第5話 獣人の少女ノア






「ね、寝過ごした……!」


 やばいやばいやばい。

 7日って、寝すぎだよ僕!

 変装したまま慌てて宿屋の主人に謝った。外れないようにフルフェイスの仮面の留め具を頑丈に止めてウィッグも固定。

 ちなみにこの仮面は変声機能もついているので声でバレることはまずありえない。

 7日も寝ていたせいで汗でべたつく体。簡単に布で体を拭いてからぼさぼさの寝癖を直す。消臭用のアイテムも使用した。これかなり強い香水みたいなアイテムだからあんまり好きじゃないんだけど、今ばかりは時間が惜しい。

 荷物も確認した。よし、問題なし。

 半日ほど余剰した分の追加料金を払って大慌てで宿を出た。

 向かうは銀の小鳥亭。

 皆がまだそこにいることを願った。

 だけどそんな都合のいいことが早々あるはずもなく――


「あのっ、勇者パーティーの人たちがここに泊まってると聞いたんですが!」


「お客様のプライバシーに関わることですのでお答えできません」


「そこをなんとか!」


「駄目です」


 くっ、さすが宿泊客の安全を第一と謳う宿屋なだけあって全然教えてくれない。

 僕も「これ以上は衛兵を呼びますよ?」と言われて大人しく引き下がった。

 あんまり使いたくなかった手だけど……仕方ない。僕はこっそりと隠密スキルを使用した。

 気付かれないようにそろりそろりと名簿を確認する。


(皆がチェックアウトしたのは……エリスが4日前で、アイとルーシャが5日前!? ま、不味い。思ったよりも不味い)


 予想以上に日数が経過していた。

 あの後すぐに会いに行けば何とかなると楽観視していたけど、さすがにこれだけ寝坊したとなると焦りを覚える。

 だけど、気付く。ノアはまだチェックアウトしていない。

 一週間の宿泊と記されていて、どうやらまだこの宿で寝泊まりをしているらしい。

 僕はノアの泊まっている部屋番号を覚えてそのままこっそりと彼女のいるであろう部屋へと向かった。







 私の名前はノア。銀狼族のノアです。


 私には生きる希望なんてものはなかった。苦痛が日常でした。

 両親は顔も名前すらも知りません。ただこの世に生を受けた時から奴隷だったらしいです。

 そんな私は人の温かみを知らずにこれまで生きてきました。

 教育とは名ばかりのただ痛めつけるだけの行為を甘んじて受け入れる日々。

 隷属の首輪によって人族の玩具になるだけの毎日。


 ある時は何の前置きもなく殴られました。

 どれだけ頑丈か試したと言っていましたが、上手く理解できませんでした。

 悲惨でした。

 荷物持ちと称して岩を持たされました。

 理不尽なことで何度も土下座させられました。

 食事には土塊を混ぜられました。

 拙い言葉で泣きながら許しを請うと教育係の人族は愉快そうに笑っていました。


 だから私を買った少年の事も信じてはいませんでした。

 お風呂に入れてもらえても、温かい食事をお腹いっぱい食べることができた時も、嬉しかったけどどこかでまだ信じ切れてなかったんだと思います。

 だからある日、恐る恐る聞いてみました。


「な、何が目的なんですか?」


 聞けば魔王を討伐するために仲間を探していたんだとか。

 それならなんで私なんかを? そう思った瞬間全て納得できました。


 囮に使うつもりなんだ。


 私は怖くなると同時にどこかで安堵していました。

 裏切られずに済んだ。信じなければ裏切りも何もないのだから。

 だけど、無性に胸が苦しくなりました。


 だからずっと警戒していました。近付くことすら怖かった。

 でも、彼は根気強く私に優しくしてきて……

 もし私に兄がいたらこんな風に……だなんて、ありもしない光景を思い浮かべ自嘲しました。

 どうせ最後は惨めな終わりを迎えるというのに。


 そして、運命の日がやってきました。


 ご主人様が深手を負った。

 聖女様も魔力が尽きています。

 相手は数えるのも馬鹿らしくなるほど多数のワーウルフ。

 並みの獣人よりも優れた五感機能を持つ私なら気付けたことでした。

 ですが、疑心暗鬼に囚われるあまり数の多さを見落したのです。

 強い相手ではなかったです。だけどあまりにも数が多過ぎました。

 駆け出しの勇者であるご主人様にはいくらなんでも……


「ノア」


 声をかけられる。私は覚悟を決めました。

 そもそも私のミスが招いた結果です。尻拭いはするべきでしょう。

 だというのになぜか涙が止まりませんでした。

 何もない人生でした。胸に虚無感が広がっていきます。

 私は震える足で何とか前へと踏み出そうとして――


「エリスを連れて逃げろ。ここは僕が時間を稼ぐ」


 言葉を失った。

 なんで? どうして? 囮は?

 頭の中を疑問が埋め尽す。まだ何か騙そうとしている? 何かの罠?

