムは二時間半から三時間あたりになるはずだ。
合格ラインであるトップ通過者から三十分以内のゴール。おそらく今年の入学者数は五十人前後といったところになるだろう。
「まあ、例年通りですね」
不思議なもので、毎年の入学者数はそのくらいになる。これは入学試験にウィザード・レースが採用された当初からの傾向で、これまでの歴史で入学者数が五十人を大きく割ることも、五十人を大きく超過することもなかった。
……昨年を除けば。
「さすがに、去年みたいなことにはならなさそうですね」
「去年何かありましたっけ?」
「ひゃわぁっ⁉」
背後から聞こえてきた声に、アリスは素っ頓狂な声を上げて驚く。反射的に箒を操って背後を向くと、そこに居たのは彼女と同じブレザーを着た女子生徒だった。
「おはようございます、アリスパイセン!」
「あなたっ…、急に出てきたらビックリするでしょう⁉ 来ないと言っていたじゃありませんか、シユティ!」
「ふぇ? あたしそんなこと言いましたっけ?」
目を剥いて食って掛かるアリスに対して、女子生徒はわざとらしく人差し指を頬に当てて小首を傾げた。
肩甲骨のあたりまで伸びた艶やかな薄桃色の髪。きめ細やかな色白の肌で、精巧な顔立ちをしている。背は平均よりもやや高く、長い手足には猫を思わせるしなやかさがあった。
豊かな胸元と成熟した体型。それでいてどことなく顔立ちや仕草に幼さを残す女子生徒の名はシユティ・シュテイン。王立魔術学園飛空科の二年生だ。
「あなた、何日か前に寮で魔術ぶっ放して謹慎中でしたよね? 何をしに来たのですか」
「それはもちろん、入学試験を冷やかしに来たんですよ」
「スぺリアル湖上空は試験中、一般人の飛行は禁止です。というか、謹慎中なのですから怒られないうちに帰りなさい」
「まあまあ、そう固いことは言わずに」
「ちょっ、ちょっと!」
シユティは忠告を無視してすいっとレースが行われている沿岸の方へ飛んで行ってしまう。
まさか身内にレースを邪魔する奴が現れるとは……。アリスは箒のハンドルを掴んで彼女の後を追いかけた。
「待ちなさい、シユティ! どこへ行くつもりですか⁉」
「ここちょっと遠いじゃないですか。もっと近くで見ないとレースの臨場感は味わえないですよーっ!」
「味わわなくて良いのですよ、バカ! それ以上近づくのは止めなさい!」
「いやっふーっ!」
「話を聞きなさいっ‼」
アリスの制止に一切耳を貸さず、シユティはどんどんレースコースに近づいていく。彼女が止まったのはコースから百メートルと離れていない、コースギリギリの空中だった。
「ここなら良い感じの臨場感で観戦できますね!」
「あなたねぇ……」
お小言の一つや二つ言ってやろうとアリスが口を開きかけたその時、目の前を幾つもの箒が右から左へ通り過ぎて行った。フレームの風切り音が間近に聞こえてくる。確かに近づいた分だけ、見応えはあった。
「……まったく、これ以上近づいてはいけませんよ」
「わかってますよー。おっ、先頭飛んでるのってパイセンの妹ちゃんですよね! 頑張れーっ、妹ちゃーん!」
「こら、観戦するなら黙って観戦なさい! 私の妹に手を振るな!」
アリスは試験監督生として試験会場に居ることをアリシアに伝えていなかった。自分が居ることで変に気負わせてはいけないという気づかいだったが、それをこんなところでばらされてはたまったものじゃない。
「パイセンさっきから怒ってばっかりですね」
「あなたが怒らせているのですよ、あなたがっ!」
今すぐこいつをスぺリアル湖に叩き落してやろうかとアリスは本気で考える。
……が、諦める。
目の前の少女がただ者でないことを、アリスは知っていた。
『さあ集団はいよいよ五十キロ地点に差しかかろうかというところ! 皆様お待たせいたしました! ついに、つ・い・にっ! 魔術使用可能エリアに入りますっ‼』
浜辺に近づいたこともあり、ハイテンションな実況がアリスの耳にも届いて来た。見れば参加者の大多数が固まった集団が五十キロ地点を示すバルーンの横を通り過ぎようとしている。
「来ましたね、パイセンっ!」
ウィザード・レース。
それはただ単に箒に乗って速さを競うだけの競技ではない。
その名の通り、魔術師のレースなのである。
つまり、魔術が使用できる。
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