蜘蛛女の怨恨
第521話 二学期が始まる日
水谷隼人は船橋市にある自分の高校に登校して二学期の始業式を迎えようとしていた。
夏に開催された東京オリンピックの後、コロナウイルス感染症は急増していたが学校は休校せずに二学期が始まるのが意外だ。
それは厳しい感染症対策で学校や社会的な活動を滞らせることないウイズコロナ政策が上手く機能しているように思えるが、隼人は一時的にそう見えるだけのような気がしていた。とはいえ、隼人は世間のコロナウイルス対策に関心が高いわけではなく、始業式に同級生の悦子の姿が見えない事が気になっていた。
隼人たちはかつて世話になった内村徹がアシダカグモの妖に操られて失踪した際に協力して追跡して徹を発見し、壮絶な戦いの末アシダカグモの妖を追い詰め瀕死の傷を負わすせた。
しかし、アシダカグモの妖は別の時空に逃避してしまい、後には銀色に輝く彫刻のような物体が残されていた。
悦子はアシダカグモの妖は別の時空で傷を癒したらいつか自分たちの時空に戻ってくるので、その時は自分が父から受け継いだ技で調教すると主張してその物体の監視役を申し出たのだ。
そして、悦子はつい最近、アシダカグモの妖が現実の世界に戻ってきたので調教に入るとSNSアプリのメールで知らせてきたのだった。
隼人はアシダカグモの妖がどうなったか早く聞きたかったのだが、朝から悦子の姿が見えず、始業式が始まっても彼女が姿を現さないので気をもんでいた。
そのため、始業式終わり教室に移動するときに担任の斎藤先生を捕まえてさりげなく尋ねることにした。
「先生、山崎悦子は欠席なのですか?」
斎藤先生は隼人の質問を聞くと、質問の主が隼人だと気付いて早口に話し始めた。
「隼人君、悦子さんのお父さんが亡くなった時は葬儀の準備を手伝ってくれてありがとう、それがね、悦子さんから何の連絡もないのに学校に来ていないから困っていたのよ。学校側から何度も電話をかけているのだけれど反応がないので、ホームルームと掃除が終わったら彼女の家を訪問しようかと思っていたの」
隼人は嫌な予感がしたものの、強いて落ち着いた声で斎藤先生に告げる。
「ひょっとしたらコロナウイルスに感染して起きられないのかもしれませんね。先に僕が様子を見に行くようにしましょうか」
斎藤先生は明らかにホッとした様子ではあるが、隼人の身の安全を気遣って言う。
「そうね、私も午後になったら彼女の家を訪問しようと思っていたのだけれど、クラスの中でも彼女と交流があるあなたが先に様子を確認してくれるとありがたいわ。但し、彼女が体調不良で発熱などの症状がみられる場合は、先ず私に連絡したうえで彼女とは接触しないで家の外で待機して頂戴」
「わかりました。ホームルームが終わったらすぐに彼女の家に向かってもいいですか?」
隼人は意図的にホームルームのあとで生徒全員参加の掃除の時間をスキップしようとしたのだが、斎藤先生は生真面目な表情で隼人に告げる。
「そうしてくれるかしら。クラスのみんなには、私が頼んで山崎さんのところに届け物に行ってもらうと伝えておくから」
隼人は掃除がさぼれてラッキーだと思いながら斎藤先生に真面目な顔でうなずいて見せた。
ホームルームが終わると隼人は荷物をまとめるとそそくさと教室を出る。
久しぶりに会ったクラスの友達と話したいのだが、それ以上に悦子のことが気がかりだった。
隼人は通学に浸かっている自転車に乗って学校から出たところで、道端に自転車を止めると双子の妹である未来に連絡することにした。
状況を簡単に説明すると、未来は気がかりそうな口調で隼人に告げる。
「兄者、一人で悦子さんを訪ねるのはやめて。私もすぐにそちらに向かうから到着するまで待っていて。美咲先生や黒崎さんには私から連絡しておく」
隼人と未来は母親が亡くなったため、別々の家に養子に迎えられており、数か月前に久しぶりに再会したばかりだ。
