第520話 生活力無さそうだけど

 黒龍に胴の中ほどを咥えられたお牧の方は絶叫をあげ、手にした刀で黒龍に斬りつけようとしたがが、黒龍が身をよじり、口に咥えたお牧を振り回す方が早かった。

 離れた場所から見ていた祥には最初何が起きたのかわからなかったが、黒龍の鋭い牙に掛かってお牧の方の身体がバラバラに四散したことに気づいて息を飲んだ。

 黒龍は血に染まった口のままで、中空に漂っているが四散したお牧の方の方はそれでも動きを止めていなかった。

 もげ落ちた首やバラバラになったその体が転がる様は凄惨を極めているが、その首はいまだに呪詛の言葉を口にし続けている。

「恨みが深いとはいえ、いつまでも周囲の物を巻き込まれてはたまらぬ。拙僧が引導を渡して進ぜよう」

 観智は黒龍の横に立ち静かな声で読経を始めた。

「般若心境!?」

 祥の実家は神社ではあるが、仏教の経文のいくつかは祥も知っている。

 観智が読経を終えると黒龍が引き裂いたお牧の方の身体はサラサラと灰のように崩れて消えていった。

 お牧の方の姿が消えると黒龍は祥に近寄り、その顔を祥の脇腹の辺りに刷りつけるしぐさをする。

「黒龍様、私のことがわかるの?」

 祥は問いかけるが、黒龍は一声鳴くと、辺りに火の粉を飛ばしながら勢いよく上空へと舞い上がって行った。

 祥が黒龍の姿をもう一度よく見ようと顔をあげた時、辺りを包んでいた静寂が破れ、動きを止めていた人々が元通りの活動を始めた。

 祥が視線を下に降ろすと自分が子供を組みしこうとしていたところで、祥の注意がそれたすきに子供は後ろに飛び下がり逆襲の機会を窺おうとする。

 しかし、祥の手から自由になろうとして闇雲に動いた子供は藪に残っていた竹の切り株を踏み抜いていた。

 子供は自分の足をあげようとしても地面から離れないため怪訝な表情でのぞき込んだが、やがて事態を悟るとその場に座り込んで泣き声を上げた。

 そして周囲を取り囲んでいた子供たちは、リーダーが戦闘不能になったことを見て取ると蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。

 隆夫は子供が持っている日本刀を取り上げて放り投げると、その体を抱えて刺さった竹を抜こうとし始めた。

「ほう我らの命を奪おうとした童を救おうというのか?そのような童この場で切って捨てるのが一番じゃ」

 子供に腕を斬られた侍は自分の刀を振りかざして子供に詰め寄るが、隆夫は子供を抱え上げて竹の切り株からその足を引きはがし、自分の後ろに庇うように置いた。

「駄目です、戦意を失っている上にしかも子供ではないですか。足のけがを治療して親元に返してあげるべきです」

 隆夫はいつもと違って毅然とした雰囲気で侍に言い返し、祥は意外な思いでその姿を見守っていた。

「この御仁の言う通り刀を収めよ。ここは他国の領域故無用な殺生は避けるのだ。それにそちらの龍を使う女人といい、この三人はどこか常人とは異なる」

 家康が家来に指示するのを聞いて、観智は複雑な表情を浮かべた。

「その通り、この二人は稀人なのだ。この世界で起きた乱れを正すために遥かな未来から来たと言っておる」

 家康は驚いた表情で祥と隆夫を見た。

「ほう、先の世から時を遡ってきあと申すのか?それではこの先誰がこの国を平定するか申して見よ」

 家康の近くにいた祥は、本当のことを告げたらそれだけでタイムパラドクスが発生するのではないかと危惧して言葉を選んで答える。

「それは申し上げられません。でもあなたがこの場を生き延びて数百年に亘って子孫が反映することだけはお伝えします」

 家康は納得がいかない表情だが、祥がそれ以上の情報を伝える気がないと見て取ると隆夫に話す。

「そなたの言う通り、子供は治療を施して里に返すことにしよう」

 家康は家らに指示し、家来の侍は自分の荷物からさらしと貝殻に詰められた軟膏を取り出した。

 祥をはじめ、居合わせた人々は子供と、侍の刀傷の手当てを始めた。

 竹の切り株が足の裏から足の甲まで突き抜けた子供に対して、傷口に軟膏を巻いてさらしで縛ることしかできないが、この時代ではその程度の治療方法しかないに違いない。

 祥たちに襲い掛かってきた時、子供の両目には怪しい青い光が見えたが今は傷の痛みに涙ぐみ、おとなしく治療を受けている。

「そなた命拾いしたな。人の命は重きもの故、みだりに他人の命を奪おうなどと思わぬことだ。」

 観智が諭すのを大人しく聞いている様子を見ると、襲撃に至るまではお牧の方が子供に憑依して操っていたのではないかと祥は思う。

 怪我人の治療を終えた頃に、祥の耳には数騎の騎馬が駆ける音が聞こえた。

 家康とその家来は新たな敵の出現かと気色ばんでいるが、祥たちの前に現れたのは鎧兜に身を包んだ康清とその部下たちだった。

「観智殿、虜囚が助けを求める手紙を伊賀の里に届けて、我らを襲撃させるつもりだったのか?」

 祥はたくらみが露見したことを悟り、どうしようかと観智の顔を見たが、観智は悪びれない雰囲気で答えた。

「そなたが人の道に外れた行いをしようとするから、私は御仏の教えに従ったまで」

 康清は奸智を睨んだが、仕方なさそうに言った。

「京の都より知らせが届いた。明智光秀は山崎の戦いで秀吉殿に敗れて敗退したそうじゃ。三河の侍たちを解き放とうとしたらおぬしが伊賀の里に向かっておると聞いて慌てて止めに参った次第。もう寺に戻られよ」

