第三章~二日目

(旅行二日目)

 朝、清が目を覚ますと隣に和子がいなかった。寝ぼけまなこで部屋を見渡すと、ソファに大人の女性がぼうっと座ってテレビを見ている。驚いて蒲団を蹴りとばし、飛び起きた清が、思わず叫んだ。

「だ、誰だ、お前!」

「あ、起きたの、あなた。お早う」

 その大人の女性がテレビから視線を移し、清の方を向いた。どこかで見たような顔だが、すぐには判らなかった。不思議そうに眺めている清を見たその女性は

「そうなのよ。私も起きてびっくりしちゃった。昨日まで十代だったのに、朝起きたら今度は三十代になっているじゃない。恵子が若かった頃の服を借りたせいかしら。あなたも鏡で自分の顔を見てくださいよ。誠さんの昔の服を着ているから、同じく三十代の頃のあなたの顔になっているわよ」

 清は反射的に壁に貼られた鏡を見た。確かに大人になった、働き盛りの頃の清の顔がそこにあった。服も寝る時にはバスローブだったのに、水色のシャツにクリーム色のジャケットを着て、茶色のチノパンを履いている。枕もとの鏡も、天井の鏡にも三十代の清の姿が写っていた。

 もう一度、ソファに座っている女性を見る。確かに言われてみれば二十数年位前の恵子に似た和子がそこにいた。恵子が昔着ていたようなワンピースを身にまとっている。

「恵子達の服なんか借りてくるんじゃなかったわ。三着とも美咲達の服を借りてきていたら十代のままでいられたかもしれなかったのに」

と悔やんでいる。言っている意味がよく判らない清が説明をしてもらうと、どうも和子の解釈ではツアーの注意書きにあった『若い人が着るような服、着替え』を翔太と美咲から二日分、恵子と誠が二十年ほど前に着ていたであろう古着を一日分持ってきていた。だから昨日は翔太や美咲から借りた服を着て十代に戻っていたが、今日は恵子と誠から借りてきた服で三十代に戻ったのだという。

「じゃあ、明日はまた十代に戻るってことか?」

「三泊四日の旅行で三日分しか借りてこなかったから、明日は八十代に戻って、最終日に若くなるってこともあるかもしれないわ」

「それはないだろう?」

「そんなことわかんないじゃない」

 確かにそうだ。用意してきた服に合わせて変化するのならどうなるかは予測できない。二日続けて十代で、そのあと三十代になっていてもおかしくなかったし、最初に三十代でそれから十代になっていてもおかしくなかったわけだ。

「荷物を持ってきてなくても自動的に着替えられたってわけか」

 清はフンッと鼻で笑ってベッドから下りた。

「何か飲む? 私はお茶をいただいているけど」

 和子はテーブルに備え付けの冷蔵庫から出したペットボトルのお茶をコップに入れて飲んでいた。清は和子の隣に座り、

「これでいいよ」

 和子の飲んでいたお茶を指差すと、和子がもうひとつコップを持って来て清の分を注いでくれた。清はお茶を一口飲んで和子に聞いた。

「今日はどうする?」

「そうね。この格好じゃ渋谷というよりは、そうだ、銀座なんてどう?」

「ほう、銀座か。久し振りだな」

「昨日は十代で原宿と渋谷を歩いて、今日は三十代になって銀ブラするのね」

 和子は自分で言って一人で満足している。

「朝食はどうする?」

 清がもう一口お茶を飲みながら和子を見た。

「お腹すいた? またルームサービス頼む? それとも外に出てから食べる?」

 流れているテレビの表示を見ると六時五十二分、この春から新しいキャスターに変わった天気予報が放送されている。幸い、今日、明日も昨日同様晴れのようだ。

 清は昨日見ていた食事のメニューを眺めたが、いま一つ食べたいという気が起こらない。胃の調子は悪くない。まだ若い健康的な体を維持しているようだ。といっても昨日の様な十代の食欲はなさそうである。あっさりしたものが食べたくなった。

「外で食べるか」

 どこかにサラリーマン用の朝定食のようなものがあるだろう。

「先に荷物を取りに行きたいわ。化粧直しがしたいもの。こんなことになるならロッカーから荷物を取ってくればよかったわ。昨日の姿だったらそんなものいらなかったのに」

 和子はコンパクトで顔を覗いている。手元のバックにはちょっとした化粧直しをする道具しか入ってないらしい。朝起きてからの化粧水などの入ったポーチはロッカーに入っている荷物の中だそうだ。

 女性というのはいくつになっても朝の段取りは大切らしい。結婚してから知ったが女性というものは本当に大変だ。面倒くさがりの清は、とてもまねできないと思う。さらに毎月毎月面倒な準備をして体に変調をきたすなんてぞっとする。そういう場面に出会うと清は男に生まれてよかったといつも思っていた。

 清達は顔を洗って出かける準備を整えた。和子は手元の少ない材料で顔の手入れに準備に時間がかかっている。その間に清はチェックアウトの方法を調べ、電話で精算を伝えることを理解した。そこで料金を伝えられ、カプセルにお金を入れて支払いが済むと後は勝手にチェックアウトすればいいらしい。店員とは顔を合わさなくて済んでホッとした。

 チェックインした時も人に会ってないが、どこかで確認されていたとすると、入ってきた十代のカップルが、出る時は三十代のカップルになって出て行ったことが判れば確実に怪しまれるに違いない。警察に通報されてもおかしくないのだ。

 成り行きとはいえ、普通のホテルに泊まらずによかったと清は思った。こうなると今日、明日の宿泊先も考えなければいけない。また十代になるか、八十代に戻るか、はたまたそのままなのかが全く予想がつかないからだ。

 ホテルを出てからその事を和子に伝えると、和子も頷きながら

「ホントね。どうしましょうか。せっかく今日とか明日はいいホテルにでも泊まろうと思っていたのに。都心の高級ホテルに泊まる機会なんてなかなか無いから」

と残念そうだ。

 二人で荷物の入れてあるロッカーまで歩き、中から化粧道具を取り出した和子は近くにあったトイレで支度を整えた。出てきた和子は綺麗だった。また思わず清は見惚れてしまった。   

 五十年程前の和子はそうだった。恵子を生んで間もなくの頃の和子は心臓に負担を持ちながら無事に出産を終えて自らの命も危うかった。幼い頃の病弱だった頃に戻ったような和子は、なんとか生きながらえようとする健気な彼女は、はかない命と引き換えにとても美しい姿をしていたのだ。その頃の和子がそこにいた。

 あの頃のことを思い出した清の目が潤む。

「どうしたの?」

 首を傾げる和子をよそに

「なんでもない」

 と清は和子に涙を見られないように先を歩いた。

 二人は明治神宮前から地下鉄で銀座に向かい、宿泊は難しいから、と言って帝国ホテルまで歩き、和洋食が揃ったバイキング形式の朝食だけでも食べようか、ということになった。

 平日の朝という事もあり、ホテルの中はそれほど人も混雑していない分、清達はゆったりとした時間を過ごすことができた。寝ている間に着替えさせられていたため、少しだけジャケットがしわになっているのが気になったが、高級ホテルにいても違和感なく佇むことができる。

