05

「人間って不思議なもんでさ。しっかり食ってしっかり寝てりゃあ、ある程度のことには順応できちまうわけよ」

 二台のカセットコンロの上、男の作るインスタントラーメンがグツグツと煮えている。

「ああ、もちろん飯の質も重要な。野菜はどの色も積極的に摂るべきだし、脂質や炭水化物は意識的に控えるくらいでちょうどいい。甘いもんが好きなら我慢しすぎずほどほどに楽しんで、塩分はできる限り減らしてやると健康に繋がる。味噌汁は一日一杯。酒と煙草は、覚えないで済むならそれが一番」

 男が割り箸で鍋を混ぜる。何の野菜も入っていない、麺とスープだけのそれからは味噌の匂いが立ち昇っている。

「……つーのは、まあ、知識としては備わってるんだけどな。どれもこれも破りたくなるのが人間ってわけよ。塩辛いもんはうまいし、肉は腹いっぱい食いてえし、野菜は高いくせに食った気しねえし。酒は潰れるほど飲んで、そこでようやく “酒”って勘定になるわけだから」

 ほれ煮えたぞ、と、男が私に新しい割り箸を渡す。「ありがとうございます、いただきます」と返せば、「そういうところはちゃんとしてんだなあ」と男が笑う。

「まー、いろいろ言ったけど、ちゃんと働いてくれさえすれば俺からは文句もないよ。当面は仕事内容を覚えてもらう期間だから、それほどきつくもないだろうし。あなたと年の近い女の子も何人か紹介するつもりだから、化粧とか立ち居振る舞いとか、そういうのはその子たちから学べばいい。案外、家の中で腐ってるより楽しいかもしれないぜ」

 男の言葉に一度頷いてから、鍋のままラーメンをすする。やたら湯の量が少ないそれはどうにも味が濃く、麺には芯が残ったままで、お世辞にもおいしいとは言えなかった。


「ああそうだ、あなた、何歳だっけ」

「今年で十七です」

「おおー、華のセブンティーンだ。いいねえセブンティーン。何か、素敵なことが起きそうな感じがする響き。どう? 最近いいことあった?」

 男の、センスのないユーモアに笑い返す余裕がない。ただ曖昧に俯くことしかできず、ごまかすように不出来なラーメンをすすった。


 会話が止まり、私も男も、坦々と鍋の中身を片づけていく。

 俯いた男のまつ毛の長さがふと気にかかり、そのまま彼の容姿をじっくりと観察してみた。年は二十代前半から中ごろほど、身長は平均的な成人男性程度、若干細身のようだ。やわらかそうな、癖のある黒髪はいくらか伸び加減で、前髪は視界の半分ほどを塞いでいる。さっぱりとした顔つきだが、しかしやけに整ったそれは、おそらく流行りの俳優と並んでも見劣りしないだろう。すっと通る鼻筋、やわく弧を描く唇は形もよく、切れ長の目は案外黒目がちで、印象として「かわいらしい」と捉えることもできた。

「……なに? じろじろ見てきて」

「え、いや、あの」

 私の視線を訝しんだ男がこちらを軽く睨む。慌てて、

「なんというか……綺麗な顔立ちだなと思って……」

 と言い訳をし、そのままぱっと目を逸らせば、

「なに。好きなの? こういう顔」

「まあ、その……ええと」

「はは。本人を目の前にして言えるようなことじゃねえか。まあなんつーかさ、ここ最近の流行りをひとまとめにしたような顔だろ? 理想的な“イケメン”の顔。こないだ作り替えたばっかりだからね」

「……作り替えた?」

「そ。整形」

 思わず動きが止まる。

「本当に、整ってるよなあ、これ。今回の顔は結構評判よくてさ。笑うよなー、昔の顔なんてもう思い出せもしない」

 男が自らの頬をさすり、ぱんぱんとやわく叩く。

「顔が出回っちまうたび、少しずつ変えるんだ。あんまり整っていても悪目立ちするからよくないんだけどな、今回は医者が調子に乗っちまった。次はもう少し大人しい顔にするよ。特徴があるとまずいんだ」

 箸を持ち直した男がラーメンをすする。俯いたその顔は、本当に、作り物のように美しかった。

「あの……そういうの、辛くないんですか」

「ん? 整形するのがってこと?」

「はい」

「日に三回、路地裏のゴミ箱を漁って飯にありつくよりは楽しいかな」

 男がけらけらと笑う。笑って、

「大丈夫。そのうち驚きもしなくなるよ、こういう話にも。人はいつか順応してしまう。どんなことにも、必ずさ」

 だからもう諦めろ。男はそうはっきりと呟いた。

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