第526話 人柱の伝説

 山葉は莉咲がよりによって性質の悪い妖をおもちゃの代わりにいじろうとしているのを見て、血が凍る思いだった。

 妖を手なずけて生業としていた父親の術を受け継いだはずの悦子でさえ取り憑かれていたのだから、無垢な子供など一瞬のうちに支配下に置かれると思ったからだ。

「莉咲ちゃん、それに触っては駄目!!」

 山葉は周囲の物を弾き飛ばしす勢いで莉咲の所に急いだが、莉咲は既にアクリルケースのふたを開けてしまっている。

 山葉が莉咲の所に辿り着いて彼女を止めようとするのと、莉咲の小さな手がアシダカグモの妖に触れてしまうのはほぼ同時だった。

 莉咲の手がアシダカグモの妖を掴むのと同時に、周囲を目がくらむような白い閃光が満たした。

 山葉は何が起きたのか理解できなかったが、自分の意識に幻覚のように他者の視覚や聴覚、そして思考が流れ込むのを感じる。

 それは山葉にとっては初めての体験だったが徹がサイコメトラー能力を発揮した際に、物に残されていた強い思念を読み取る体験とはどういうことかを話してくれたものに近いと思えた。

 徹の血を引く莉咲が同じ能力を持っており、莉咲に触れていた自分も彼女が拾ったアシダカグモに残る思念、この場合はアシダカグモに乗り移っている死霊の意識に同化している可能性が高い。

 山葉は流れ込む感覚に流されたら支配されるのではないかと警戒したが、押し寄せる記憶の奔流に飲み込まれていった。

 何者かの記憶を追体験し始めた山葉は、記憶の主がたどった経験をトレースしていく。

 カフェ青葉のバックヤードの和室の壁が見えていたはずなのに周囲はのどかな田園風景に変わり、傍らには幼馴染のおさよが並んで歩いていた。

「およねちゃんはいいわよね、庄屋様の息子の圭太さんに見初められたのだもの、私達と違ってもう一生食べることには困らないのね」

 おさよは羨ましそうに言うのだが、その実およねが幸せを掴んだことを我がことのように喜んでいるのがわかる。

 仲が良いだけでなく、気立ての良い人なのだ。

「でもね、圭太さんが言うには、たくさんの田んぼを持っているからと言ってそれで食べて行けるわけではなくて、小作の人達が働いてくれるとはいえ、仕事を回してたくさんの人を養っていくようなものだから気苦労が大変なのですって」

 およねは、圭太に聞いた話を受け売りでおさよに伝え、おさよは大仰に感心するのだった。

「庄屋様は土地をたくさん持っていて裕福なだけだと思っていたらそんな苦労もあるのね」

 およねは圭太との婚礼に先立って、身の回り品を買いそろえるため、おさよに付き添ってもらって江戸の街まで買い物に出かけていたのだ。

 同行してもらったお礼に、おさよにも櫛を買って渡したのでおさよはことさらに機嫌よく見える。

 およねにとっては気楽に買い物に行けるのも婚礼まで、庄屋様の家に入ったらそうおいそれとは外に買い物などに行けいであろうと推測しているのだった。

 江戸での買い物は幼馴染のおさよが一緒ということもあり、ついつい時間をかけすぎたようで、村に帰る頃には暮六つをまわっていた。

 晩秋の日の暮れは早く、およねが暗くなった道を急いでいると、村に入ると同時に二の腕を手荒に掴む者がいた。

「何をなさるのですか」

 およねはその男の手を振り払おうとしたが、男の手はしっかりとお米の腕を掴んで離さない。

 お米の腕を掴んだ男は白衣と袴を見にまとい、一見すると神職に着く者に見えたが、その目は異様に鋭く、痩せてこけた頬と相まって貧相な雰囲気を醸し出している。

「すまぬがおぬしには水路普請の人柱となってもらう。わしはもう少し人選の方法を考えるように諭したのだが、この村の庄屋様本人が暮れ六つを過ぎて最初に村に入った人間をひと柱に選ぶようにいわれたのでな」

 男は容赦なくおよねを引き立てて行こうとする。

「待って下さい。私は庄屋様の息子の圭太さんのと婚礼の予定があるおよねです。決して怪しいものではありません」

 およねが必死に自分の素性を訴えるのを聞いて、神職風の男の隣にいた青年は慌てて男に話す。

「この人は庄屋様の所に輿入れが決まっているおよねさんです。どうか別の人に選びなおしてください」

 男は青年の言葉を聞くと面白そうな笑顔を浮かべる。

「それは残念だったな。水路普請の奉行様はお江戸の町に水を引くための水路を作るのに心血を注いでいたが、水路に流した水を全て水を吸い込んでしまう箇所があり頭を抱えていたのだ。そしてこの村の庄屋にひと柱を立てろと難題を出されたのだ。庄屋様は村人を犠牲にしたくないあまりに暮れ六つを過ぎて最初に村を通った者をひと柱にすると奉行様に伝えたところなのだ。自分の親しき者が選ばれたからと言ってそう簡単に許されるわけがない」

 およねの頭には神職風の男が口にした人柱という言葉が渦巻いていた。

 それは城や橋を作る時に人を犠牲に捧げて工事が上手くいくように神に頼むものだと聞いたことが有る。

「いやじゃ、私はもうすぐ婚礼を迎えるはずだったのになぜ死ななければならないのじゃ」

 およねが抵抗しても、神職風の男は意に介さずにおよねを村の中で空き家となっていたあばら家に閉じ込めたのだった。

 夜も更けた頃に、お米のもとに食事を届けたのは庄屋様の家で下働きをする女性で、食事を手渡しながらおよねに囁くのだった。

「庄屋様がおよね様を助けるために手を尽くしています。どうかお気を確かに持って助けを待って下さい」

 およねは自分を救出する動きがあることを知り、やっと希望が見えたと思った。

「本当ですね、圭太さんはどうしていますか」

「圭太さんは心配のあまり寝込んでしまいました。庄屋様は自分のしでかしたことでおよねさんや圭太さんを辛い目に遭わせてしまったと半狂乱で救出に奔走しています」

 およねは優しい圭太さんや、その父である温厚な庄屋様がきっと自分を助けてくれると思うしかない。

「私を捕えた男は何者なのですか」

 およねが下働きの女性に尋ねると彼女は、それが忌み嫌うべきもののように告げた。

「あの者の名は狐月といい、陰陽師だと申しておりました。でも、何やら品が無くて何故にあのようなものをお奉行様が重用するのかが私にはわかりません」

 下働きの女性はおよねに食事と一緒にわずかばかりの希望を与えて帰って行った。

 残されたおよねは灯りさえも与えられていないあばら家で壁の隙間から射しこむ月明りを頼りに過ごすしかなく、命の危険が迫っている故に一睡もできずに暗闇に座っていた。

 そんな折に、およねはわずかな月明りのなかで壁の上を動くものがあることに気が付いた。


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