 家康と家来の表情が明るくなり手を取り合って喜んでいるのが見えたが、祥は自分の身体がまばゆい光に包まれていくのを感じた。

 気が付くと、祥は隆夫と並んで寺の山門に立っており、振り返ると松阪市から乗ってきたレンタカーが道路脇に止めてある。

 祥は今までの体験が自分の心の中だけのことだったのだろうかと不安になり、隆夫に尋ねた。

「隆夫さん、私はタイムスリップして徳川家康を助ける夢を見ていたみたいなのですけど」

 祥と同じように周囲を見回していた隆夫は、少し大きな声を出して祥に答える。

「僕も祥さんがドラゴンを召喚して鬼を退治する夢を見ていたところですよ」

 二人は顔を見合わすと、互いに同じ体験を共有していたことを悟った。

 それぞれが自分の見た事を話して確認するうちに、祥は自分たちがこの地に来たこと自体が何者かに引き寄せられていたようだと感じる。

「隆夫さん、私たちが観音菩薩像を探しに来たこと自体が、歴史の流れを修正するために何者かに呼び寄せられたのではないでしょうか」

 祥が尋ねると、隆夫も自分の体験を思い出しながら考えている様子だ。

「そうかもしれませんね。徳川家康がこの辺の村人に打ち取られていたとか、本来の歴史とは違うアクシデントが生じた世界に僕たちが呼び寄せられて修復してしたのかもしれない」

 祥は自分の前にある寺の山門を見てそこが開いていることに気が付いた。

 祥と隆夫が訪れたのは、人気がなく荒れ果てた雰囲気の小さな寺だったのだが、目の前にある寺は祥と隆夫が康清という侍に捉えられた寺に佇まいが似た、広くて立派な寺だった。

「拝観されるのですか?一般のかたが拝観できる時間はあと一時間くらいですよ」

 山門の中から祥たちに気づいた僧侶が話しかけ、祥と隆夫は慌てて寺の境内に入った。

「あの、このお寺には観音菩薩像は有りませんか」

 隆夫が尋ねると、僧侶は心なしか嬉しそうな表情を浮かべた。

「本堂の奥に観音菩薩像があり、一般の方も拝観可能ですからゆっくりご覧ください。平安時代に作られたもので、もうすぐ重要文化財の指定を受けるかもしれないのですよ」

 祥たちが事前に調べた時には知り得なかった情報だった。

 僧侶は本堂まで案内すると言って席に立ち、寺の境内には五重の塔も見える。

「このお寺はずいぶん歴史がありそうですね」

 隆夫が尋ねると僧侶は参拝客用に設置された案内板を示す。

「建立は鎌倉時代までさかのぼります。戦国時代には戦乱に巻き込まれそうになったらしいのですが、その頃逗留していた僧侶が危機を救ったとされており、その僧侶は一説には後の天海上人だったのではないかと言われているのです」

 祥の頭には観智と名乗っていた僧侶の顔が思い浮かんだが、口に出すわけにはいかずそのまま本堂まで僧侶に案内されて歩く。

「ゆっくりご覧ください」

 愛想のいい僧侶は本堂に着くと祥と隆夫を残して立ち去り、祥たちは再び隆夫の作となる観音菩薩像を目にすることになった。

 隆夫は本堂に設置された観音菩薩像を放心したように見つめている。

 祥はその菩薩像の目鼻立ちが微妙に自分に似ていることに気づき、ほんわりと暖かい感情が沸き上がるのを感じた。

「隆夫さん、重要文化財の指定受けるかもしれないんですって。うれしい?」

 祥が冷やかし気味に問いかけるが、隆夫は生真面目な顔で答える。

「最近迷っていたものが吹っ切れたような気がします。祥さん、ありがとうございました」

 祥は、生真面目な隆夫の返事を嬉しく感じると同時に、タイムスリップした際に彼が見せた毅然とした態度を思い出して隆夫に対する認識を新たにするのだった。


 数日後、祥はカフェ青葉のフロア業務をこなしながら先日のタイムスリップ体験を思い起こしていた。

 徳川家康が意外と家臣や周囲の人間を大事にするタイプで、それは織田信長が家臣の明智光秀が丹波篠山攻めで自分の母親を人質として差し出して交渉していたにもかかわらず、投降した丹波篠山領主の波多野氏を処刑して光秀の母を実質見殺しにしたのとは大きな違いがあった。

 後に天下を取って末永く繫栄した人物には相応の美点があったと思えたのだ。

 祥は家康たちが戦国の一大名であった頃の姿を目にして、その後とのギャップが妙におかしかった。

 そして、時間を飛び越えた小旅行の記憶を反芻しながら自分の未来を考えていた。

 私は何処から来て何処に行くのだろうと思ううちに、自分の未来を思い浮かべる時に隆夫の姿がちらつくのを意識する。

 身近な未婚男性のなかで、元も生活力がなさそうな彼を思い浮かべてしまうのは何故だろうと祥はため息をつくが、タイムリープ中に目にした毅然とした隆夫の姿を思い出して何となく納得する部分もある。

 祥は厨房で受け取った料理をお客さんが待つフロアに運びながら、自分の心の動きを理解した気になって微笑を浮かべた。











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