FOR MARS

ポピヨン村田

FOR MARS

 2XXX年――火星人類はいよいよ、満を持して、地球に宣戦布告した。


 8本の脚を持つ火星人類の科学力は凄まじく、地球人類は戦々恐々としてあっという間に大混乱に陥る。


 ある国は『ノアの方舟』を再現しようと試み、ある組織は死こそが究極の救いと主張し、ある者は火星人類にこっそり取り入ろうとしてビームの炭にされた。


 国々は、社会は、そして人々は千々に分かたれ――火星人類は天上のマザー・シップからその様子をのような口でほくそ笑んで見下ろしていた。


         ★


「こ……」


 ライリィはお古として子供部屋に下ろされたブラウン管テレビにかじりついた。


 ライリィの家族は家具や床の板材から娯楽フィクションの類に至るまで徹底した20世紀トゥエンティー・エイジ愛好家である。


「これはたいへんだ……!!」


 ライリィは早速トランシーバー型の、顔より大きい通信デバイスで、同じ年少クラス・フレンズの友達を公園に呼び出した。


「しょくん、ちきゅーのききである!」


 ベンチの上に立ち、SFアクションヒーローのマントを翻すライリィは高らかに叫んだ。


 なんとか都合をつけて公園に集まったライリィの子分たち(ライリィは『リトル・ガーディアンの同胞』と呼んでいる)は急すぎる呼び出しにげんなりしつつも、その気迫に押されて何も言えなかった。


「我らリトル・ガーディアンはこのききをみすごさず、しんしにとりくまなくてはならない! そのために……」


 ライリィはすぅ、と大きく息を吸い込む。


 リトル・ガーディアンの面々は半分固唾を飲みながら、半分最近のママのディナーの質の悪さを憂いながらそれを見守った。


 広い公園内において、プラカードを掲げて火星人類への自主的な抗議活動に勤しんでいた市民も見守った。


 不況のあおりで飼い主に手放されたスペーシアン・ドッグのラッキーも見守った。


「まず、お家にかえってパパやママやきょーだいを守る!」


 ライリィの瞳には空に鎮座するマザー・シップが映っていない。


 その瞳は、もっと遠くを見据えていた。


「次に、よーちえんへいっぱいかよっておともだちとなかよくする!」


「さいごに、びょーいんに行ってあかちゃんやびょうきの人をおうえんする!」


「いじょうである!」


 ライリィのちいさなおててがぐぐっと伸ばされ、胸に置かれた。


「ふぉあ・まーず!」


 リトル・ガーディアンの面々はおぼつかない手つきで精一杯ライリィにならう。


「ふぉあ・まーず!」


 ライリィは満足そうにうなずく。


 そしてベンチから飛び降りると、リトル・ガーディアンの面々をともなってさーっと風のように公園から去っていった。


 一部始終を見つめていた人々は呆気に取られていた。一人の、職にあぶれて暇をもてあましていた通りすがりの男だけが、その様子を端末に録画していた。


 そして彼は本当にほんとうに暇だったので、撮りたての動画をインターネットで拡散してひとまかせな承認欲求を満たした。



         ★




 ライリィの、大変小規模だったはずの演説は、電子の海を駆け巡りあっという間に地球の隅々にまで届いた。


 最初は物珍しい玩具を血眼で探しているネット・ジャンキーに。次に『火星人類ショック』で職や家をなくして心の拠り所を求める人々に。次に地球の明日の架け橋となる子供たちへの教材に迷う小学校教諭に。


 しまいには国連議会にまで映像が持ち込まれ、各国代表が真剣にライリィの言葉を考察し、議論を交わした。


 ライリィの言葉に、地球人類は我が身を振り返えざるを得なかった。


 ある人は思った。自分の家族をなんとか延命させようと死に物狂いで奮闘したが、最後に家に帰って妻や子供を抱きしめたのはいつだっただろうか。


 ある人は思った。どうせ地球人類は滅ぶのだからと無意味な通学をやめたが、自分の胸の内にある不安は級友の中にもあるのではないだろうか。


 ある人は思った。自分は誰かを助けたくて医療の道を志したのに、滅びの運命が怖くて自分にすがっていた人々の手を放してしまった。それはなんと罪深いことなのだろうか。


 自分ひとりだけでも助かりたくて互いを蹴落とし合っていた地球人類は、ようやく隣人の存在を少しだけ気にし始めていた。


 隣人から隣人へと、ひとりずつ手が繋がれていく。


 その手は共同体と共同体を繋ぎ、国と国とを繋いでいく。

 そして地球人類の絆の輪は、世界中で結ばれていった。


 ライリィとリトル・ガーディアンの映像はその間世界中で絶えることなく流され続け、気づけば、火星人類宣戦布告以前をはるかに上回って地球人類たちの絆は深まっていた。

 