 いくら考えても分からない。

 ただ気付けばご主人様を置いて意識の無い聖女様と共に逃げ出していた。

 逃げた。みっともなく。恥知らずにも主を置いて逃げ帰った。

 自分を生に執着する醜い獣だと嫌というほど理解しました。

 全てが終わったのはそれからしばらくのことでした。


 ご主人様が担ぎ込まれてきました。

 村の人たちがご主人様を見つけるのが後少し遅れていたら手遅れだっただろうと言います。

 それ程ギリギリの状態だったと聞かされました。

 そんなご主人様に村の人たちは心から感謝をしているようでした。泣きながらお礼を口にしています。

 聖女様が涙で顔をぐしゃぐしゃにしていて……不意に治癒魔法をかけられながらご主人様は弱々しく口を開きました。


「ノア、は……?」


 名を呼ばれた。

 私はこの場で自害さえする覚悟でご主人様の前に姿を見せました。

 今更何をのこのこと……自己嫌悪で死にたくなった。いっそ殺してほしかった。

 ご主人様は全身傷だらけ、骨さえも見えている個所だってある。

 剣を握り振り続けていたであろう腕と手は青黒く内出血で変色していた。

 ああ、この人は本物の勇者なんだ。

 そう理解した瞬間、この人に殺されるなら悪くない、と心の底からそう思えました。


「怪我、なかった……?」


「はい……」


「そっか」


 そして、ご主人様は「よかった」と一言残して意識を失いました。

 その時の感情をどう表せばいいのか私には今だに分かりません。

 唖然とすることしか私にはできませんでした。涙が零れ落ちるのを止めることもできなかった。

 全部分かったんです。

 私が馬鹿だったことも。ご主人様の優しさは本物だったことも。

 ただ、この人は優しい人だった。

 本当に、それだけ。

 だたそれだけだったんです。


「あぁ゛あ……ひぐっ、う、あああ゛あああ゛あああぁぁあぁ゛ああああっ!!!!」


 私は泣き崩れました。

 既に私の中にあったご主人様に対する警戒、恐怖といった感情は消えていました。

 これまで抑えてきた感情がせきを切ったように溢れ出ます。


 それから誠心誠意御奉仕しました。

 受けた御恩を全て返すことはできませんが……少しでも私のこの気持ちが伝わることを願って。


 ご主人様、今度は逃げません。何があろうとお供致します。

 そこがどのような死地だろうと。

 今度はハッキリとした自分の意思で覚悟を決めてご主人様たちを支えました。


 ですがそれ以来ご主人様を見る度に胸が苦しくなりました。

 これが何なのか私は知っています。けど知識では知っていても、私には縁のないことだと思っていました。

 でも、この高鳴る鼓動はそういうことなのでしょう。


 パーティーの仲間もいっぱい増えましたね。

 最初は私を含めてご主人様とエリスさんの3人だけだったのに、ルーシャさんとアイさんも加わって……

 皆さん素直じゃなかったように思います。

 でも、旅の後半にはやはりというべきか全員が私と同じ感情を抱いていたようで……


 エリスさんも、ルーシャさんも、アイさんも、皆さん可愛らしい容姿をしている方ばかりで……うぅ、負けません。そう弱気になる自分を鼓舞しました。


 気の良い人ばかりでした。

 時に笑い合い、信頼できる仲間と寝食を共にして、夢を語り合って……

 長旅でしたが、これまでの苦しみを忘れることができるほど楽しかったですね。


 だから、ご主人様が魔王の死によって発動する魔術でお亡くなりになった時には、頭が真っ白になりました。

 何も考えることができません。

 いくら周囲を探しても骨一つ見つからなくて。

 何もかもがどうでもよく思えました。

 それは他の3人も同じだったようで……いつの間にか全てが終わって宿にいました。

 枯れ果てたと思っていた涙が何度も何度も零れ落ちます。


「ご主人様……」


 口にするだけで切なくて苦しくなります。

 私の最愛の御方……

 あの御方を想うだけで色んな感情が沸き上がります。

 なのに、いない。あの御方はもうどこにもいない。


 王都の雑貨屋で丈夫な縄を買いました。

 その縄を持って森に向かいます。


 ずっと考えていました。

 私はこれからどうするべきなのかを。


 ご主人様は怒るでしょうか? いえ、きっと怒るでしょうね。せっかく世界が平和になったというのに……

 ですが、それでも構いません。

 もう一度あの御方のいるところに行きたいのです。

 これは、ただのエゴなのでしょうね。

 最低最悪の自己満足。

 ですが、それでも――

 もうあの日の誓いは違えません。


「死出の旅路。お供させて頂きます。ご主人様」


 手が震えます。やはり死ぬのは怖いのでしょう。

 ですが、ご主人様の優しい笑顔を思い出すだけでその感情も薄れていくのです。

 最後にご主人様の姿を幻視しました。ありがとうございます。夢でも幻でも構いません。最期にお会いできて思い残すこともありません。

 私は縄に手をかけて足場にしていた岩を――


「…………誰ですか?」


 人の気配がします。

 私は手をかけていた縄から手を離して岩場から下りました。

 どうやら無粋な邪魔が入ったようです。




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