高校に入り、養父母がスマホを買ってくれたことで未来と連絡は取りやすくなったが、数年間音信不通だったこともあり、双子の妹でも微妙に話がしづらい部分がある。
「わかった。悦子さんの家の近くにあるコンビニで待っているよ」
隼人は通話を切ると、悦子の家がある方向に自転車をこぎ始めたが、未来は川崎市に住んでいるので下手をすると到着までに二時間くらいかかるかもしれないことに気づいた。
早く悦子の状況を確認したいのに二時間近くも待っているのはいらいらしそうだが、一人で行くなという未来の言葉も理解できる。
悦子から連絡が途絶えているということは最悪の場合、悦子がアシダカグモの妖に殺され、彼女の家では妖が餌食となるものが訪れるのを待っていることさえ有り得るからだ。
待ち合わせの場所にしたコンビニに到着したものの、隼人は早く悦子の家に行きたい気持ちと身の安全のために待機しなければという常識的な考えの間で悶々としていた。
九月に入ったとはいえ、屋外の日差しは強い。
「未来が来るまで待っていたら熱中症になってしまう。一旦家に帰ろうかな」
コンビニの店内はクーラーが効いて快適なのだがそう長居もできないので、隼人は清涼飲料水のペットボトルを買ってコンビニを出ると独り言をつぶやきながら周囲を見回した。
悦子の家の辺りは街の郊外なので緑も多いが、暑さをしのげる場所はない。
しかし、隼人の家は海際にありかなり距離があるので自宅に帰るのも億劫なので、隼人は暇つぶしも兼ねて悦子の家にいって遠くから様子を窺うことにした。
コンビニからゆっくりと自転車をこいで悦子の自宅に向かい、そろそろ彼女の家が見えようというときに背後から聞き覚えのある声が響いた。
「兄者、一人では行くなと言ったのに何故いうことを聞いてくれない?」
そこには未来が少し息を弾ませて立っていた。
彼女も学校の始業式だったらしく、見慣れない制服姿が妙に新鮮に見える。
「ごめん、まだしばらく到着しないと思って、遠くから様子だけでも見ようと思っていたんだ」
未来は不機嫌な表情でショーカットの前髪をかき上げた。
「友達が体調不良と聞いたのでお見舞いに行くと言ったら養母が送ってくれた。兄者はいつもそうやって勝手なことをする。奴が悦子さんを倒すほどに回復しているとしたら、我らが視界に入っただけで気取られる可能性がある」
未来の小言は続きそうな気配だったが、大人の女性の声がそこに割って入った。
「まあ、あなたが未来ちゃんのお兄さんなのね。カウンセラーの先生から未来ちゃんが面会しても良くなったと聞いて一度会ってみたいと思っていたの。双子だけに雰囲気が似ているわね」
初老に差し掛かった年齢の未来の養母は温厚な雰囲気でこちらを見つめており、未来は小声で隼人に囁いた。
「兄者つながりで知り合いになった悦子さんのお見舞いに来たことにしている。授業が始まったら週末しか来られないので急いでいくと言ったら車で送ってくれたのだ。話を合わせて!」
隼人が慌てて会釈をすると女性は温厚な笑顔を浮かべる。
「未来ちゃん、私は時間があるからお見舞いが終わるまでさっきのコンビニで待っていようかしら」
未来は一瞬困った顔をしたが、穏やかな微笑に切り替えてから振り返った。
「あまり待たせても悪いから、先に帰って。帰りは美咲先生の所に寄って帰る」
女性は残念そうに隼人を見る。
「あらそう?それじゃあお友達にもよろしくね。隼人君も時間があったら家に遊びに来なさい」
「はいそうさせてもらいます」
隼人は無難に答えながら、寡黙に見える未来が実は人間社会にすんなりと溶け込んでいることを理解した。
未来の養母が乗った乗用車が見えなくなると、未来は表情を引き締めた。
「それでは悦子さんの様子を見に行こう。スマホでも応答しないのだな?」
隼人は悦子の件に意識を引き戻されて慌ててうなずいた。
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