第2話 ドキドキ初飛行

「よっと」


 お姉さんはわたしに覆いかぶさるような形で飛び乗った。背中にぐにゅっと、柔らかな感触が押し付けられる。


「ちょっとばかし窮屈だけど我慢してね。ハンドルをしっかりと握って、絶対に離さないように!」


「は、はいっ!」


「そんじゃ、行くよっ‼」


 その瞬間、空気の壁が全身に押し寄せた。


「きゃっ……」


 思わず目を瞑る。空気の壁はどんどん強さを増していって、やがて徐々に弱まり始める。


「目を開けてごらん?」


 お姉さんに促されて、わたしは恐る恐る閉じていた瞳を開いた。


 そこにはどこまでも続く青空が広がっていた!


 視線少し下げれば、町の外に広がる草原も、遠くの山々の、その向こうに見える王都だって見渡せてしまう。眼下にはわたしが生まれ育った小さな町。そこに居る人々は、米粒のような小ささだ。


「すごい……すごいすごいすごいっ‼ 飛んでる、飛んでるっ‼」


「そりゃ箒に乗ってるんだもの。少し飛び回ってみるかい?」


「はいっ!」


 箒が加速すると、また空気の壁が押し寄せてくる。けど、今度は目を瞑ったりなんかしない。この景色を、空を飛んでいるという感覚を、何一つ欠けさせたくなんてなかった。


 肌に触れる風の感触、耳に聞こえる風の音、目に映る世界すべて。


 飛んでいるという全てを、全身で受け止める。


「気に入ったかい、ミナリー?」


「はいっ!」

 ……あれっ? わたし自己紹介したっけ?


 たぶんしたんだろう。今はそんなことどうでもよくて、もっと風を感じたい。


 それからしばらく、わたしは飛行を満喫した。


 配達もしっかりと済ませて、その帰り道。お姉さんは帰りにも箒に乗せてくれて、陽はすっかり傾き始めていた。


「今日はありがとうございました。帰りまで送ってもらっちゃって」


「別に構わないよ。パン屋さんで、住み込みで働いてるんだっけ?」


「はい。赤ん坊の頃に孤児院に預けられて、今は店主さんのご厚意で」


「パン屋さんになりたいの?」


「……それでも良いかなって、思ってたんですけどね」


 前世のわたしの願い。大空を自由に飛んでみたいという想いは、今この瞬間、実際に箒に乗ってみて、より明確に、より強くなっていた。


「わたし、決めました。いつか絶対に自分の箒を買って、お姉さんみたいに飛べるようになるんです!」


「そっか。それじゃ、ちょっと寄り道して良いかな?」


「寄り道ですか?」


「野暮用を思い出したからちょっとだけ、ね」


 お姉さんは箒を傾けると、旋回して徐々に高度を落としていった。


 そうして降り立ったのは、町の箒屋さん。お姉さんと出会う前にわたしが見ていたショーウィンドーのあるお店だ。


「ちょっと待ってて」


 お姉さんはわたしに箒を預けると、一人で店内に入っていった。


 箒屋さんに野暮用っていったいなんだろう?


 待っててと言われたので、大人しく待つことにする。


 ショーウィンドーを見ると、最新式の色鮮やかなフレームの箒が何本も並んでいた。最高速がどうの、魔力消費効率がどうのと、よくわからない言葉が並んでいる。


 なんだか前世の世界の自動車みたいだなぁ……。


 そういった箒と比べると、お姉さんの箒は少し古いのだろうか。フレームの色は緑色で、よく見たら幾つもの傷が刻まれている。


 良いなぁ、自分の箒。

 いつかわたしも、こういう傷がつくまで箒に乗ってみたい。


 それからしばらくショーウィンドウとお姉さんの箒を交互に見つめていると、お店からお姉さんが出てきた。


「おまたせー」


 その手には、一本の箒。


 わたしの手には、お姉さんの箒。


「……バカなんですか?」


「いや、箒を預けたのを忘れてもう一本買ってきたわけじゃないから!」


 お姉さんは手に持っていた箒をわたしに押し付けてきた。


「はい、これと交換」


「え? ちょっと……」


 お姉さんは自分の箒を抱えて、そのまま歩きだしてしまう。


 わたしは渡された箒を抱えたまま、慌ててお姉さんの後を追った。


「あ、あのっ! この箒は……」


「ああ、それ? 中古品を譲ってもらったから、君にあげるよ」


「えぇっ⁉」


 あ、あげるって……。箒は魔力を蓄えた特殊な樹木を原料にする関係で、かなり値が張る。中古でも相当な額になる高級品だ。そう易々と受け取れるものじゃない。


「だ、ダメです。こんな高価なもの、受け取れません!」


「いいのいいの。サンドイッチのお礼だって」


「お礼ならもう十分にもらいました! お姉さんと一緒に飛べただけで、わたしは――」


「満足できたかい?」


「――ッ!」

 お姉さんの問いに、足が止まる。


 ……満足なんて、できるわけがない。たった数十分、ちょっとの距離を飛んだだけだ。それも、お姉さんの操縦で、自分で箒に乗って自由に飛んだわけじゃない。


「まだ飛びたい。もっと飛びたい。口にはださなくても、顔に書いてるよ。だったら君は、その箒を受け取るべきだ」


「でも、この箒を受け取ったらお姉さんにどんなお礼をしたらいいか」


「お礼ねぇ。それじゃあ、こういうのはどうかな?」


 お姉さんはローブの懐から、一枚の封筒を取り出した。赤い蝋印で封がされたそれには、『入学試験招待状』と記されている。


「これは?」


「王立魔術学園飛空科の受験票だよ。もしお礼がしたいと言うなら、君はこの学園で魔術を学び、国家魔術師になるんだ。そうすればそんな箒の一本や二本くらい、利子付きでも簡単に返せるようになる」


「国家魔術師……ですか?」


「そう。お姉さんみたいに、空を飛んでみたいんだろう?」


 ばさりと、風にお姉さんのローブがはためいた。


 次の瞬間にはお姉さんは箒にまたがっていて、


「待って!」

 そう叫んだ時にはもう、お姉さんの足は地面を蹴って飛び立っていた。


「待っているよ、君が会いに来てくれるのを!」


 お姉さんの背中が遠くなっていく。


 その様を、わたしはただ見送ることしかできなかった。

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