第541話防犯カメラの画像
僕は鳴山さんに教えられた住所を目指して運転したが、その家にアポイントメントを取っているわけではない。
山葉さんは、森田さんの身体を再び死霊が憑依したことを確認すると、おもむろに彼に告げた。
「私たちはあなたのために玲央奈さんに会いに行こうとしているのだ。それ故あなた自身に彼女に連絡して面会の段取りをつけてもらいたい」
山葉さんは森田さんに冷静な表情で指示するが、森田さんは苦悩するような表情で答える。
「僕が何と言って連絡すればいいのですか」
彼は生きていたとしても彼女に連絡など取らないタイプかもしれなかった。
「下村さんから預かっている本を返したいと言えば不自然ではないと思う」
彼は躊躇するように黙っていたがやがてぽつりと言った。
「わかりました」
そして、おもむろにスマホを取り出して通話を始めた。
「彼は電話番号を覚えていたのですね」
僕は彼に聞こえないように山葉さんに囁いた。
スマホは当然ながら森田さんの物であり玲央奈さんの連絡先など入っていないはずなのだ。
「そうだな。きっと連絡を取りたいと思って記憶していたのだろう」
山葉さんが寡黙に答える間に、彼は玲央奈さんらしき相手と面会時間を決めているようだった。
彼は通話を終えると僕たちに告げる。
「彼女はリモートワークで仕事をしているので、今から会いに行っても差し支えないそうです。彼女の自宅近くにあるファミリーレストランで待ち合わせることになりました」
山葉さんは温和な笑顔を浮かべるが、憑依された森田さんは複雑な表情だ。
「今更会ったところで、何のメリットもないと思うのだけど」
死霊であるがゆえに彼は虚無的な考えに取らわれているようだったが、山葉さんはゆっくりと首を振る。
「心残りを無くすということは大事なことなのだ。あなたは高田の王子と戦って倒された後も消え去ることなく残っているが、それは何かの心残りがあるために他ならない。このまま現世に存在し続けたら、悪霊ではないにしても浮遊霊としていつまでも浮かばれずに存在し続けることになってしまうのだ。私の術をもってすれば、森田さんの身体から祓ってしまう事は可能なのだが、あなたの記憶を覗いてしまったからには最後まで見とどけたい」
森田さんを憑依している彼は山葉さんの言葉を聞いてゆっくりとうなずいた。
玲央奈さんと約束したファミリーレストランに到着すると、玲央奈さんはウエイティングの席で待ち受けていた。
とりあえず席に案内される間、彼女は何か言いたそうなそぶりで何度か口を開きそうになったが、ウエイトレスや僕たちの存在が気になるのか思いとどまった雰囲気だった。
席に着いたところで彼女はおもむろに口を開く。
「すいません。私が下村君に貸した本を預かっていて返しに来てくれるという話でしたけど、彼に何かあったのですか?」
彼は森田さんのカバンから騎士団長殺人事件の単行本を取り出して、玲央奈さんに差し出しながら告げた。
「下村君は交通事故で亡くなりました。僕は会社の同僚なのですが彼が同級生に借りたのだと言って嬉しそうに話していたのを思い出して、あなたに返さなければと思って連絡を取らせてもらったのです」
玲央奈さんは、代理人が本を返しに来ると聞いた時点で何かあると感づいていたに違いない。
彼の言葉を聞いて玲央奈さんの目には涙が浮かび、ゆっくりと頬を伝って流れ落ちた。
「やっぱりそんな話だったのですね。私は同窓会で会った時に、彼と連絡を取るきっかけにしたくて持っていた本を無理やり貸したんです」
僕たちの間を沈黙が支配し、彼女の押し殺した嗚咽が響く。
「あの、栞」
彼は口下手な雰囲気で間をつなごうとした様子で、玲央奈さんはハンカチで涙を押さえながら顔をあげた。
「栞がどうかしたのですか?」
玲央奈さんが問い返すと、彼は訥々と話す。
「雄一君は詩織にあなたのメッセージがあるのを見つけて嬉しかったそうです。もう一度ホテルマンとして正規雇用されるように頑張っていたのですが、その矢先に事故に遭ってしまい残念です」
玲央奈さんは実は本人の語る彼の気持ちを聞いて、唇をかんでいたが。単行本を受け取ると言葉少なく礼を言って帰って行った。
僕たちはファミリーレストランの外に出て駐車場の車へと向かったが、森田さんを憑依した彼は立ち止まって空を見上げている。