         ★



「きっと、こんな重大な事件が起きなければ、我々は永劫己の過ちに気づけなかったことでしょう」


 某国大統領はカメラに向かってそう語りかけ、国民は、メディアでそれを見守る世界中の人々は深くうなずいた。


「嵐と困難の時代の中にありながら、それに果敢に立ち向かい我々の目を覚まさせてくれたライリィという少女とその友人に、私は大統領として大きな感謝の意を表します」


 大統領は右手の指をまっすぐにぴんと伸ばし、それを胸の上に置く。


「そして……」


 その頃、火星人類への助命を請うてばかりいた地球人類は、ノアの箱舟の資材を解体して、プラカードを天に向かって掲げていた。


 火星人類という脅威を克服した地球人類の中には、かつてない新たなる概念が発生していたのである。


「フォア・マーズ!」


「フォア・マーズ!」


 地球人類の中に生まれた新たな概念、それは、天空のマザー・シップからいつでも地上を焼野原にできる火星人類への『感謝』であった。


 世界中のあちこちで、『FOR MARS』と書かれたプラカードを持った人々が行進する。

誰もが微笑みながら、隣人にぶつからないように配慮し、ちいさな少女が精いっぱいの声を張り上げたあの日の演説を心に思い浮かべていた。



         ★



 団結する地球人類の姿に、8本の脚を持つ火星人類もさすがに心動かされていた。


 脅しをかけたことで思惑通りに右往左往して内輪もめしてくれていたはずが、たったひとりの地球人類の登場で状況が大きく一変して、彼らはあっさりと心をひとつにしてしまった。


 火星人類は8本の脚を絡ませ合いながらさすがに焦った。


 地球人類は頭数が凄まじいので、実は手と手を取り合って攻撃してこようものなら火星人類は戦力的に劣ってしまうのである。


 しかし――しかし、抵抗してこない。それどころか、敵対種族に感謝の念すら述べている。なんてことだ! これまで数多の星や勢力と争い、しのぎを削ってきた火星人類は戸惑うばかりであった。


「ふぉあ・まーず!」


 火星人類はマザー・シップの中枢、地上を監視するモニターから、地上人類の子供を眺めていた。


 火星人類は闘いの歴史を生きてきた。闘争と簒奪こそが正義だと、その軟体に刻み込まれてきた。吸盤のひとつひとつには、彼らが刻んできた血の歴史が浮かび上がっている。


 しかしこの地球人類という4本脚の脆弱な種族は、どうしてかわからないが自分たちを真摯に想っていてくれる。


 この子供のまぶしさは、果たしてモニターの光だけがもたらすものだろうか?


 火星人類は、ふとつぶらな2つの瞳で隣に立つ同胞のことを振り返った。


 火星人類は――地球人類がそうしたように――隣人の存在を確かめ合った。


 そして2XXX年――の、ある日曜日――火星人類は、とうとう地球への宣戦布告を取り下げたのだった。


         ★



「ライリィ・ギーグマン」


 ライリィは名前を呼ばれ、誇らしさで胸がいっぱいになりながらステージを駆け上がる。


 大統領が手ずから光り輝く黄金の勲章をライリィの胸にかけた。


 火星人類の元首が、地球の様式にならってライリィに会釈した。


「今日という、火星人類と地球人類の和平の日を迎えることができた英雄ヒーローたる君に――合衆国一同、そして新たなる友である火星人類一同、ここに敬意を示す」


 弾けるような拍手が沸き上がった。


 ライリィがステージを見下ろすと、リトル・ガーディアンの面々に始まる地球人類や、8本の脚をリズミカルにこすり合わせてポジティブなメッセージを発信しようとする火星人類が、そろって笑顔でライリィを讃えていた。