 昨日の翔太から借りた、穴のあいたジーンズではここに入ることはなかったであろう。十代の体もよかったが、この三十代の体もまた違う趣を体感できてよかったのかもしれない。

 朝食を食べ終えてもまだ九時前。銀座周辺のお店はどこもまだ開いていない。銀座周辺の開店は早くて十時、だいたいが十一時くらいのお店が多い。

 清達は全国チェーンのコーヒー店に入り時間を潰すことにした。この銀座店が日本一号店らしい。外人さんのお客が妙に多い気がする。清が三十代の頃は学生運動があった時代だ。

 すでに社会人だった清はただただ働くことで、そして幼い恵子の成長を楽しみ、和子の健康に気をもんでいた頃でもある。和子が命をかけて恵子を生んでくれた。その後も心臓がいつ悪化するかと心配だった。清はあの時ばかりは病院の先生だけでなく神にも仏にも祈った。自分の命と引き替えにしても和子の命を助けて欲しいと、自分の寿命を和子に上げて欲しいと願ったものだ。

 あれからもう六十年近く経った。清も日本人の男の平均寿命を超えている。自分はもう十分すぎるほど生きた。和子は女性の平均寿命まであと少しある。今の和子を見ていればもう大丈夫であろう。神も仏も清の願い以上のことを叶えてくれた。ありがたいことだ。

「何考えているの?」

 和子が清の顔を心配そうに覗きこむ。もう大丈夫だ。清は先ほどより落ち着いて答えられた。

「ああ、自分達が三十代の頃を思い出していたんだ。和子が大変だった時期だったな」

 清がコーヒーを飲みながらそういうと、和子はあっけらかんとした顔で

「そうだったわね。なんかいつまで生きられるとか大騒ぎしてもう恵子も五十九でしょ。半世紀以上も生きちゃったわ」

と大笑いしている。清も笑った。

「そうだな」

 ゆっくりと時間を潰した清達は、十時を過ぎた頃、コインロッカーに荷物を預け、銀座の店をまわった。何を買う訳でもない。ただ見てまわるだけだ。それが和子のような女性にはたまらなく楽しいことなのだ。

 おしゃれのしたい頃には恵子の育児と自分の健康のことばかりを気にしていた和子は、こんな銀ブラなんかしたことがなかったはずだ。恵子が大人になり、心臓も安定した頃にはもういい年になっていた和子は、やっと友人達と銀座などで楽しんだことはあるだろう。ただ本当に楽しめる時期に楽しむことができなかったという後悔があったのではないか。そんな時期をもう一度楽しませることができた。

 そこで清は気になり尋ねた。

「おまえ、体の方は大丈夫か?」

 ブランドバックを眺めていた和子は、突然の質問にキョトンとしている。

「大丈夫よ? ああ、心臓まであの時に戻っているかもってこと? 問題ないみたいよ」

 また和子はあどけない顔で微笑んだ。その言葉に安心した清は、

「何か気に入ったものがあれば買うか? 少々高くても今の姿ならカードを使っても不審に思われないだろう」

 和子はまた眼を丸くしていたが、ニコッとして

「さすがにいいわよ。今の姿で買ったって、元に戻ってから恵子にあげる訳にもいかないでしょ」

「服は難しいが、良いブランドバックだったら元の姿に戻ってからも使えるだろ」

「何言っているのよ。もうそんな贅沢品を身につけるような歳じゃないわ」

 和子は昔からそれほど贅沢をしたことが無い。だからといってケチるわけでもない。お金の管理はすべて和子に任せてきた清は、会社の付き合いなどでお金が必要な時でも黙って用立ててくれる和子に感謝していた。

 もともと物欲の少ない清と和子は、大きな買い物といったら、家を買った時ぐらいだ。恵子が中学生になって和子の体も安定した頃、将来のことを考えて思い切って買ったのが四十年ほど前。その後、恵子が結婚して清が六十歳の定年が近くになって来た三十年前、バブルで土地価格が高騰し、清達の家も相当資産価値が高まったため思い切って売却したのも和子の提案があったからだ。

 当時、銀行員と結婚した恵子は、今後夫の転勤に合わせて会社の社宅を転々とする生活が長く続く、と考えた和子は、

「恵子の為に古くなった土地建物を残すより、お金を残してあげた方がいい。今なら高く売れるらしいし、私達二人ならしばらくは賃貸のマンションで十分よ。あなたが六十で会社を辞めたら退職金も入るし、その後働くにしても何か始めるにしても、老後の生活に困ることはないから、自由に使えるお金を用意しましょう」

 と言われ、その通りにしたらその後バブルははじけ、土地の価値は下がり、土地が大きく下がった。

 さらにその後翔太と恵子が小学生に上がる時期を考えて、子供の教育上、誠と一緒に色んな土地へ転勤の度に連れていくよりは、東京に家を持ったほうがいいと同じ敷地に二つの家を建てたのが十年前で、これも和子が恵子と話し合って決めたことだ。

 誠は当時すでに三カ所ほど転勤を重ねていたからだ。清もまたそれに従った。思えば和子の言うとおりにしてきたから、会社を完全に辞めても悠々自適な生活も送ることができ、今大変な時期である恵子や誠達にもしっかりとした資産を残してあげることができている。

「お昼、どこで食べようか?」

 お店を覗いていた和子が振り返って無邪気に言った。

「何が食べたい? 俺は何でもいいぞ」

 ちょっと考えた和子は

「昨日までこってりしたものばかりだったから、和食がいいかしら。お寿司なんかどう?」

 和子の選択に間違いはない。だいたい清が考えていること同じ選択をする。清の好みや考えが和子には手に取るように判るのだろう。和子が選択しているように見えて清に合わせてくれているのだという事が改めて理解できる。

 銀座は築地も近く、いいお寿司屋さんが多い。二人は少し奮発して有名店の暖簾をくぐる。和子はもっと安そうなところでも、と少し躊躇していたが、せっかくだからという清の言葉に後押しされ、嬉々として店に入った。

「やっぱり高いだけあって美味しいわね!」

 和子は舌鼓を打っている。ランチメニューにあったお勧めの握り十二貫コースを頼んだ和子は、白身から食べ始めていた。旬のスズキの握りだ。光ものはアジがある。これも今が旬の魚だ。他にはアオリイカ、車海老、カツオにマグロの赤身、トリ貝にホタテ、アナゴ、ウニとイクラの軍艦巻き、そしてタマゴがあった。

 清も同じものを注文した。握りの他にはお味噌汁と食後のデザートが付いている。清はタマゴから食べ、スズキ、イカ、ホタテと食べていく。高いだけあって確かに旨い。ガリをつまみながら指を舐め、味噌汁を飲んだ。白みそに海苔とネギのシンプルな味がまたなんとも言えない。次の寿司ネタにすぐ手を伸ばしたくなる、食をすすめる味だ。

 清は味覚についてもふと考えた。昨日の様な食事をしていたかと思うと今日は繊細な味わいを楽しんでいる。これもそれなりの年齢を重ねたからこそ得られるものだろう。時間とともに失うものがあればまた新たに身につけるものもある。食の好みなんてものはまさしくそうだ。

