第527話 土蜘蛛の能力

 闇を動く影はその形から大きな蜘蛛だと判別できた。

 およねは蜘蛛など見たくもないと思い、顔をそむけたが頭の中に何者かの声が響いた。

「お困りのようだな。そなたはわしの声を聞き取る良き素質を持っている。もしもその魂をわしにくれるならば、そなたの憎む人を一人取り殺してやってもよいぞ」

 およねは蜘蛛に自分の魂をやることなど考えられないと思い、その蜘蛛の言葉を無視することにした。

 あまつさえ、自らの命が危険にさらされて気がふれかけているのではないかという気もしたのだ。

「そうか、嫌ならば無理には勧めぬ。わしはこの辺りに居る故、気が変わったならば土蜘蛛と呼べば姿を現してやる」

 およねの頭の中で土蜘蛛の言葉が紡ぎ出され、それが終わった時には土蜘蛛の姿は壁の上に無かった。

 翌日になると狐月と名乗った男は供も連れずにあばら家を訪れ、床に座るおよねを見下ろしていた。

「そなたを正午に人柱として捧げることが決まった。天下のために尊い犠牲となることを誉と思われよ」

 およねはこの狐月という男は虫がすかないと感じており、勝手に自分を人柱にすると決めた上にそれを誉と思えなどといわれて、頭に血が上るのを感じた。

「どうして私が死ななければならないのですか。私を自由にしてください」

 およねは立ち上がって狐月につかみかかったが、所詮およねが叶う相手ではなく、狐月はおよねの手を後ろ手にねじり上げるとクツクツと笑った。

「人に羨まれる幸せの絶倒にあるものが人身御供として人柱に立てられるとなれば、巷の

 下賤な民どもはあるものは悲しみ、またある者は人柱に立てられるそなたを見たいと願って儀式の場に集まるであろう。それこそが我が術の要の部分なのだ。そなたには悪いが大人しく人柱となってもらおう」

 およねは狐月がねじり上げた自分の腕に刺すような鋭い痛みが走るのを感じた。

 そして痛みが引くのにつれて自分の身体から力が抜けていく。

「高き山に生える薬草の根を煮詰めた毒薬だ。そなたは自らの力では動けなくなり、我らが介助して水辺に連れて行くことで傍目には皆のために身を捧げるけなげな女と映るのだ」

 およねは床にへたり込み、狐月が指を鳴らすと黒ずくめの衣装に身を包んだ男二人が左右から支えておよねを立たせる。

「狐月様、この娘をこのまま儀式の場へ連れて行きますか」

「そうしてくれ。村の者には女は布団の綿、男には水田の泥を供物として水路に投げ入れるように触書を出しておいた。民草は疑うこともせずに言われたとおりにすることは請け合ってやるよ。そうそう、その娘を連れて行くときは丁重に扱えよ。世のため人のために自ら身を捧げてくれる尊いお人だからな。我が一族に伝わるこの術式はさして霊力の類を使うことなく水路や田の水もれを塞ぐ稀有な技なのだ」

 およねは左右から狐月の手下に支えられて運ばれながら、自分は生贄として殺される運命だと悟った。

 しかし、村人を見下しおよね自身も小馬鹿にしたような態度を取る、狐月という陰陽師まがいの男がどうしても許せなかった。

『土蜘蛛、土蜘蛛』

 既に声も出せなくなっているおよねは、心の中で夜半に現れた言葉を話す蜘蛛を呼ぶ。

 狐月やその手下が気付かないうちに、一匹の蜘蛛が天井から軽く跳躍しておよねの背中に飛び乗った。

「お呼びのようだな。考えは変わったのかね」

『水路普請の奉行が人柱を立てるなどと言い出したのも理不尽だが、この狐月という男はどうしても許せない。私の魂をやるからこの男を殺してくれ』

 このまま水底に沈めて殺されることが避けられないとしても、この男を道ずれにでもしないと気が済まないとおよねは考えたのだ。

「御意のままに」

 土蜘蛛はお米の背中に乗ったままで言葉少なく答える。

 やがておよねが連れて行かれる先にはたくさんの村人が詰めかけているのが見えた。

 村の人々ほとんどが集まったのではないかという人出の中、およねは左右から支えられて無言で運ばれていった。

 村の人々は、幸せの絶頂にあった私が死ぬのを見たくてこれほど集まったにちがいない。

 何といやらしくおぞましい心根なのだろうと思い、およねは自分の心が冷えていくのを感じる。

 およねは自分が沈められることになる水面を見ながら、出来ることなら陰陽師だけでなく村人たちも死ねばよいと考えていた。

 やがて、狐月はしめやかに神事を取り来ない、それに合わせて村人たちそれぞれが持ち寄った綿くずや水田の土くれを水路に投げ込み始めた。

 そして、狐月の儀式が終わりに差し掛かった時、およねは冷たい水の中に放り込まれていた。

 運ばれる途中で着せられた絹の白衣には重しになるものが縫い込まれていたらしくおよねは水底に引き込まれて行き、溺れて命が尽きた。

 そして、気が付くと硬い殻に覆われた八本の足を持つ蜘蛛の身体に同化していた。

『来たようだな。能力の強い人の御霊は話し相手になってくれると思っていたとおりだ』

 土蜘蛛の声は、いまや自らの思考と区別がつかないがそれとなく判別できる。

『約束通りあの男を殺してくれ、早く!』

 およねが急かすと、土蜘蛛が笑ったような気がした。

『御意のままにと言ったはず、先ずは様子を御覧じよ』

 土蜘蛛は密かに狐月の荷物に紛れてその後を追っていた。

 土蜘蛛と同化したおよねは新たな知見が自分の心に流れ込むのを感じる。

 それは、狐月の術式とは村の女たちに冷たい水に入るおよねのためと称して布団に詰めた綿を持ち寄らせて水路に流し、綿は水底に沈み水が漏出する場所に吸い寄せられて塞いでくれるという稚拙な方法だと教えるものだった。

 そして男たちの投入した泥が綿に詰まって完全に水を塞ぐというのだ。

 しかし、村の近くの用水路の漏出個所は広範囲に及んでおり、狐月の術式を持っても完全にふさぐことは出来なかったようだ。

 儀式のために流された水が、漏水箇所に吸い込まれていく勢いは削がれたものの、水路の水面は次第に下がっていく。

 狐月は夜闇に紛れて村を出ようとしたところで、水路普請の奉行の手のものに捕えられた。

 奉行の前に引き立てられた狐月は必死になって釈明を始めた。

「お奉行様、人柱の効果は出ておりますが、水路の水漏れ箇所が広範なために塞ぎきれなかったのです。もう一人、人柱を立てたら完全にふさぐことが出来ましょう」

 狐月の訴えを奉行は苦い表情で聞いていたが、奉行の後ろに憤懣やるかたない表情の庄屋の顔を見た狐月は口をつぐんだ。

「お奉行様、さらなる人柱が必要ならば、この男を人柱にしてはいかがでしょうか」

「それは妙案だな。夜が明けたらこの男をおよねと同じように水路に沈めよう」

 狐月は逃げ出そうとして暴れたが、奉行の配下の役人が手荒に取り押さえた。

 蜘蛛の妖の一部となったおよねは天井に張り付いて八つの目でこの様子を眺めていた。

『これはそなたの仕業なのか』

『わしでもあり、おぬしの能力でもある。げに恐ろしきは人の呪いだな』

 同じ蜘蛛の中に存在する意識だが、およねは土蜘蛛が薄笑いを浮かべたように感じた。

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