第539話 式王子の務め

 武器になるものを探す僕の目に留まったのは、雑居ビルの壁際に落ちた高田の王子の小刀だった。

 その横には壁に叩きつけられた高田の王子が倒れている。

 扁平に潰れて、血をにじませた高田の王子を手当てしてあげたいが、高田の王子は式王子であり人ならぬ存在であるため、僕には何をすべきかさえわからない。

 高田の王子の小刀は螺鈿細工の鞘に収まった美しい工芸品に見えるが、僕は高田の王子がその小刀を使って死霊を浄霊する様子を何度か目撃していた。

「これを使えば、彼を倒せるかもしれない」

 僕は小刀を拾い上げて、鞘から刀身を抜いた。

 小刀故に反りのない刀身には規則的な刃紋が描かれ怪しい光を放っているが、目の前にいる死霊は既に人の範疇を越えた巨体と化している上に、硬い鱗で覆われている。

 僕が死霊に接近して鱗を刺し貫くことが出来とは思えなかったが、この状況では無理を承知で挑むしかなかった。

 その時、潰れて動きを止めていると思っていた高田の王子から声が響いた。

「その心意気やよし、しかしあの死霊は拙者が倒さねばならない。内村殿は拙者があの死霊の動きを止めてから止めを刺されよ」

 僕は扁平につぶれていると思っていた高田の王子に改めて視線を向けた。

 高田の王子は折れている片足を引きずり、血の帯を残しながら死霊の前に進み始めた。

 折れて不自然な方向に曲がっていた高田の王子の足は何時しか正常な形に戻り、その足取りは次第に速くなる。

 その先にいる死霊は、山葉さんに怒号をあげているところだった。

「俺は、詐欺グループから足を洗おうとしてこいつに殺されたんだ。それなのに復讐することが出来ないなんて不条理じゃないか」

 山葉さんは毅然とした表情で死霊に答える。

「あなた自身も犯罪に加担していたことを忘れてはいけない。しかし、改心して組織を止めようとして殺されたのは気の毒な部分もあるから、その田中という男が刑に服するように私が警察に通報してあげよう」

 死霊は山葉さんの言葉に、興味を示したように見えたが、高田の王子は死霊に駆け寄って跳躍していた。

 死霊は身長五メートルを越える巨体に変貌していたが、高田の王子は跳躍しながらその体を回転させ、回転した勢いを活かして死霊に背を向けた状態で踵を死霊の顔に叩きつけていた。

 高田の王子の蹴りを受けて死霊の首は付け根からもげ落ちて転がり、死霊の巨体はゆっくりと路面に倒れて行った。

 高田の王子も資料の身体と共に路上に叩きつけられたが、その体は不自然にねじ曲がっていた。

 おそらく、壁に叩きつけられた時の損傷を顧みずに最後の力を使って死霊を攻撃したに違いない。

「内村殿、死霊にとどめを」

 高田の王子は動く余力がないらしく、小さな声で僕に指示する。

 僕は無言でた徒の王子の小刀を鞘から抜くと、路上に倒れた死霊の身体によじ登って、小刀を振りかざした。

 小刀の刃は鱗にはじかれたが、何度目かに僕が渾身の力を込めて刺すと、鱗の隙間から刃が刺さるのが感じられた。

 そして、高田の王子の小刀の効力で死霊の身体は塵のように崩れて崩壊し始めていた。

 僕が小刀を鞘に納めながら路上に降りると、山葉さんは路上に転がった死霊の首を覗き込んでいた。

「俺は組織から足を洗ってまともな仕事に就いてから玲央奈に会いに行きたかったんだ」

 死霊は独り言のようにつぶやき、その頭部も首から崩壊しつつあった。

 山葉さんは彼に問いかけた。

「その願いをかなえてあげるから、あなたの名前を教えてくれ。祈祷をする際に名前というのは必要なのだ。」

 死霊は崩壊しつつある頭部の目だけを動かして山葉さんを見て、ゆっくりと名前を告げた。

「俺の名は下村雄一」

 それは、声にしたものではなくて思念として伝わったように思えた。

 やがて、死霊の身体も頭も残らず消え、最後に青白い光の絡まりが残った。

「それは、彼の魂ですよね。どうして消えずに残っているのですか」

 僕が尋ねると、山葉さんは沈んだ表情で答える。

「彼は悪行を悔いて更生しようとした矢先に命を絶たれた。きっと神も憐れんで彼に再び生まれかわる機会を与えたのだろう」

 青白い光の塊は動きを止めている森田さんに接近するとその中に吸い込まれるように姿を消した。

 そして僕たちは、通常の世界に戻っていた。

 ぼくが森田さんを後ろから羽交い絞めし、鳴山さんもそれに手を貸して彼を止めようとしている状態だ。

 僕の腕の中で、森田さんは頼りないくらい力なく足を止め怪訝な表情で周囲を見回した。

「ナキさん、それに内村さん達もどうしたのですか」

「どうしたもこうしたもないだろ。俺たちはお前を探していたんだよ」

 鳴山さんが告げると、森田さんは不思議そうな表情を浮かべる。

「そういえば、ナキさんと一緒にカフェ青葉に行ったような気がするけど、夢の中の出来事みたいだ、俺は一体どうしていたのですか」

 森田さんはどうやら本来の人格に戻った様子で僕たちに尋ねる。

「あなたは、小説に挟んだ栞に宿っていた死霊に取り憑かれていたのだ。その死霊はまだ森田さんの中に潜んでいるが私が浄霊してみせよう」

 山葉さんが告げると、森田さんの顔が青ざめていくのがわかる。

 僕たちの目と鼻の先で、死霊となった下村さんを殺害した犯人の田中が、組織の新しい構成員らしき男に話をしているが、彼は僕たちには何の関心も示していない。

 田中から見たら僕たちは全く関わりのない赤の他人なのだ。

 僕が森田さんを羽交い絞めしているところに一瞬視線を向けたが、単なる内輪もめと判断したらしくそれ以後は無視している。

「みんなこっちに来てくれ」

 山葉さんは何か思惑があるらしく、僕たちを率いて歩き始めていた。

 僕たちは森田さんを取り囲むようにして足早に田中の前から立ち去ろうとしたが、僕はふと足元を見て、そこに山葉さんが作った高田の王子が落ちていることに気が付いた。

 それはもちろん人の姿をしているわけではなく、山葉さんが和紙を切り抜いて作った紙細工に過ぎない。

 しかし、路上に横たわるその姿はあちこちで破れた上によじれており、今し方死霊と戦ってボロボロになっていた高田の王子を彷彿とさせるものがあった。

 僕の様子を見た山葉さんも路上の式王子の存在に気づき、彼女は身をかがめると自らの手で作った式王子を拾い上げた。

「戻って来たんだね。お疲れ様高田の王子」

 彼女は紙細工の式王子を拾い上げると、そっと折り畳んで自分のバッグにしまうのだった。



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