第8話 ノアとの再会






「あ、え……ご、ご主、人……様……?」


 ノアがふらふらとこちらに歩いてくる。

 敵意は既に霧散し、愛刀を手から零れ落としていた。どこかふわふわとした覚束ない足取りではあったものの、彼女はそれでも確かに近付いてきていた。

 大粒の涙が瞳に溜まり雫となって頬を伝う。


「あ、ああ……あああ……っ!」


 僕が幻でないことを確認するようにぺたぺたと触れ、腕、体、首、そして顔に手を伸ばして僕の体温を確かめる。

 

「ご主人様ッ!!」


 胸に飛び込んできたノアを僕は迎え入れた。

 ノアは涙を流しながら僕の体を抱き締め、腕の中でこちらを見上げてきている。

 感極まったその表情からは様々な感情が読み取れる。


「ご、ご主人様!? ご主人様なのですか!? ぐすっ、な、なぜ……あの時、確かに……」


「なんかごめんね色々と。心配かけたよね?」


「め、滅相も御座いません! ですが、心配しました! ひぐっ、っ、私、ご主人様の後を追おうかと……でも、お、怒られるんじゃないかって! だけど私っ、も、もう一度お会いしたくてっ……ですが、ぐすっ、ですが……! ご、ご主人様なのですね! わ、私の、私のご主人様なのですよね!?」


 興奮しながら涙声で、それでも彼女は確かに僕を呼んだ。

 ノアはもう決して離さないぞとばかりにしがみついてくる。

 帰国の時にあれだけ元気のなかった尻尾も今ではぶんぶんと千切れんばかりに振られていた。


「ああ、ひぐっ、うえぇぇ……っ、ごしゅ、あ゛あああっ!!」


 泣きじゃくるノアを撫でた。早急に色々聞きたいことがあったんだけどな……

 ……でも、まあいいか。


「うああっ、ぐすっ、ああ……ひぐぅ、うあぁ゛あぁあぁっ!」


 今ここで余計な口を挟むのは野暮というものだろう。

 僕はノアが泣き止むまで彼女の頭をあやすように撫で続けるのだった。





「ぐすん、ひぐ、ぐす……っ」


 ノアは僕の腕の中で甘えるように体を擦りつけてきた。

 頭を優しく撫で上げる。サラサラとした髪の感触が手のひらに伝わる。同時にノアの体の震えも感じ取れた。

 どうやら本当に心配をかけてしまっていたらしい。反省しなくては。


「そういえば聞きたかったんだけどさ」


 落ち着くのを見計らって声を掛けた。

 僕はなんで自分が死んでしまったことになっていたのかを聞いてみた。

 あの時何があったのか。

 送還されそうになった瞬間は若干記憶が曖昧なんだよね。魔王が何かしたんだろうか?


「はい……あの時、魔王グラムは――」


 それから聞いた話をまとめるとこうなる。

 あの時、魔王は自身の死と引き換えに確実に勇者を殺す魔術で自爆したらしい。

 その際に最も被害を受けたのは近くにいた僕とアイ。特に僕はとどめを刺したこともあり骨さえ見つからなかったらしい。まあ飛ばされた場所で生きてたから見つからなくて当然なんだけど、あの時は本当に頭が真っ白になったのだと彼女は語る。

 ノアとルーシャも重傷を負い、後方で結界を維持していたエリスも大火傷を負う。

 その傷を癒すために予想以上に帰国が遅れたらしい。僕の捜索も同時に進めてくれていたらしけど、結局勇者である僕の痕跡はなく、死亡という判断になったそうだ。


「となると僕は送還されそうになったことで命拾いしたってことか」


 皮肉だね。遠方に飛ばされたのは結果として運がよかったらしい。強制送還の術式を完全にレジストしていたら魔王の自爆に巻き込まれていただろうし。

 ノアにもこちらの事情を話す。


「そういえば見張りはもういないみたいだね。監視されてたんだけど気付いてた?」


「監視?」


 首を傾げられる。

 む、ノアを欺くとは……あの人達そんなに強かったんだろうか? 前にも鑑定した通り40とか、高くても60くらいだったのに。

 とはいえもういないみたいだけど。一週間の間に監視体制も解かれたんだと思う。


「い、いえ、気配は感じた気がしたのですが気のせいだろうと……あの時は、何もかもがどうでもよく思えたというか。注意が散漫になっていたと言いますか……」


「ああ……いや、本当にごめんね? なんか思ってた以上に心配かけちゃったみたいで」


 もう一度謝ると彼女は恐縮したように畏まる。

 あんまり頭を下げても悪いかな。僕はノアの手を引いた。王都へ戻らなくては。

 恥ずかしそうにお礼を言ってきた。相変わらず異性に免疫ないんだな。それなのに懐いてくれるのは嬉しい限りだけど。

 最悪の事態にならなくて良かった。心からそう思う。


「でもこうして再会できてよかったよ」


「はい、こ、これからはずっと傍でお仕えします!」


 もう離しませんよ。と、ノアはそのまま僕の手に指を絡めてきた。

 恥ずかしそうに顔を伏せている。この暗闇の中でも顔を赤くしていることが容易に想像できた。

 今日のノアは前にも増して甘えてくるな。恥ずかしいけどそれで気が済むならいくらでも甘えてほしい。


「いやいや、魔王はいないんだから自由にしていいんだよ? そもそもノアは奴隷じゃなくて仲間なんだし」


「お気持ちは嬉しいのですが……それでもこの絆はご主人様との確かな繋がりですので……」


「相変わらずだね」


 はは、と僕は乾いた笑いを浮かべた。

 ノアは僕にとってよく分からない価値観を持っている。

 旅の時も皆に「私はご主人様の奴隷ですので!」って凄い得意気に胸を張ってたな。

 さすがに皆も咎めていたんだろう。ノアの自慢が始まる度に僕のことチラチラと見てきてたし。でもその時の皆の顔がやたらと赤かったような? なんでだろ。会った時に聞いてみようかな。

 しかし、ノアが今の関係を望んでるなら無理強いはできないけど、やめたくなったらいつでもやめていいんだよ?


 だけど、こんな会話も随分と懐かしく思える。束の間の平穏とでも言うべき時間を僕とノアは楽しんだ。

 空を仰げば星空が見える。排気ガスで汚染されていない綺麗な夜空。

 ノアは何が楽しいのか僕の手を何度もにぎにぎと握ってくる。隣を見れば優しく微笑み僕の事を呼んでくる。


「どうかした?」


「なんでもありませんよ」


「なにそれ」


 二人で笑い合った。

 心地良い時間だった。

 しばらくすると王都が見えてきた。魔道具の明かりがチラホラ見える。


「帰ったら他の皆にも会いに行こうか。皆は王都で何してるの?」


 皆で集まってまた話したいな。

 王都で有名なお店を一緒に巡ろうとも約束してたし。

 だけど、ノアは「え?」と、動きを止める。

 え、ってなに?

 僕の方も動きが止まった。

 また嫌な予感。タラリと冷や汗のようなものが肌を伝う。

 って、待って待って。

 嘘でしょ……?


「え、あの……皆まだ王都にいる……よね?」


 恐る恐る問い掛ける。

 しかし、そんな僕の願望も虚しく、ノアは首を振って否定した。


「い、いえ。既に王都にはおりません。数日前に全員ルーブルを出立しています……」


 oh……




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