 歳を取ると若い頃の様な量を食べられなくなる分、少ない量でより味わい深いものを食べたくなる。またさらに歳を取るとまたそのこだわりが過去に食べた物へと回帰するようになった。

 昔から食べ慣れている味噌汁にお漬け物、焼き魚、それだけで十分お腹を満たすようになる。清が胃を悪くしてからは特にそうだった。味付けは徐々に薄くなる。小さい頃は味付けなんてないに等しいものばかり食べていた。健康上の理由だけじゃない、体が昔に戻ろうとしているかのようにも思える。

 清が最後にアジの握りを頬張った時、同じカウンターに座っていた他の客からの視線を感じた。何気なく顔をそちらにむけると、清との間に三人ほど客を挟んだ所に遠い昔に見覚えのある女性の顔があった。

 年は二十代後半だろうか、その若い女性は目が合った清を見て軽く会釈をしている。清の体に電流が走る。

「さっちゃん!」

 清は落ち着いた店にはふさわしくない大きな声を出し、立ち上がってしまっていた。

 

「驚いたわ」

 店から出た清達とさっちゃん、そしてその連れ合いの方の四人は、近くの喫茶店に入りお茶を飲んでいた。

「本当にこんなことがあるんだね」

「もう何年振りになるかしら、田端さんとお会いするのは」

「かれこれ五十年以上は経つんじゃないかな」

 清がそう言うと、さっちゃんも頷く。

「そうですね。ちょうど今の田端さんくらいの頃かしら」

 横では和子が無表情で静かに座っている。さっちゃんのご主人はにこにこと笑っているのとはとても対照的だった。

 その空気を察したのか、何も言えないでいる清に代わってさっちゃんが話しだした。

「紹介が遅れました。私、田端さんに昔お世話になった神田幸子と申します。当時は佐藤でしたけど、五十年前隣の主人と結婚しまして」

「神田辰雄と申します。家内と結婚してもうすぐ五十年なので記念旅行として今回のツアーに参加させていただいたんです」

 さっちゃんのご主人は今の見た目は三十前後だ。誠実そうな好青年といった感じだ。たまたまこの二人も清達の参加したミステリーツアーに参加して、同じバスに乗っていたというのだ。そしてツアー二日目の今、神田夫妻は二人が結婚した当時の姿になってたまたま同じ銀座に遊びにきて同じ寿司屋に入ったということらしい。

 結婚したと言うなら清が幸子と知り合った頃よりもう少し後のことだ。二人が飲み屋で会ったのは清が三十七歳、幸子が二十七歳だった。彼女は清より十歳下のはずだから、実年齢は七十九歳、あれからしばらくして二人は一緒になったという事か。

「私が結婚してあの店を辞めた頃は、もう田端さんはうちの店には飲みに来られなくなっていましたから私が結婚したことも知らなかったんでしょうね」

「そうなんですね。私も幸子の店にはよく通っていましたから田端さんとは絶対会っているはずなんです」

 神田さんは笑ったが、清は笑えなかった。清には神田辰雄の顔に見覚えがない。

「ちょうど部署の異動があって飲み仲間が変わってからはあの店にはいってなかったんだよ。だからさっちゃんが、いや幸子さんが結婚したのも知らなかった」

 清はなんとかそう話を見つくろった。

「でも田端さん、お寿司屋さんでよく私のこと、お気づきになられましたね。私はバスの中でタバタキヨシさんって呼ばれた時から気づいていましたけど」

 幸子もそう言って笑っている。清もなんとなく笑ったが、顔が微妙に引き吊っていた。

 幸子とは、清の上司にたまたま連れて行かれた飲み屋で知り合った。恵子も小学校に上がり、和子の体も安定してきたため、それまで飲みに行くことを控えていた清を上司が少し気晴らしにと無理やりつれだしたのだ。

 そこでホステスのバイトのようなことをやっていた幸子と仲良くなった清はちょくちょく幸子の店に通うようになってしまった。そして清はある日、酔っ払いすぎて朝起きたら幸子の部屋で目を覚ましたことがあるのだ。

 慌てて清は彼女の部屋を出て、それから顔を合わすこともできなくなり、清は店に行かなくなった。

「そうね。清さんはよく幸子さんのこと覚えていたわね」

 それまで黙っていた和子が初めて喋った。うろたえる清に幸子が助け船を出した。

「私が目で挨拶したからですよね。昔、田端さんってお店に飲みに行くことって滅多にないって言っていましたから水商売の女性って私ぐらいしか知らなかったんじゃないですかね。だから覚えていたんでしょう」

 幸子の言葉に清は無言で頷いていた。

「でも幸子さんも良く、清のことを覚えていましたね。四十年近く前でしょう? 色んなお客さんがいらっしゃったでしょうに」

 和子が幸子に食いついた。幸子はそこで真面目な顔になって和子に向き合い、

「私は田端さんには本当に感謝しているんです。今の私があるのも田端さんのおかげなんですよ。ですから奥様の和子さんにも是非お会いしたいと思っていました。その夢が今叶って本当に良かったと思っています」

 と、潤んだ目をして和子の手を握った。予想外の幸子の行動に和子は戸惑っているようだった。幸子は静かに話しだした。

「あの頃、私も奥様と同様に心臓に病気を抱えていたんです」

 幸子の告白に和子は目を大きく見開いて驚いている。

「それほど裕福でなかった家庭の事情で、自分の心臓の治療費を稼ぐために友人の紹介で夜のお仕事をしていた私は、清さんと初めて会った時、偶然その事を話したんです。そうしたら清さんの奥さんも同じ様に心臓の病気を患っていると伺いました」

 そうだった。初めて飲みに行ったお店で、清の横に着いた若い女の子の顔色が悪いため聞いてみるとそんな話をされたのだった。そこで清は和子の話をして、心臓が悪くても子供まで産んで今は元気にやっていると励まし、妻が通っている病院を紹介し、心臓の病気に詳しい先生を教えたのだった。

「それまでの私は病弱な体を言い訳にして生きる希望を失っていました。でも田端さんに教えていただいた病院に通うようになって、紹介していただいた先生に診てもらって、そこで奥様の話も心臓病を患いながらも病状が回復した患者さんの例の一つとして聞きました。そして私は勇気をいただき、生きる希望が湧いてきたんです」

「実は私、当時田端さんのことを幸子から聞いていました。私が幸子と結婚できたのも田端さんのおかげなんです」

 そう言って神田さんは清に頭を下げた。その顔は真剣そのものだった。冗談で言っている訳ではないようだ。

「幸子と私は幼馴染だったんです。ですから彼女が病弱なのは良く知っていたんです。それでも私は幸子と結婚したいとプロポーズをし続けていました。でも幸子はずっと拒んでいました。体のこともありましたし、またそのことで私の親や親戚も長男である私と幸子との結婚に反対していたんです」

 確かにあの頃は体の弱い、結婚して子供も産めないかもしれないような女性と結婚を許してくれるような時代ではなかったかもしれない。ましてや長男ということで神田家の人々も余計にこだわっていたのだろう。