「山葉さん、彼は正体を明かすこともしなければ、自分の想いを彼女に告げるようなこともしませんでしたけれど、あれでよかったのですか」
「私も心配していたのだ。もともと寡黙な人だったのかもしれないが、思いが残ってしまわなければよいが」
僕と山葉さんが彼に聞こえないように小声で話す間も彼は空を見上げていたが、森田さんの身体からは、細かい泡が立ち上るように何かが噴出して空に登っていくのが見えた。
『彼女が気遣ってくれたのがわかっただけで十分だ。ありがとう』
彼の思念が直接僕たちの心の中に響き、立ち登った泡が空に消えていくのと同時に彼の存在が僕たちが生きる時空から消えたのがわかった。
「逝ってしまったみたいだ。思えば幸せの薄い人だったのかもしれないね」
山葉さんと僕は、家庭環境に恵まれなかったという彼が犯罪に加担したばかりに殺害された最後を悼むしかなかった。
「あれ、さっきまでいた場所と違うじゃないですか。俺は何をしていたのですか?」
憑依していた死霊が消えたことで森田さんは意識を取り戻し、怪訝な表情で周囲を見回していた。
「山葉さんが、お前に取り憑いた邪霊を綺麗に浄化してくれたんだよ。もう心配しなくていい」
鳴山さんがしんみりとした口調で告げるが、森田さんは何が起きていたかをそれとなく察した様子だった。
「また霊に取り憑かれていたのでしょう?どうしてもう一度戻ってきていたのですか」
「とりあえずうまく収まったのだからいいじゃないか。今日は俺が飯でもおごってやるよ」
憑依されていた恐怖が収まらない森田さんを鳴山さんが宥め、山葉さんはやれやれという雰囲気で笑顔を浮かべた。
数日後、カフェ青葉では穏やかな日常が過ぎていた。
山葉さんのお腹の子供は順調に育っており、彼女の身体も手術後に癌の転移は発生していない。
山葉さんは安定期に入ったからとカフェの仕事を手伝おうとして、祥さんに諫められることが多かった。
そんなある日カフェ青葉に親子三人連れのお客さんが訪れた。
「坂田警部、奈々子さんご無沙汰しています。ウッチー捜索の時にはお世話になりました」
山葉さんはカウンターの中で僕と祥さんに無理をして仕事をしないように説教をされていたところだったので、これ幸いと坂田警部夫妻に挨拶する。
「今日は健司君の休みの日だから家族で散歩に来たの。ここのパンケーキを久しぶり食べたいと思ったのよ。ウッチーさんもすっかり元に戻ったみたいでよかった」
坂田警部も奈々子さんも多忙なので家族で過ごせる時間は貴重なのに違いない。
坂田警部一家は愛娘の綾香ちゃんを囲んで、カフェ青葉の人気メニューであるスキレットで提供するパンケーキを楽しんでいたが、坂田警部は山葉さんと僕を手招きした。
「最近匿名の通報がもとで、オレオレ詐欺グループが摘発される事例がありましてね、組織を抜けようとした人間を車で轢いて、別の場所に運んで第三者に改めて轢かせて交通事故を装うとしていたらしいですが、最初の現場で目撃者がいて通報してくれたのですよ」
山葉さんは話を聞くうち坂田警部から目線をそらせて、知らぬ顔を決め込むつもりの様子だ。
「悪いことをする人がいるものですね」
山葉さんが白々しく感想を言うと、坂田警部はポケットから写真を取り出す。
「犯人グループが被害者を運んだ先がうちの管轄だったのですよ路上に放り出された被害者を轢いた人は情状酌量の余地が出てきましたし、交通事故の線から操作をするうちに実行犯が自供したために詐欺グループの摘発に至ったのでよかったのですが。通報者に疑問がありましてね。通報途中で電話を切るなど不審な点があったので新宿署と連携して調べたのですが通報があった時間帯にその公衆電話付近の防犯カメラにこんな人物がうつっていたのです」
坂田警部が差し出した写真には巫女姿の山葉さんを先頭に僕と鳴山さん、そして森田さんが歩いている様子が鮮明に写っていた。
「いや、これは森田さんに取り憑いた霊を浄霊していたときのことで」
山葉さんがいい訳を始めるのを見て坂田警部は穏やかな笑顔を浮かべた。
「犯罪者に関わって無理なことはしないように」
坂田警部はそれだけ言いたかったらしく、写真をしまうと綾香ちゃんの相手を始める。
山葉さんは心なしかほっとした様子で坂田警部一家の団欒を眺めるのだった
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