 ライリィはマイクを手渡された。


 ライリィはすぅ、と大きく息を吸い込む。


「しょくん、君たちのしんあいのしょーりである!」


 ライリィの語りを見る大人たちは苦笑していなかった。ライリィは、大人が子供を小馬鹿にしない態度を見るのがとても嬉しかった。


 だってライリィのパパとママは、ライリィが演説を始めるといまだに『いい加減にしなさい!』と怒るのだから。今日の勲章授与式にも来なかった。


「我らはこれからもともに手をとりあい、……えっと、いっぱいなかよくしなくてはいけない! これはこの、えいゆーであるわたしとのやくそくだ!」


 ライリィのおててが、ちょっと緊張気味にこわごわと伸びる。


 そして英雄の義務として、胸いっぱい空気を取り込んで、地上にたくさん増えたリトル・ガーディアンのメンバーへと叫んだ。

「ふぉあ・まーず!」


 大統領が、火星元首が、ステージを見上げる地球人類・火星人類が――一一堂に、手の平を胸に置いた。


「フォア・マーズ!」


         ★




『フォア・マーズ!』


 火星英雄マーズ・ヒーローダニー・サンダーソンがそう叫ぶと、地球人と火星人が歓声を上げた。


 しかし火星英雄ダニー・サンダーソンの活躍は何百回も再生されてテープがすっかり擦り切れているので、一件落着を表すその歓声も大分ガサガサである。


 しかし、ライリィはご機嫌であった。


『金星女王からのコンフュード・電波により邪悪な心を増幅され、地球人に残酷な嫌がらせを繰り返すこととなった火星人!』


『しかし火星人と地球人がとっくみあいの大ゲンカが始まる寸前、火星英雄ダニー・サンダーソンの正義の心が彼らに正気を取り戻させた!』


『火星英雄ダニー・サンダーソンのさらなる活躍に期待せよ!』


『FOR MARS 第3シーズン、絶対観てくれたまえよ! フォア・マーズ!』


「ふぉあ・まーず!」


 ライリィは、『いつものように』ダニー・サンダーソンのまねっこをした。


 ブラウン管テレビは、胸に手を当てて『恒例』の決め台詞を言うダニー・サンダーソンの姿を最後に映して、あとは砂嵐を残すのみであった。


 すっかり満足したライリィは頬が熱くなるのを感じながらほーっと大きな息を吐く。


『火星英雄ダニー・サンダーソン』シリーズは、何度観てもいい。20世紀トゥエンティー・エイジのサイエンス・フィクション・クリエイターが作り上げた最高傑作であるとライリィは信じて疑わない。


 特にシーズン2・最終回、『金星女王の復讐!! 地球人VS火星人』は胸がわくわくして、何度リトル・ガーディアンを呼び出して『FOR MARSなりきりごっこ』をしても足りないくらいである。


 ここ最近の『なりきりごっこ』は、ずいぶんと興が乗った……たくさんのお友達が『なりきりごっこ』に参加してくれて、いつも付き合いの悪いパパとママにも見習ってほしいものだとライリィは思う。


 特に、豪華なセレモニー『ごっこ』の準備をしてくれた『スキモノ』の大人と遊ぶのはなかなか熱かった。――火星人の着ぐるみまで用意したのは、さすが大人はお金持ちだ、と感心すらした。


 しばらく楽しい思い出を反芻してから、ライリィはビデオデッキと呼ばれる化石のような機械から、くたくたとなったテープを取り出す。


「ねぇママぁ、FOR MARS 3のVHSってどこぉ?」


「屋根裏の一番奥よ。年代物の超レアな一品だから、傷つけないように観てちょうだいね」


「はぁい」


         ★


 ライリィのママは、屋根裏に駆け上がっていく娘の背中を見つめながら、取り外されたノアの箱舟の操縦桿と、ライリィがすっかり飽きて見向きもしない黄金の勲章を燃えないゴミの袋に放り込んだ。


「あの子の一人勝ちよねぇ」


 窓から天空のマザー・シップが飛び去っていく姿を見送り、ママはつけっぱなしであったライリィのブラウン管テレビの電源をオフにした。

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