「そんな臆病になっている私が田端さんに出会って勇気をいただいたんです。田端さんは、初めて会った時から時々お店に顔を出しては、私の病状などを心配してくれ、そして奥様の話をしていただきました。絶対大丈夫だ、絶対良くなる、諦めるんじゃない。いつも田端さんは私にそう言ってくれました。そんな田端さん夫婦の話を聞いて私は彼と結婚する覚悟を決めたんです。一人では難しくても二人でなら、田端さん達の様に支え合えば絶対良くなる、と思ったんです」

 幸子は頬に涙を伝わらせ、隣でご主人も泣いていた。

「おかげさまで私は主人と結婚できました。主人は親をなんとか説得し、反対していたのを押し切って結婚しました。そして結婚して五年後に子供も男の子一人生むことができました。もうその子も結婚して孫が二人います」

「まあ、それはよかったわね」

 和子は幸子の手を握り返し、涙眼でそう言った。

「ありがとうございます。お二人にこうしてお会いできて本当に良かった。私はツアーに参加してこの年齢になった意味が今わかりました。神様は田端さんと合わせるためにここに呼んだんだと思います。もう思い残すことはありません」

 大げさな、と言いかけた清の言葉を遮るように神田さんが付け加えた。

「実は、家内は末期のすい臓がんにかかって、余命半年といわれているんです。そのための最後の旅行としてこのツアーに参加したんです」

 神田さんは、最後の旅行、というところから大声で泣き崩れた。喫茶店に響いたその声に周りのお客さん達が驚いていた。それ以上に清と和子も絶句したのだが。

「ですから、ここでお会いしたのはただの偶然じゃないと思うんです。私は死ぬ前に田端さんにお礼を言いたくて何度かご連絡しようとしたんですが、時が経ち過ぎていて連絡先が判らなくなったんです」

 確かに清はあれから家を購入し、また売却して引っ越ししてまた家を建てて、と住所も何度か変わっている。こんなこともあるのかと呆然としている清に二人は深々とまた頭を下げた。

 神田夫妻と喫茶店で別れ、清と和子はまた銀座の街を並んで歩いていた。

「このツアーもすごいことしてくれるわよね」

 和子が清に話しかける。清も同感だった。黙っている清に和子は

「私、最初はもしかして幸子さんってあなたの昔の浮気相手かしらって思っていたのよ。でも全く違ってホッとしたというのかちょっとがっかりしたというのか、良く判らなくなったわ」

 清はドキッとしながら

「なんだよ。浮気なんかするわけないだろ。それにホッとしたならわかるががっかりって何だ」

 と、強気で答えると

「ちょっとぐらい、あなたにそういう色気みたいなのがあってもいいのかなって思ったんだけど無かったみたいね」

 和子は清の手を握って機嫌がいいんだか悪いんだか、腕をぶんぶん振り出した。

 先ほど、喫茶店で和子と幸子が一緒にトイレに立った時、清はこっそり神田さんから教わった。

「奥様がいらっしゃったから言いませんでしたが、あの日は何にもなかったんですよ」

 驚く清に神田さんは説明してくれた。珍しく酔っ払った清が幸子に部屋で目を覚ましたのは、あの時店にいた神田さんが、店に近い幸子の部屋に幸子と二人で清を運んだ、というのだ。当然その部屋には幸子も神田さんも泊まっていたという。神田さんは前から清のことを幸子から聞いていたので、二人が結婚する時には仲人まで頼むつもりだったという。 

 しかし清が酔っ払って幸子の部屋に来た次の日の朝、目を覚ました清が幸子や神田さんのことなど全く目もくれず、一目散に出て行ってから清は店にも顔を出さなくなったため、諦めたのだというのだ。おそらく清は勘違いしているだろうと思っていたが、変に清の家庭に波風を立てるのも悪いと思い、その時は無理に清と連絡を取ることをやめたようだ。

 清はその話を聞いて胸をなでおろした。自分の中では全く身に覚えが無かったが、酔っ払っていたからもしかして、という恐れを抱いていたのは確かだ。和子を裏切ってしまったかもしれないという心の小さな棘がやっと今清の胸からポトリと落ちた気がした。

 ただ、後ろめたい行動をした気分が抜けなかった清は、銀座エルメスの店に入り、和子にケリー・バッグを買ってやった。ハリウッド女優からモナコ王妃になり、悲運の事故で亡くなったグレース・ケリーは和子にとって憧れの人であった。そのグレース・ケリーが妊娠中に今でいうパパラッチから大きくなったお腹を隠すために使ったバッグ、というのがその名の由来だ。

 前から和子が口には出さないが欲しがっているのを知っていた清だが、たかがバッグに百万円近く出すのも馬鹿らしいと無視していた。もっと早く買ってやれば良かった、と清は今では後悔している。

 エルメスショップの奥にある喫茶店でまたコーヒーを飲み、興奮しながら和子はグレース・ケリーがいかに素晴らしいかをとうとうと語っていた。そんな話は昔にも散々聞いたことがある。だから完全に会社を辞めて二人で旅行を計画した時に、モナコもその中に入っていたのだ。

 ただあまりにも嬉しくて興奮していたのか、長い飛行機での旅が負担だったのか、和子はモナコを旅行中に体調を崩してしまったのだ。その時に行けなかった観光スポットのことなどを悔しそうに語る和子を見ていると、またモナコに連れて行ってやりたくなるが、それはもう叶わないことだと清は諦めていた。だからせめてバッグでも、と清は思ったのだ。

 

 次はどこ行こう、上野でも行こうか、と荷物の置いてある銀座三越のほうに歩いて行くと、百貨店の入り口で、和子が先に気がついた。

「あれ、もしかして誠さんかしら?」

 和子の指さす先には誠らしき男の姿が確かにいた。ぼんやりと一人でいる。なんとなしに気になった清達は誠の後を追った。誠はエスカレーターに乗り、一階、また一階と登っていく。

「何処に行くのかしら」

 デパートの本館八階までエスカレーターで上がった誠は、八階からさらに上に上がろうとバッグと靴売り場の間を通り、エレベーター乗り場に向かった。

「屋上に行く気のようだ」

 エレベーターが開くと誠はそれに乗った。誠が乗ったエレベーターが屋上に止まったのを確認して清達もエレベーターを待つことにする。胸騒ぎが収まらない。

「誠さん、変なこと考えてなんかないわよね? ね?」

 和子は清に同意を求めるようにすがる。清は和子の腕をさすりながら

「大丈夫だ、大丈夫」

 と言い聞かせ、エレベーターを待った。一回下がってしまったエレベーターがなかなか上がってこない。

 上にはエレベーターでしか行けない。北階段という階段で普段は登れるようにもなっているらしいが、張り紙が張ってあり、今の時間は一時的に使えないようだ。焦る気持ちを抑えながら清は和子をさすり続けた。たった一階登るだけなのに、十分ほどの待ち時間が永遠かと思われるほど長く感じた。

 やっと来たエレベーターに乗り、清達が屋上に上がると、そこには広場が広がり、道路を挟んで向かい側にある和光の時計が大きく目の前に見える。清はその反対側の端にある神社でしゃがんでいる誠を見つけた。そこで彼は何かをお祈りしているようだった。

 誠の無事な姿を見て安心した清達は、少し離れた所で彼の様子を見守ることにする。神社の前で祈り終わった誠は、今度はふわっと立ち上がり、広場の方にゆっくりと歩きはじめ、屋上の端まで行くと、そこにある金網に手をかけ、遠くの景色を眺めていた。

