第540話 借りた本の返却について

 山葉さんは僕たちを率いて駅から離れたエリアに歩いていく。

 雑踏の中で彼女の巫女姿はかなり目立つはずなのだが、新宿界隈は巫女やお坊さん、そしてメイドなどの特徴のあるコスチュームを身にまとっていても、それが本物かコスプレなのかを問わずさして人目を引くことはないみたいだ。

「どこに行くつもりなのですか?」

 僕が尋ねると、山葉さんは屈託のない雰囲気で答える。

「下村雄一君が詐欺グループに車で轢かれた現場だ。彼が最後に焼き肉を食べた店は私も知っているからおおむね場所の見当はつくのだ」

 彼女は栞に残った記憶を僕と共に追体験しているので、その記憶を頼りに田中が下村さんを車で轢いて拉致した現場を特定しようとしているのだ。

「でも、もうかなりの時間が経過しているのですよね」

 僕は彼女の意図を測りかねて尋ねるが、彼女は自身のある表情を崩さない。

「いや、私たちが追体験した彼の記憶の中ではコンビニの前を通過したのだが、店頭に置いてあった期間限定商品が視界に入った。その商品から推測すると彼が命を奪われてからまだ一か月経過していないと思う」

 僕は彼女の話に思い当たることが有った。

「その期間限定商品とは、二番くじですね」

 僕は最近リビングルームにアニメ関連の小物がやたらと増えており、アクリルケースに入った人気キャラクターのフィギュアも目に付いていたから、彼女が自分の好きなキャラクターのフィギュア目当てに相当入れ込んでいたことが推察できたからだ。

「そんなところだ。私の好きなアニメのテレビシリーズ第二期が始まるのを記念したシリーズが店頭に有ったので、彼が殺害された時期の見当がつく。二番くじは一日で売り切れてしまうからね」

 山葉さんが歩いていく先には問題のコンビニエンスストアもあり、今では別のシリーズのフィギュアが置かれていた。

 やがて山葉さんは問題の焼き肉店の前あたりの路上で立ち止まった。

「ここが犯行現場に違いない」

 それは僕にも理解できた。

 栞に残った記憶の中で、記憶の主である下村さんはこの場所で田中の部下に背後から車で轢かれたのだ。

 その時、森田さんの足元がふらついて山さんに支えられたのが見えた。

「森田、大丈夫なのか」

 鳴山さんに支えられながら、森田さんは申し訳なさそうに答える。

「大丈夫です。ちょっと眩暈がしただけですから」

「ふむ、問題の下村君の霊は今も森田さんの中に居るはずなのだが、森田さんを支配するつもりはないようだな。私は彼との約束通りに田中を警察に逮捕してもらうために通報するつもりだ」

 山葉さんはその場所からさらに歩き始める。

「次は何処に行くのですか」

 僕の質問に、彼女は足を止めると今ではあまり見かけなくなった公衆電話を指さした。

「これをつかうつもりなのだ」

 山葉さんはスマホで最寄りの警察署の電話番号をしらべたうえで、おもむろに公衆電話にコインを投入するとプッシュボタンを押し始める。

 彼女は通報者が特定されるスマホを使わずに、現場近くの公衆電話を使うつもりなのだ。

「あの、実は気になることが有ってお電話したのですが」

 彼女は応対に出た警察署員に気弱な雰囲気で話し始める。

「一か月ほど前に、歩いている人が自動車にはねられるところを見たのですが、自動車を運転していた人が被害者の人をトランクルームに入れて運んで行ってしまったんです。病院に連れて行ったのかなとも思ったのですがなんだか気になってしまって」

 応対した警察官は明らかに山葉さんの話に対して事件性があると判断したらしく、別の担当者に代わり質問を始めた。

 山葉さんは事件を見た場所や時刻についてよどみなく答えたが、自分の個人情報を聞かれたらしく唐突に公衆電話の受話器を置いた。

「さあ、警察官に詳細を聞かれると私達は実際に現場にいたわけではないので面倒なことになる。とりあえずこの場を離れよう」

 彼女の通報は自分が見た事実を述べているわけではないので、目撃証言などしたら偽証になってしまうのだ。

 僕たちは路上に止めていた自家用車のWRX-STIにもどると、行く当てがあるわけでも無いのだが渋谷方面に移動した。

「これで終わりなのですか?一か月前のことで田中のところまで捜査が及ぶとは思えませんよ」

 僕は混雑した都内の道路をゆっくりと走りながら山葉さんに尋ねる。

「いいや、あそこには警察署が設置した防犯カメラがあった。路上に設置された防犯カメラでも最低一か月は画像データが残っているはずだ。事件性を疑わざるを得ない通報があれば、警察署員は防犯カメラの画像を確認する。田中は犯行直後に下村さんを運び去って別の場所に放置し、第三者に轢かせるという卑劣な手口をつかったのだが最初の犯行現場が映像に残っていれば申し開きはできず、確実に逮捕されるはずだ」

