第529話 キャラクターが伝える史実
「私はそこに居る男の記憶を読み取っているのでお前のことは良く知っている。病み上がりの身体では満足に動くこともできまい。土蜘蛛をはじめとする私の同族を数多く殺した報いを受けさせてやる」
黒衣の女は躊躇なく山葉に向かって踏み込んで間合いを詰めた。
山葉は刀を振り下ろしたが黒衣の女は真剣の刃を手甲で受け止める。
そしてさらに踏み込んで山葉の腹に突きを入れようとした時、甲高い金属音が響き、閃光が黒衣の女と山葉の目をくらませた。
山葉の目が周囲を視認する音が出来るようになると、山葉の目の前に平安時代を思わせる水干姿の青年が立ちふさがり、手にした小太刀でおよねの片腕を刺し貫いているのが見て取れた。
「高田の王子!」
それは山葉が使う式王子の一つ、高田の王子が霊や妖が支配する時空の中に出現したときの姿だった。
「山葉殿、先ほどはこの死霊を取り逃してしまい面目次第もない。あちらの狐の妖に取り憑いていたものを追い出したのだが、とどめを刺す前にアシダカグモの妖に逃げ込まれ、その結界を破るのに時間が掛かっておりました」
高田の王子はいつになく慌てた雰囲気で山葉に話すとおよねの霊に向き直る。
「おのれ、同族の蜘蛛たちを殺しただけでは飽き足らず、私も祓うつもりなのか」
黒衣の女の片腕は高田の王子の小太刀に刺されたことで指先から砂のように崩れ始めていたが、彼女はそれでも高田の王子に立ち向かおうとする。
「そなたはおよねという女性のみならず、土蜘蛛や犠牲となった幾多の人の霊魂を取り込んだ集合体だ。もうあきらめて帰るべき場所に行くがよい」
高田の王子が小太刀でとどめを刺そうとするが黒衣の女は手甲で受け、更に身を翻して逃げようとする。
しかし高田の王子は黒衣の女が逃げる先に回り込み、その胸に小太刀を突き立てていた。
黒衣の女は畳の上に倒れ、その体は端から砂のように崩れていくがその顔は憎しみを露わにつぶやいた。
「悔しい」
黒衣の女がその姿をとどめぬほどに崩壊した時、消えていく煤のような粒子の中から無数の青白い光が飛び出して行った。
そして周囲の人々も動きを取り戻し、美咲嬢がツーコに指示する声が山葉の耳に届く。
周囲には無数の青白い光が飛び交っているが、そのうちの一つが徹の身体に吸い込まれるのが見えた。
同様に沼と祥にもそれぞれ一つの光が吸い込まれて行きふたりが驚いた表情を浮かべている。
アシダカグモの妖が奪い去った三人の心の一部が戻って行ったに違いない。
山葉は周囲の青白い光をどうしようかと見まわしていたが、莉咲に袴を引っ張られて足元に目を降ろした。
莉咲はアクリルケースに入っていたアシダカグモの妖を握りつぶして、掌に付着したベトベトした残骸が気持ち悪いらしくて山葉に何とかしてもらおうとして呼んでいたのだ。
山葉は、莉咲の掌にあるアシダカグモの妖の残骸を見てげんなりしながらも、莉咲が妖の本体を握りつぶしたおかげで高田の王子が妖の結界を突破できたのだと気付く。
「莉咲ちゃん、ばっちいのをキレイキレイしましょうね」
山葉が莉咲の手を拭くものを探すと、裕子がいち早く事態に気づいてウエットティッシュの箱を差し出している。
山葉と裕子が二人がかりで莉咲の手を綺麗にしていると、その様子を徹が覗き込んだ。
「それはもしかしてアシダカグモの妖なの?」
徹が普通に話していることに気が付いて山葉は驚いて顔をあげる。
「ウッチーが元に戻っている!?ウッチー、私の言うことがわかる」
山葉の問いかけに、徹は照れくさそうに答えた。
「うん、さっきまでのことも夢の中のようにおぼろげだけど覚えている。きっと心配かけていたんだね」
彼がしっかりとした受け答えをしているのを確認すると山葉の目に涙が浮かんだ。
山葉は人目も気にしないで徹を抱きしめると、大粒の涙を流した。
「ウッチー、帰ってきてくれてよかった」
美咲嬢たちは一瞬手を止めて山葉と徹の様子を見たが、好ましい状況だと悟ると再び自分たちの作業に戻る。
「悦子さん済まない。アシダカグモの妖をうちの莉咲が握り通してしまったよ」
山葉は徹を抱きしめたままの格好で、治療中の悦子に申し訳なさそうに告げた。
「そんなものさっさと処分してください。私はもう一生クモなんか見たくない」
アシダカグモの妖を飼いならそうとして逆に憑依された悦子はもうこりごりだという様子で山葉に答える。
山葉に抱きつかれて、少し照れくさそうな徹は周囲を漂う大量の青白い光の塊を見ながら山葉に言った。
「山葉さん、この霊魂をどうにかしなければ」
山葉は徹の言葉が意味することに気づき、改めて周囲を見渡す。
「これは土蜘蛛と呼ばれていた妖が、誘惑して我が物にした人々の霊魂の一部に違いない。ここにいるだけでも私が来世に送り出そう」
山葉は居住まいを正していざなぎ流の祈祷を始めた。
それは「みこがみ」の祈祷で、死者の霊魂をあらたな生へと送り出そうとしているのだった。
いざなぎ流の祭文を唱えながら神楽を舞った山葉は、りかんの言葉を唱えた。
山葉が差し出した手のひらには辺りを漂っていた青白い光の塊が次々と引き寄せられていき、彼女が強く気を込めるとそれらはいずことも知れぬ時空へと送り出されていった。