 長い間、誠は金網に手をかけながらじっとしている。すると和子は我慢をし切れなくなったのか、すたすたと誠に歩み寄っていく。清もその後を追った。和子は誠のそばまで来ると背後から声をかけた。

「良い天気ですよね。今日は素晴らしい景色だわ」

 和子の声に驚いた誠は振り向いた。和子は、さらに後ろにいる清の方に目を移し、ねえ? とばかりに振り向く。清もそれに合わせて、ああ、と答える。

 誠は近づいてくる和子と清の姿を見比べるように交互に視線を動かすと、清の着ている服に目がとまった。じっと清のジャケットを見つめていた誠が視線を上げると

「それと同じ服を私も持っていますよ」

 と誠が笑って清に話しかけてきた。清は驚いた。誠にすれば見も知らぬ自分より若い男女が近づいてきたのに、自分の方から話題を振ってきた行動が信じられなかった。

 誠が心の病にかかってからは、どこかびくびくしている彼の姿ばかりを見てきた清にとっては意外なことだった。また誠の清に向けられる笑顔がとても気持ちのいい、今まで見たことのない優しい顔をしていた。

「あ、ああそうですか。家内が見立ててくれたものですよ」

 清がかろうじてそう答えると、誠は

「僕もそうでした。カミさんが買ってきてくれたんです。もう十年以上前だったかな」

 清は和子の顔を見た。和子も驚いた顔をしている。そういう事は全く知らずに勝手に借りてきたのであろう。

「ご夫婦で買い物ですか?」

 誠がさらに話しかけてくる。

「そうなの。あなたはおひとりで?」

 和子が誠に聞き返す。誠は少し俯いた後、

「そうなんです。ちょっと体を壊しているものですから、気晴らしに一人でここまで来たんですよ。この場所はカミさんとよく昔、デートをした場所でしてね」

 誠はそう言って金網から離れ、長椅子を指差した。

「天気のいい日にここに上がってきて、ああいう長椅子に座って二人でよく話をしていました。子供ができてからもここに連れてきたこともあります。ただ子供達にとってここは何にもなくてつまらない場所だったかもしれませんけど」

 誠は苦笑いしながら長椅子のほうに歩いて行く。ここの屋上は先ほどの神社と有名な出世地蔵がある他にはただ何もない空間が広がっている、遊園地の様な遊具もなく、お店もない。喫煙場所として、またちょっとした休憩のための長椅子がいくつか置いているだけだ。

 誠はその長椅子の一つに腰かけた。なんとなしに清も和子もその後に続き、誠の隣に清が、その隣に和子が腰をおろした。長い沈黙が続く。誠はぼんやりと青空を見上げている。

「なにかあったの?」

 三人の間に漂う重い空気にたまりかねて、和子が誠に声をかけた。誠はゆっくりと顔を下ろし、正面を見据えながら

「何もないんです。もう何もない。だからこれから何があるか考えているんです」

 と自分に言い聞かせるように呟く。

「悩まず、考えるんです。悩んでいても先に進まないから、前に進むためにひたすら考えるんです」

 誠の言葉に清達は何も言えなくなった。ただ、このまま誠を一人にするには心配で、清達はどうしようかと迷っていた。そうしているうちに時間は夕方も五時過ぎになっている。

 突然誠が立ちあがり、ゆっくりと歩き出してエレベーターの方に向かった。清達も慌てて立ち上がり、誠の後追って一緒に階下へ降りた。途中

「これから何処に行くんですか?」

と和子が誠に聞くと、一言返事があった。

「帰ります」

 そこで清は和子と耳打ちして、心配だから家まであとをつけようと話し合い、和子が誠の後をつけている間に清はコインロッカーに荷物を取りに行くことになった。 

 荷物を取り出した清は和子の携帯に連絡をすると、和子は誠について行き、有楽町駅のホームにいるというので急いで向かった。なんとか和子と合流して誠の乗る電車の一両離れた車両に乗り込んだ清達は、結局誠の家、清達の家の最寄り駅まで来てしまった。

「本当に家に帰るだけだったようだな」

 清が和子に言うと、和子も少し安心した顔で清に言った。

「そうね。でもここまで来たんだから、一応誠さんが家の中に入るまでは心配だからついて行きましょうよ」

「そうだな」

 清達はゆっくりと歩く誠の後ろをついて歩いた。清は妙な気分だった。いつも利用している駅からの街並みが違って見える。五十年程若返った姿で歩いているからだろうか。和子に聞くと和子もまた同じ感想を答えた。不思議なものだ。同じ景色も違う時間軸で感じることは異なるようだ。普段気にならなかった看板やお店が目に付くようになる。こんな店あったかな、こんな看板初めて見たな、という新しい発見があった。そんな風に周りに気を取られていると清は一瞬誠の姿を見失っていた。

「おい、誠くんはどこに行った?」

 慌てて和子に確認すると、

「あのお店に入っていったわよ」

 和子の視線の先はチェーン店の居酒屋の看板が光っている。清は和子と目を合わせた。

 二人は近所なのに初めて入る店の扉をそっと開けて中を覗いた。

「いらっしゃいませ!」

 店員の大声で迎えられ、その迫力に押されて店の中に案内されることになった。時間は六時を過ぎ、お酒を飲むにまだ早すぎる時間だと思った清だったが、夕飯を食べるために来ている人が多いようで、結構店の中は混んでいる。中には子供連れの家族もいた。

「なるほど。こういう居酒屋で食事するっていう方法もあるんだな」

 清は感心しながら店員に案内された席に座ると、和子が清にひじ打ちをする。

「ねえ、ねえ、あそこ、見て、見て」

 清が和子の目の先を追いかけると、そこには誠の姿があった。中ジョッキに小皿が一つ、誠の席のテーブルに置かれている。ちびちびとビールを喉に流しながら、誠はお通しをつまんでいた。清達の席の斜め横で背を向けて座っている。

「ここなら様子を見てられるな」

 二人は腰を落ち着け、せっかくだからここで食事を済まそうか、と話し、メニューを開いて何を食べようか、と和子に相談しようとした清は、そのあまりの種類の多さに驚いた。お酒のツマミに合いそうなものだけでなく、和食から中華、洋食も揃っており、小さな子供でも食べられるようなお子様ランチまである。

「お酒は、飲んでも、いいかな」

 清がいうと、眉間にしわをよせた和子は

「しょうがないわね。ちょっとだけですよ。私も飲もうかしら」

 と二人でビールを頼むことにし、枝豆、大根サラダ、揚げだし豆腐、串焼きの盛り合わせに釜めしを注文した。

 注文を待っている間、誠の様子を盗み見たが、誠は注文したサラダやコロッケ、鶏のから揚げにおにぎりを静かに食べている。誠もここで夕飯をすませるつもりのようだ。

 恵子はまだ仕事で帰っていないのだろう。残業で遅くなるからそれぞれで食べて、という事にでもなっているのだろうか。翔太や美咲達は食事をどうしているのかが、清は心配になった。今までは、家が隣同士でも食事などは基本的に全く別で、お互いの生活に干渉はしないようにしていたが、急に清は気になったのだ。