 僕はWRX-STIの車内の空気が変わったような気がした。

 それまでピリピリとした張りつめた空気が満ちていたのが、急に穏やかな雰囲気に変わったのだ。

「次はその本と栞を持ち主に返しに行けば「彼」の想いもみたされるのではないかな」

 僕は彼の記憶を思い返して、山葉さんに答える。

「彼が詐欺グループから足を洗おうとして殺されるきっかけになった玲央奈さんですね。でも、僕たちには彼女の住所とかわかりませんよ」

 山葉さんは助手席に座ったまま沈黙したが、やおら僕の顔を見て無茶振りを始めた。

「彼の記憶の中で高校生時代の回想シーンもあっただろう?ウッチーの女子高生制服マニア知識を総動員して高校を到底できないか」

 彼女の失礼なネタの振り方に文句を言いたかったが、僕はその制服に思い当たるところがあった。

「あの制服は東北沢駅界隈でよく見かけますね、意外と僕たちの近所の人だったのかもしれませんよ」

 山葉さんは、僕の言葉を聞くのと同時にスマホで該当する高校を調べているようだ。

「うむ、確かにこの高校の制服に似ている。あとは二年前の卒業生にいるはずの玲央奈さんの住所を探せばよいのだが、流石に高校は個人情報を教えてくれないだろうな」

 山葉さんも捜査の行き詰まりを感じたようだが、鳴山さんが彼女に言った。

「知り合いに高校の卒業アルバムを買い取って名簿を作成して売っている奴がいるのですが、そいつに聞いてみましょうか?」

 その行為は微妙に犯罪に近いものを感じるが、僕はあえて無視することにした。

「鳴山さん、すまないがその人に当たってくれ」

 山葉さんの依頼と同時に、鳴山さんは知人と連絡を取り始める。

 僕は待っている間に、森田さんにさりげなく尋ねていた。

「アルバムの情報というのはお金になるのですか?」

 森田さんは僕に話すのは気乗りがしない雰囲気で答えた。

「それは、特定エリアにいる年齢層が揃った名簿というのは、ネット業者にとってはものすごく欲しい代物ですよ。そのまま使わなくても、何年かたって新生児用のアイテムの対象になる人は多いし、さらに時間が経過したら子供向け習い事のターゲットとして使える。通販事業者にとってはぜひとも欲しい情報の一つですね」

 森田さんは元の人格に戻ったらしく、業界の裏事情を事細かに僕に説明してくれる。

 やがて、鳴山さんが山葉さんに嬉しそうに告げた。

「知り合いが手持ちの名簿から、玲央奈という名前の女性を見つけたようです。このままその女性が住んでいる場所に向かいますか?」

「うむ、善は急げだ。ウッチー玲央奈さんのお家の住所を聞いてそこに向かってくれ」

 僕は彼女の指示に従って、鳴山さんに教わった住所を目指しながらも疑問を持っていた。

「大丈夫なのですか?彼女に出会って彼が森田さんの身体を支配してトラブルを起こす可能性はないのですか?」

 バックミラーでさりげなく後部座席を覗くと、森田さんは平静な表情だが鳴山さんが心配そうな表情で森田さんを見ているのがわかる。

「高田の王子が戦った結果、下村さんの邪な部分は消え去ったと私は見ている。その上でいまだ残っているものがあるとしたら、組織から報復されることを顧みずに足を洗おうとするに至った玲央奈さんへの想いの部分だと思うのだ」

 僕たちは同じ記憶を追体験していたので彼の想いに関しては認識を共通している。

「それは確かにそうかもしれませんけど、現実問題として彼の魂を内に秘めているとしても森田さんが彼女に会って何かご利益があるのですか」

 僕はあえて厳しい口調で尋ねてみたが、山葉さんは口ごもりながら答えた。

「そ、それは、彼としたら玲央奈さんに一目会えたら安心して逝けるのではないかと思ったのだ」

 僕はWRX-STIのステアリングを握りながらさらに追及する

「それに、僕たちは全く見ず知らずなのに玲央奈さんに会いに行こうとしても彼女が警戒して面会してくれないのではないでしょうか」

 僕は最大の課題はそこだと思っていたのだが、思いがけず森田さんが口を開いた。

「僕が下村雄一の友人という設定で会いに行きます。交通事故に遭った下村の遺品に彼女に借りたという本があったので返しに来たということでどうでしょう」

「うむ、それなら理屈としては通るのだが」

 山葉さんは鋭い目つきで助手席から森田さんを見つめていた。

「あなたは下村さんですね?」

 山葉さんの指摘に対して森田さんは否定もしないで無言のままだ。

 僕がバックミラー越しに彼の表情を窺うと、森田さんの顔はどことなく引き締まった表情に見える。

「玲央奈さんに本を返しに行くことについては協力するが、もしも怪しい動きを見せたら私はあなたの存在を消してしまう事も出来ることを忘れないでくれ」

 山葉さんは冷たい表情で宣言し、森田さんに再び憑依した下村さんの霊は無言のままで前を見つめていた。

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