第528話 莉咲のおもちゃ

 自称陰陽師の狐月という男は次の日に人柱に立てられた。

 村の人々は再び「供物」を手に集まり、引き立てられてくる狐月を見守る。

 土蜘蛛と同化したおよねは八本の足を持つ小さな体で川辺の木の梢あたりから人柱が水路に沈められる様を見守った。

 村の人々は狐月が人柱に立てられることになったいきさつは知らないはずだが、嘲笑を浮かべながらそれでも供物を水路に投げ入れる。

 狐月は自分を引き立ててきた役人に哀願していたようだが、水路のへりに付いた時、役人は手荒く狐月の身体を突き飛ばし、水面に落ちた狐月は小さな水しぶきを一つ残して水中に消えて行った。

 およねは村人の様子を見ながら、自分もこのように沈められたのかと思うとむなしい思いに襲われた。

『土蜘蛛よ、人柱などということを考えた奉行もこの村人たちも殺してしまうことは出来ないかな』

 蜘蛛の心の中を少しの間沈黙が支配し、やがて土蜘蛛が答えた。

『そなたが願い、わしがそれを支持すればその願いはかなうに違いない。本当にそうなって良いのだな』

 およねはうなずいたつもりだったが、自分には身体すらないことを思い出して土蜘蛛に告げた。

『それでよい。私は人というものに愛想が尽きたのだ』

 土蜘蛛が我が意を得たように笑った気がしたが、それはおよねの気のせいだったかもしれない。

 およねを取り込んだ蜘蛛の妖はその日以降、顛末を見届けるために水路普請の奉行の後を追うことにした。

 奉行が配下の者たちと宿泊している宿に入り込み、動向を窺う事数日。

 漏れ聞こえる会話から、狐月を人柱にした効果もなく水路からの漏水は続いていることが窺われた。

 そしてある日、水路奉行が切腹して果てているのが見つかり宿屋は喧騒に包まれた。

『普請奉行が人柱などと言い始めた時に、水路普請そのものがどうしようもなく行き詰っていたのだ』とおよねが考えると土蜘蛛は、『そのようなことは思い至らなかった。やはり人の知識は役にたつ』と考えているのがわかる。

 ここ数日で彼我の境が無くなりつつあるようで、およねは土蜘蛛の意識に飲み込まれつつあるのだが彼女はそんなこともどうでもよくなりつつあった。

 土蜘蛛は自害して果てた奉行の骸の近くまで行くと何か呪文めいた言葉をつぶやいた。

 すると、宿屋の中に騒がしく響いていた人々の声は消え辺りは静寂に包まれる。

 不思議に思ったおよねが蜘蛛の目を通して様子を窺うと、奉行の配下の役人や宿の下働きの人々はひとしく動きを止めてその場に立っている。

 『何をしたのだ』

 およねは土蜘蛛に尋ねたが、自分がかつて生きていた時の姿で立っていることに気が付いた。

 自分の掌を握ったり開いたりしているおよねの横で大きな影が足元を動いていく。

『土蜘蛛なのか?』

 およねが呼び掛けると足の差し渡しが数メートルに及ぶ大きなクモが答えた。

『然なり、わしは奉行の魂を戴くことにする』

 蜘蛛の行く先にはいまだ血まみれの奉行の骸が安置されているがその枕もとの辺りには、生前と同じ姿で奉行の死霊が佇んでいたのだ。

 奉行の霊は土蜘蛛の姿を認めて身構えたが、土蜘蛛は彼が事態に対処する余裕を与えずに襲い掛かっていた。

 奉行の悲鳴は直に途切れ、サクサクと鋭い刃物が何かを突き刺す音が響く。

 やがて、土蜘蛛は「食事」を終えて上機嫌でおよねの元に戻って来た。

『そなたが呪いの念をかけた人間は、わしの能力で不幸が訪れて命を失うことになるようだ。これからも持ちつ持たれつでよろしくたのむ』

 土蜘蛛の説明はおよねにとって腑に落ちないものだったが、反対する理由もない。

 土蜘蛛は再び呪文じみた言葉をつぶやくと、およねと土蜘蛛は再び小さな蜘蛛の身体の中にもどり、喧騒と共に活動を始めた人間たちを天井の隅から静かに見下ろすのだった。

 その日からおよねが暮らしていた村は豪雨に見舞われた、数日間続いた雨で村の近くの川は氾濫し、村はあっけなく濁流に飲まれ多くの村人が命を落とした。

 江戸に水を運ぶために作られた堰が河川の氾濫を助長したのだが、皮肉なことに河川から水路に流れ込んだ濁流が土砂を運び、漏水個所を埋め尽くしたために水路の漏水は止まったという。

 そして土蜘蛛は氾濫で壊滅した村を徘徊し犠牲者の魂をむさぼった。

 やがて、およねを取り込んだ蜘蛛は江戸に移り住み、大火や疫病の折に犠牲者の魂を糧にその子孫を増やしていった。


 山葉はアシダカグモの妖の記憶の奔流が尽きたのを感じ、見当識を取り戻して周囲を見回した。

 予想していたように、周囲の人も妖も動きを止めている。

 今回は事象の発生源であるアシダカグモの妖に触れた莉咲と、その体に接触していた山葉だけが、妖が支配する時空に取り込まれたのだ。

 莉咲はアシダカグモの妖を片手で握り、莉咲の掌からはみ出したアシダカグモの足がじたばたと動いているのが見える。

「莉咲ちゃんそれはばっちいから手を離しなさい」

 山葉が言っても莉佐は生き物が動く感触が面白いのかキャッキャと喜んでアシダカグモの妖を握り込んだ手を振り回す始末だ。

 山葉は仕方ないから無理にでも取り上げようと莉咲に手を伸ばしかけたが、視野の端に動く者がいることに気が付いた。

 それは黒衣を纏った女で、山葉は莉咲とその女の間に立ち位置を変えながら女の動きを注視すう。

 黒衣の女は莉咲がアシダカグモの妖を振り回しているのを見て目を怒らせて山葉に叫んだ。

「折角キツネの妖を乗っ取っていたのに何故邪魔をする。さてはお前も陰陽師を名乗り、ろくでもない祈祷で人を惑わす輩だな」

 山葉は黒衣の女を見つめていたが、やがて静かな口調で告げた。

「あなたはおよねさんの成れの果ての姿なのだな。何の罪もなく人柱にされたことには同情するが、人を呪って幾多の人々に不幸を振りまいているのは放置できない。可哀そうだが私が祓ってあげよう」

 山葉の言葉は黒衣の女を激高させた。

「何故私の名を知っている!それ以上にその見下した態度は何だ。その子供はそなたの娘のようだがまとめて私が食ってやる」

 かつておよねだった黒衣の女は今やアシダカグモの妖と同化して、魂食いの妖怪と成り下がっていた。

 山葉はいざなぎの間に置かれていた自分の日本刀を抜刀すると、中段に構えて正面から黒衣の女と向き合った。

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