 誠が会社を辞めて主夫になってからは、誠が翔太達の食事も作ることがあるとは聞いていたが、今日はどうしたのだろうか。翔太も美咲も高校生二年生だし食事ぐらい自分達で何とかするだろうが、清達が旅行でいない時にこんなにバラバラでいいのか、と清はだんだん腹が立ってきた。

「ちょっと行ってくる」

 我慢しきれず清は席を立ち、ジョッキを持って誠の席に向かって近づいて行った。

「え? 何、何?」

 和子は清の突然の行動に唖然としている。清の広い背中を目で追う。

「ちょっと、ここいいかな?」

 いきなり背後から話しかけられ、振り向いた誠の返事を待たず、清は空いている誠の正面の席に座り、手に持っていたジョッキを置いた。何も言えないでいる誠に

「君、いやあなたはここで何をしているんですか?」

 今の姿は十歳ほど誠の方が年上であるため、清は敬語に切り替えたが、口調は完全に問い詰めるような勢いだ。

「い、いや、ここで久しぶりに夕食をすまそうかと……。あ、あなたさっき銀座であった方、ですよね?」

 誠は揚げだし豆腐をつかんでいた箸を置き、清の顔を不思議そうに見ながら答えた。

「あなたは確かご結婚されていましたよね? 確かお子さんもいらっしゃるとか。ご家族とは食事を一緒にされないんですか?」

 質問を畳みかける清に、助け船を出すように和子がやってきた。

「あらあら、偶然ですね。先ほどはどうも。おひとりで食事ですか? 私達もご一緒させていただいていいかしら。あ、店員さん、あそこの席のお皿、こっちに持ってきてもらえる? 席をこっちに移動するから。そうそう、その席の。お願いね」

 和子も誠が何か言う前に、すでに手に持っていた荷物を床に置き、ニコニコと笑顔を振りまきながら清の隣に座った。呆れて言葉も出ない誠に

「ごめんなさいね、押しかけて。でも一人より複数で食べたほうが食事は美味しいでしょ。あ、これあなたもいかが?」

 と和子は店員が持ってきた清達が注文した串焼きの盛り合わせを差し出した。

「い、いえ、私は結構です。お二人もこの近くにお住まいなんですか?」

 やっとのことで誠は清達に話しかけた。

「ええ、ちょっとこちらに用がありまして。偶然ね。あなたはこちらのほうに?」

 自分達のことは言葉を濁しながら、和子は串焼きを手に取り頬張り、自分のジョッキに口をつけた。

「そうです。もう少し歩いたところに住んでいるんですが、今日は家内が仕事で遅くなるって連絡があって、子供達も友達の所で食事を済ませてくると言うので、一人だったらここで食べていこうと思いまして」

 なるほど、そういう事か、と納得している清をよそに

「よくおひとりで食事をされるんですか?」

 和子がさらに突っ込んで質問する。それも聞きたかったことだと清が思っていると

「いえ、たまにですよ。基本的には家で家族そろって食べます。お二人はよくここで食事されるんですか?」

「いえ、はじめてです。私達もたまたまで、ちょっとあなたをこちらで見かけたもんですからつい、この店にはいっちゃって」

 和子の言葉に誠は急に不審そうな顔つきで清達を見はじめたため、

「正直に言いましょう。銀座であなたをお見かけした時から行動がおかしかったもので、心配になってついて来たんです。あなた、なにか悩みごとがおありのようですね。もしかして、さっき銀座の屋上で死のうとか思ったんじゃないでしょうね」

 清は、自分の元の姿では聞けないようなことを思い切って口にした。和子が横から、ちょっとあなた、と清の袖を引っ張る。強張った顔で誠は清の顔をしばらく睨んでいたが、ふっ、と緊張を解いてビールを一口飲んでから、清達に頭を下げた。

「ご心配かけてすみません。確かに普通の方が見たら平日の昼間にいい年をした男が一人、あんなところでうろうろしていたら、挙動不審に見えますよね」

 自虐的な誠の言葉に、和子が慌ててごまかした。

「いえ、そんなことないですよ。すみません。主人が失礼なこと言って、もう酔っ払ったのかしらもう!」

 清の腕を叩いている和子にむかって誠は手で制しながら

「いえ、奥さん、ご主人の心配は当たらずとも遠からず、です。でもご安心ください。別に死のうと思ってあそこに行ったわけじゃないんですよ」

と笑って答えた。その答えにホッとした清は、今度は優しい口調で

「でも何かお悩みだ、ということですね。赤の他人にいきなりは難しいかも知れませんが、私達でよければお話はいくらでも聞きますよ。ほら、誰かに何か言うだけですっきりすることってあるじゃないですか」

 そう問いかけた。誠も表情を和らげた。

「ありがとうございます。あなた達はカウンセリングか何かやってらっしゃるんですか? まるで病院の先生がおっしゃるような話し方をされますね」

「いえいえ、カウンセリングなんてとんでもない。ただ、なんとなく困っているようなあなたを見てほっとけなくなった、というだけですよ。余計な世話を焼きたがるただのおせっかい好きです」

 和子はそう言って誠に微笑んだ。誠は和子の顔をみて、そして俯いて言った。

「いえ。ありがたいです。そうやって声をかけていただいて。実は恥ずかしながら、つい三ヶ月ほど前、精神を病みましてそれで会社を辞めたんですよ」

 誠の正直な告白に清も和子も思わず黙ってしまった。

「私は今年四十五になります。この歳で子供が十七になる男の子と女の子がいましてね。幸い、家内のお父さんお母さんの援助のおかげで、持ち家もあって今までの貯えで経済的にもしばらく困りはしないんです。家内も働いてくれていますし」

 誠はゆっくりと、一つ一つ会社を辞めるまでの過程などを説明してくれた。すでに知っていることとはいえ、清達もあらためて本人の口から語られる話に思わず目を潤ませた。

 誠は続ける。

「悩んではいないんです。もう悩む時期は過ぎました。悩んでいてもしょうがないと思えるようになったんです。悩むより、考えようという気持ちに切り替えました。最初は悩みました。また自分を責めました。自分は会社というストレスにどうして耐えられることができないんだろう。どうして打ち勝つことができないんだろう。結局その辛さに自分は負けたんじゃないかって。情けないって。そして会社に申し訳ない。妻に申し訳ない、子供達に申し訳ない、私や家内の親達にも申し訳ないって」

 そう語る誠の顔が少し歪んだ。

「でも今は悩んでもしょうがない、悩んでも前に進まない、考えよう、前に進むためにはどうすればいいか考えようとしています。結局考えて、私は会社を辞めることにしました。なんとか自分の考え方を変えて会社に復帰しようと思いましたが、それができなかったんです。私がその事自体を悩むんじゃなく、体が、心が、信号を出してくれているんだと考えるようになり、別の道を歩む選択もあるんじゃないかと思った時、少し体が楽になったんです。それで前に進むために会社を辞めました。そして今、私が考えなければならないのは、これからどうやって自分の体を回復させながら、家庭の中での役割をどうすればいいか、悩むんじゃなく、考えているんです」