しかし、山葉の祈祷が引き寄せる力に逆らっていまだに部屋の中を漂っている青白い光が一つ残っていた。
「ウッチー、それはアシダカグモの妖の精神の一部を形成していたおよねさんという女性の霊だ。ウッチーのユニークスキルを駆使してそれを捕まえてくれ」
山葉は軽い雰囲気で徹に指示するが、徹もさすがに躊躇した。
つい先ほどまでそのアシダカグモの妖に心の一部を奪われて人事不省の状態になっていたのだから無理もない。
「大丈夫だ、人の霊魂ならばどれほど深い恨みを抱いていても私が祓うことが出来る。彼女にはウッチーの身体を通して見聞きして欲しいことが有るのだ」
徹は仕方なく、目の前を漂う青白い光の塊に手を伸ばし、それは蛍を捕まえるようにやすやすと徹の手に捕えられた。
徹が再び掌を開くとその光は消えており、徹の身体に吸収されたようにしか思えない。
「それでは、今からドライブに出かける。お母さんも莉咲を連れて一緒に出掛けよう」
莉咲の手を綺麗にし終えた裕子はアシダカグモの妖の死骸とそれを拭き清めたウエットティッシュを「みてぐら」に放り込むと山葉にうなずいた。
「待って、私も一緒に行きます。沼さんフロア業務をお願いしていいですか」
祥は病み上がりの山葉の体調を心配して同行を申し出たのだった。
「仕方ないですね。私の業務能力をもってすれば簡単なことので引き受けましょう」
祥に頼まれた沼が快く引くけている間に、山葉は「みてぐら」を素早く梱包して片手に抱える。
「これは出かけた先で人の手に触れないように埋めてこよう」
山葉は梱包したみてぐらを小脇に抱えると、カフェ青葉のガレージにある自分のWRX-STIに向かうと徹と裕子と莉咲、そして祥に乗るように促した。
山葉はステアリングを握ると首都高速に乗って西に向かい、東京都の西寄りのエリアに差し掛かったところで中央高速を降りた。
山葉が向かったのは都内を東西に流れる大きな川のほとりで、そこは取水のため席が設けられており、史跡として案内する看板も設置されていた。
「ウッチーこの看板を見てくれ。人柱歴三百五十年の人気キャラクターおよねちゃんがアナウンスしているのがわかるだろう。このキャラクターは非公認だがおよねちゃんは史実として存在した人物で、彼女が人柱にされた時には村人全てが悲しみに暮れたと書いてある。そして、この地区では今でもおよねちゃんの命日とされる日に綿流し祭りを開催して彼女の冥福を祈っているそうだ」
看板に描かれているのは水色の髪の現代的なイラストだが、江戸時代に実際に起きた哀しい史実として人柱の伝説を説明している。
「すごい、江戸時代に作られた用水路が今でも都の水道用に使われているのですね」
祥は観光案内用の看板を見ながら感心したようにつぶやく。
その時、山葉や祥の耳にはくぐもった女性の声が響いた。
「私は村の人たちが人柱になった私のことを面白がってみていたのだと思っていた。洪水で村が壊滅したはずなのに、今でもお祭りまでしていたなんて」
それは、徹に乗り移っているはずのおよねの声だと思えた。
山葉は声に答える訳ではなくさらに説明を続ける。
「村人が悲しんだのは彼女が人柱として命を落とした時に、彼女が婚礼を控えていたからだ。彼女が嫁ぐはずだったのは村の有力者の息子だったが彼女を失った心痛のあまり、程なくして病死したとされている。ここにあるのがその人を祭った塚だ」
山葉は看板から少し離れた場所に有る石碑を示した。
それは、堰の近くの公共スペースの隅に小さく囲われたエリアだったが、綺麗に掃き清められて地元で大切にされていることが窺われた。
徹がその方向に一二歩歩いた時、彼の身体から青白い光の塊が離れてその石碑に漂っていくのがその場に居合わせた霊感を持つ者の目に映った。
そして青白い光は石碑にとまると次第にその光を減じて見えなくなっていった。
「私たちが目にした黒衣の女はアシダカグモの妖に取り込まれたおよねさんの姿だったのだ。彼女は人柱になることを強いられた上に、神事を司った陰陽師がろくでもない男だったのために村人たちが自分の死を軽く見ていたと感じて恨みを募らせていたのだ。しかし、村人たちも悲しんでいたことを知って少しは気が晴れたに違いない」
山葉はしんみりとした口調でつぶやいた。
「山葉さんはどうしてこの場所をご存じだったのですか」
石碑に手を合わせていた祥は、山葉が確信をもってこの場所に来たように感じたので尋ねる。
「私は、いざなぎ流の祈祷のパンフレットを作るためにネットで和物のキャラクターを検索したころがあり、およねちゃんの存在を知っていたのだ。アシダカグモの妖の記憶が人柱キャラクターのおよねちゃんのエピソードとおおむね一致していたので、彼女に村人の心情を知ってもらおうと思い連れてきたのだ」
徹は山葉の言葉を聞いて、自分を捕えた妖の女を思い出しながらため息をつく。
「彼女は恨みともにここで昇華して消えたと思っていいのですか」
山葉はゆっくりとうなずいた。
山葉たちの前で、せき止められた川の水は静かに水路を流れ、およねの死を悲しんで後を追うように死んだ圭太を祭る碑には木漏れ日が揺れていた。
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