第3話 男 授業中

 ディスカッションが始まり。


 ひとりひとり、自由に意見を述べる。


 全員が、とりあえず攻撃しやすい自分の意見に対して反論を述べはじめる。


 ひとつひとつ、丁寧に。隙間なく。潰していった。


 家族や好きな人を殺すのか。尊属を殺すのか。


「殺せます。俺には護りたいものがあり、そのために必要な手段を取るだけです。俺には親がいました。新興宗教の教祖で、頭のおかしいやつで、自分が逮捕の上通報しました」


 次の反論。


 人を殺せば、殺された人間も、殺した人間も、幸せになれないのではないか。


「幸せの尺度は個々人によって違います。ひとつ確実なのは、あの日。自分が親を逮捕して通報しなければ、多くの人間が不幸になったという事実のみです」


 幸せという言葉で共同幻想を抱くな。人によって違うであろう価値観を、当然のもののように押し付けるな。


 と、言うのはさすがにひどいので。


「殺すことでしか幸せを得られない人間もいます。そういう人間が生きるために幸せになるのは、禁じられる、ということですか?」


 もっとひどくして返してやった。幸せなんて、人によって違う。


 次。


 一人殺せば、それが癖になって、より多くの人を殺すことになる。殺すために殺すようなことに、ならないのか。


「では、街が危機に陥ったとき。たとえばこの前の、崩落事故。自分はちょうどその現場にいて、崩落事故を起こした人間と対峙していました。あれは事故ではなく事件で、更なる崩落を防ぐために、目の前の犯人を素早く制圧する必要がありました。そのとき、殺すという選択肢を選べるかどうかは、単純に思考として必要だと思います」


 嘘だ。でたらめだという声。


 仕方がないので。


「では、これを見てください」


 ボタンを外して、胸の部分をはだけさせた。ちょうど崩落事故のときに撃たれた傷が、二ヵ所。あと、崩落の瓦礫から人を救助するときについた、無数の切り傷。


「そのときの傷です。学校では平和教育とか言ってますが、結局街を護るために、誰かは血を流すことになります」


 黙る。そりゃあ、そうだよな。学校でのんびりおままごとをして暮らしている子供に、街を護るという行為の、人を殺すという行為の、心がわかるはずもない。


 最後の反証。教師から。


 それであなたは、いまの生活に満足しているのか。自己を、実現できているのか。


 さすがに、教師だけはある。そこそこ、わるくない反証だった。


「いえ。満足できていません。俺の生きる意味は街を護ることですが、現状、人を殺すことが生きる理由としか答えられない生き方をしているのも事実です」


 反証に対して、意味のない理屈をこねたり、むきになって対抗するべきではない。


 弱い部分、間違っている部分をまず認める。指摘されたところをもう一度考え直す。


 そのうえで。


「この倫理の授業が、俺のような人間もいるという、理解の助けになれば幸いです」


 教師の求める答えだけは、提示しておく。


 教師。満足げな顔。


 そのまま、授業は終わった。


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