 誠の切実な思いに、清も和子も涙を抑えることに必死で声をかけることができなかった。ただただ、誠の話をしっかりと聞いてあげることしか今はできないのだ、とも考えた。

 下手な慰めや助言は、今の誠に対してあまりにも無責任すぎるような気がした清は、言葉を継ぐことができなかった。

「まだしっかりとした答えは見つかっていないんですが、でも少しずつ自分の位置を見つけられそうなんです。そうやって考えている私が、あなた達お二人には危うく見えたのかもしれません。でも見つけられそうなんです。私は五十を過ぎて人生の折り返し地点を曲がりました。でも今の時代ではまだ、折り返し地点を曲がったばかりなんです。もう、じゃなくまだ、なんです。これからがまた新たな人生が始まっていると思うんです。もちろんその人生もまた苦しいことがあるかもしれません。でも楽しいこともあるはずです。だって今までの人生でも私は妻に出会い、そして子供達に出会って幸せでした。これからまた新たな幸せがあるんだと考えています。そして、簡単な道ではないでしょうが、いまどうやって自分を生かそうかと悩まず、考えているんです」

 誠はこの時、下を向いてはいなかった。まっすぐ清達の目を見て話をしていた。その目はキラキラと輝き、まるで少年の様な希望に満ちている。揺らいでなどいない。いやこれから時折揺らぐことはあるだろう。でも彼は、それでも悩まず考えることでその壁を超えることができるのだろう、と清は確信した。

 清の懸案していたことの一つがここでまた瓦解した。もう涙を留めることはできなかった。清は和子とともにあふれる涙をそのままにして、逞しい義理の息子を黙って見つめていた。

「ありがとうございます。話をしているだけで気分も楽になりました。お二人に聞いていただいて、また自分の思いを整理することができました。不思議ですね。何かお二人に話していると温かく見守っていただいている気がします。私より若い人に何を言っているのかと思われるかも知れませんが、まるで二人は私の義理の父や母のような空気をお持ちだ」

 ギクリとして我に返った清と和子に、誠は更に話しだす。

「私の義理の父と母は本当に仲が良くて、私達の理想とする夫婦像なんですよ。とてもお互いが信頼し合っていて、言葉少なくても心で通じ合っている、とても温かい人達なんです。妻もその点はいつも私に自慢しています」

 はじめて聞く話に清と和子は恥ずかしい思いをしていた。恵子がそんな事を言っているなんて初耳だ。やれ煩いだの、干渉するなと抵抗するわが娘の裏の本音を聞いて、また清は涙ぐむ。和子は逆に横で笑っていた。

 ここから話題は子供達の話に移った。誠は当然翔太や美咲のことを、そして清と和子は一人娘のことを聖子と名を変え、自分達は佐藤と名乗り、恵子がまだ小学生になるかならないかぐらいまでの話をなんとかごまかしながら誠に聞かせてやった。

 和子の話がまるで私の妻の幼い時の話をお義母さんから聞いた時の話に似ている、と誠が言い出した時には、清はテーブルの下で和子の足を思わず突いて注意した。それでも誠と和子は機嫌よく話に花を咲かせていた。

 清は横で言葉少なく頷いてばかりいた。これはいつもと変わらない姿だった。恵子夫婦と一緒にご飯などを食べる時にも和子が恵子や誠、翔太や美咲と話をして、横で清がふんふんと頷いて聞いている。

 時々、そうよねえ、あなた、と和子が同意を求めてくる時のために、清は話を聴き逃さないようにしっかりと聞いている。はあ? などと聞いてなかったものなら、後でこってり和子から叱られるのだ。あなたは口数が少ないから無理して話さなくてもいいですけど耳だけは参加しててくださいね、と何度怒られたことか。

「あら、田辺さん、どうしたの? 大丈夫?」

 誠の名字などここ十年以上口にしたことが無かったが、今は年上である誠に下の名前で呼ぶわけにはいかず、清達は誠のことを田辺さんと呼んでいた。その誠が、急に顔色が悪くなり、ふらふらとしだした。和子が誠の横に席を移り、背中をさすっている。

「ああ、すみません。調子に乗り過ぎてお酒を飲み過ぎました」

 テーブルの上には誠が頼んだ最初の一杯目のジョッキが空になり、他にもう一杯追加のビールが少しだけ残っていた。もともと誠は酒に弱くはなかったはずだ。仕事の付き合い上、昔は深酒をして帰ることが多々あったと聞いている。

 ただここ最近誠はお酒を控えているとも聞いていた。抗鬱剤を飲んでいる誠にはアルコールもあまりよくないから、とは恵子からも説明されていたが、ビール二杯でここまで体調が悪くなるとは清達は思いもしなかった。

 時間も気づくともう夜の九時を回っていた。ついつい話し込んでこんな時間になってしまった。今ならさすがに恵子も家に帰っているだろう。この状態のまま誠だけ返しては恵子が心配する。

 清と和子は話し合って、二人で誠を家まで送っていくことにした。

「大丈夫です。近くですから一人で帰れます」

 といいながらも、よろよろして足がおぼつかない誠を強引にひっぱり、清達は誠を家に送り届けることにした。

 留守で真っ暗である我が家を隣に見ながら、清は肩に誠を担ぎ、恵子達の家の方のインターホンを鳴らした。清達と敷地は同じだが、玄関もインターホンも別々で家は繋がっていない。

「は〜い」

 玄関から出てきたのは美咲だった。友達との食事も終わり家に帰っていたのだろう。

 誠と見知らぬ若い清と和子の姿を見て美咲は驚いていた。和子が事情を説明しようとしている時に奥から恵子が出てきたため、和子が誠と出会った経緯と酔っ払わせてしまった話を説明して恵子に詫びると、

「こちらこそご迷惑をおかけしました。お上がりください」

と清達は家の中に通された。夜も遅かったが、今夜誠が話をしたことなどを恵子に伝えた方が良いとも考えた清達は、恵子に促されるままリビングに通された。

 誠は、美咲と同じく帰ってきていた翔太が清からバトンタッチして寝室まで連れていく。美咲も心配そうにその後をついていった。いい子達だ。心優しい子達に育ててくれた、と清はまた目を潤ませた。今日はだめだ。涙もろくなっている。

「すみません。ご迷惑をおかけしました」

 リビングのソファに座っている清達に、恵子がお茶を持ってきた。

「奥様、ありがとうございます。夜遅くにお邪魔して申し訳ございません。ただご主人を一人でお返しするには、と思いまして赤の他人がでしゃばるようで恐縮なんですが」

 和子はゆっくりと丁寧に、誤解のないよう的確な言葉を探しながら、居酒屋で誠が語った言葉を恵子に伝えた。

 恵子に話しながら、和子は感極まってしまいまた泣いてしまう。清も横で頷きながら、頬につたうものをぬぐった。恵子も和子の話を目に涙を溜めて聞いていた。和子が説明を終えた所で、清は恵子にむかって思いを告げた。

「ご主人は、今いろいろ考えているようです。悩んでいるとはあえて言わないでおきましょう。でもどこかでまた考えることに疲れ、悩み始めることもあるかも知れません。その時は励ますのではなく、温かく見守ってあげてください。そして話を聞いてあげてください。それだけで彼は救われると思います。立ち直ることができると思います。自分で軌道修正してまた前に進むために考えることができるでしょう。そうあなたが信じてあげてください。私は彼なら大丈夫だと思います」

 恵子は清の言葉をかみしめるように頷いていた。

「私もそう思います。彼を信じています。彼はここ何ヶ月かで変わりました。会社を辞め、そして病気になった私の父の背中を見て何かを感じ取ったようです」

 恵子の、病気になった父という言葉に和子が反応した。何を言い出すのと体を前に乗り出した和子をわざと無視し、清は恵子に尋ねた。

「お父さんがご病気なんですか? ご主人はご病気のその方を見て何を思ったんでしょう」

 恵子は躊躇いながらも話しだした。

「先日、私の父が吐血して胃の手術をしたんです。もう退院をして今は母と旅行にでかけています」

「それは良かったですね。回復はされたんですか? 旅行に出かけるくらいですから良くなったんでしょう」

 清はわざとそう言った。和子が横で何を言っているの、という顔で見ている。

「はい、おかげさまで。一時的には良くなったようですが、お医者様には」

 恵子の口を塞ぐように、横から和子が立ちあがって大きな声で遮った。

「赤の他人にそんなことまで教えていただかなくて結構です。お身内の方の病気のことなど軽々しく他人に」

 興奮する和子に清は手で押さえて、先手を打った。

「もう、長くない、と言われたんですね」

 和子が真っ青な顔になって清の横で硬直した。その様子に気圧されていた恵子だったが、穏やかに微笑む清の顔にほだされるように、首を縦に振った。

「あ、あなた」

 和子は恵子に言ったのか清に言ったのか、そう呟いてソファに崩れるように座った。

 清はかまわず続ける。

「もう長くないと言われたあなたのお父さんを見て、ご主人は何を思ったんでしょう」

 恵子は清に促され、喋り出した。

「父にはこの先、自分の命が長くないという事を私達家族は伝えていません。ただ主人は、お義父さんは知っているんじゃないか、というんです」

 和子の息を飲む音が横から聞こえた。

「最初、主人がなぜそんなことを言っているのか判りませんでしたが、だんだん私もそうじゃないかと思い出したんです。父は昔から口数は少なく余計なことは言いませんが、ただ口に出さなくても実は知っていたという事がよくありました。逆に母はよく喋ります。よく喋る母の話を聞きながら、父は母の言葉の奥にある、表現されないことを読み取ることがとても長けているんです」

 昔、恵子が幼い時、和子がまだ心臓を患っていて苦しんでいる時に清に悟られまいとわざと元気に振る舞っていたことがよくあったという。その時、清は和子と一緒にいる時は笑って過ごしていたが、影ではよく泣いていたのだ、という。ある時幼い恵子がそんな父を見た時、清は恵子を抱きしめて言ったのだそうだ。 

 ― お前はお母さんの命を削って生まれてきた大切な子なんだよ。お前は私達が本当に愛し合って出来た娘なんだよ。そのことは忘れないでくれ。そしてお母さんに優しくしてやってくれ。大切にしてやってくれ。― 

「だから口には出しませんが、父は自分の寿命を悟っている気がしたんです。それでも隠し続ける母に気遣って、わざと気づかない振りをしている父の姿を見て、主人は言ったんです。お義父さんは強い、と。そしてお義母さんを思う心がとても温かい、と。自分はあのお義父さんのようになりたい。あと三十年後、お義父さんの年に自分が近づいた時、あんな風に強く生き、そして妻を思いやれるようになっていたい。そのために私は生まれ変わりたい、と」

 恵子が話す声は濡れていた。真っ赤に腫らした目を拭きながら和子が恵子に尋ねた。

「あなたは、あなたはそんなお父さんを見て何を思ったの?」

「私は……最後まで親不幸だったなあ、と思います。最後の最後まで心配ばかりかけてしまって……」

 恵子はもうそれ以上話すことはできなかった。清はそれまで堪えていた涙が、ぽろり、ぽろりと落ちることを止められずに、じっと俯いていた。 

 話が途切れた頃にはもう夜も更けていた。恵子はこんな時間に帰せない、と清達を客間に泊まるようにと言い張った。

 朝起きた時にどんな姿になっているか不安だった清と和子は強く断ったが、誠が体の調子を崩してそのまま寝てしまったため、今日は絶対に返す訳は行かない、明日の朝に誠からしっかりお礼とお詫びをさせますと、強引に清達の持っていた荷物を奪い取り、必死になって引き留めるため、しょうがなく清達は泊まることになった。

 一階の奥にある和室の部屋に通された清は、明日の朝はいざとなれば窓から逃げればいいか、と腹をくくることにした。

 奥の部屋に通される際に、恵子が、

「この旅行バック、今旅行中の父達が持って行ったのと同じバックです。そういえば佐藤さんの奥様が着ていらっしゃる服、昔私が持っていたのとよく似ています」

と、言いだした時は清達も肝を冷やした。

 清達はお風呂までいれてもらい、さらに旅行先でバスローブや浴衣があると思い寝間着を持っていなかったため、恵子に恵子と誠の物を借りた。

 清と和子は恵子にお礼を言った後、客間に敷かれた布団にもぐりこんだ。電気を消すと部屋が真っ暗闇になった。

 しばらくして、その黒い空間の静けさを破り、

「あなた……病気のこと、知っていたの?」

 隣で布団に入った和子が、清に背を向けたままそう聞いてきた。

「すまん。知ってた。隠していてごめん」

 今度は清の方を向いたのだろう和子は、

「隠していたのは私達だから謝らないでよ。謝るなら私達の方よ。でもなぜ? 何処で知ったの?」

 和子は鼻をすすりながら清に聞いてくる。暗くてわからないが声の調子でおそらく泣いているのだろうということが伝わってきた。

「入院中に先生から聞いた。胃ガンが末期状態で余命はもったとしてもあと一年、おそらく半年の命だという事も聞いた。家族には私が知っていることは黙っていてくれと先生にお願いしたんだ。私に隠そうとしてくれる気持ちはわかるから、家族とは退院してからじっくりと話し合うからと説得してね」

 和子は黙って聞いている。

「この旅行中にお前とはこの話をしようと思っていたんだ。それから恵子達にも話そうと思っていた。お前達の気遣う気持ちはとても嬉しかったよ。でも隠し続けていることはやはり辛いだろうと思ってな。心配するな。俺はもう覚悟はしている。もう七十八年生きたんだ。思い残すことはないとは言わない。お前にこれから寂しい思いをさせることは心苦しいとは思う。でも勝手かもしれないが、俺はお前より先に行くことができてよかったよ。しかも二人でここまで生きてこられたんだ。本当だったらもっと早くお前と生き別れることだって、俺は覚悟していたんだからな」

 清がそういうと、和子は布団を頭からかぶり、声を押し殺すように泣いているのが聞こえた。布団で声が籠っていたが号泣しているのが良く判る。

 清は体を起こし、布団で盛り上がった和子の体を軽く叩きながら、

「今日は遅い。もう寝よう。お休み」

と声をかけた。

 自分の布団に戻って清は目をつぶり、小さく、ありがとうと囁いて、和子の布団の中に手を伸ばし、和子の手を握った。清はいつまでも続く和子のすすり泣きを聞きながら、いつの間にか眠りについていた。

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