第499話 B級戦犯の遺品
現実世界と隔離された霊が支配する空間でその霊は鋭い眼光で僕たちを睨んでいた。
その出で立ちは軍服姿で、日本刀を仕立て直したとみられる刀を下げている。
軍服のデザインは現代の軍隊のものではなく、第二次大戦当時の日本陸軍のものだと思われた。
「おのれ、貴様たちは私を逮捕するために来たGHQの手先だな。私は家族と再会するためには手段を択ばないことに決めたのだ。貴様たちには悪いがこの刀の露と消えてもらおう」
軍服の男は刀を鞘から抜くと刀の切っ先を正面にして僕と対峙する。
「何だそいつは?中国の反日ドラマでもあるまいに、何故旧日本軍の兵士がこんなところに居るのだ?」
山葉さんがつぶやくが、軍服の男は問答無用で僕に攻撃を仕掛けた。
軍服の男は間合いを詰めるなどというものでなく刀を前に捧げて僕に突進する。
僕は自分が持った刀で男の刀の切っ先を払いのけたが、男が突進する勢いは止まらず、僕は正面から男にぶつかる形になった。
軍服の男は強面だが体格的には僕の方が身長も高いため、打突で突き飛ばすわけにはいかない。
軍服の男は後退して距離を取ると、再び刀を構えて僕と対峙した。
「待って下さい。僕はGHQではないのです。落ち着いて話を聞いてください」
「GHQでなければ、米英の軍門に下り手先に成り下がった非国民であろう。私は万難を排してでももう一度家族に再開すると決めたのだ。邪魔をするならば容赦はせん」
軍服の男は再び刀を手に僕に突進したので僕は再び男の刀を横に払い、男の刀はその手を離れて床に転がった。
軍服の男が慌てて後退したので僕は自分の刀を頭上に振りかざして詰め寄った。
背後からは山葉さんが式王子の高田の王子の法文を唱え終えようとしているのが聞こえ、もう一息で高田の王子が称賛されるはずだ。
そう考えたために僕には油断が生じていたに違いない、軍服のは自分のホルスターから自動拳銃を取り出したのだ。
そして男は銃口を僕に向けて躊躇なく引き金を引いた。
銃声は二発響き、銃弾は二つとも僕の腹を打ち抜いたように思えた。
腹部に衝撃を受けて体を二つ折りにした僕は、直後に激しい痛みに襲われてその場に崩れ落ちる。
「ウッチー!」
背後から山葉さんが叫ぶ声が聞こえ、軍服の男は銃口を僕の背後にいる山葉さんに向けようとしたのがわかる。
しかしその瞬間に、ヒョウという風を切る音と共に軍服の男の顔面に山葉さんが放った破魔矢が激突していた。
和弓は世界でも有数の大型の弓であり、初速は時速二百キロを超える。
軍服の男の頭は、打撃音と共に有り得ないような角度で背中の後ろに曲がるのが見えた。
そして山葉さんは立て続けに矢を射て、残り二本の矢は男の胸に突き刺さった。
破魔矢には矢尻が装着されておらず、矢の先には風を切って音を立てる鏑が装着されているのだが至近距離から射たため、胸腔を突き破ったにちがいない。
軍服の男は後ろに倒れたがそれでも起き上がろうともがいている。
「ウッチー大丈夫か?」
山葉さんが僕に取りすがるが、ぼくは激痛に悶絶しておりあまり大丈夫ではなかった。
それでも、僕は自分が居る空間は霊が支配する時空だと言う認識はあり、軍服の男の霊を浄霊すれば元の空間に戻れるはずだと言い聞かせているが、ここで息絶えたら現実世界に戻っても原因不明で急死しているのかもしれないと言う考えも頭の中を離れない。
その時、僕たちの横に平安時代を思わせる水干姿の青年が立っていた。
それは山葉さんが召喚した式王子の高田の王子であり、かれは物静かに僕たちに声を掛ける。
「ふむ、既にそなたたちが片付けた後のようだが、締めくくりは私が引き受けよう」
高田の王子は床に倒れてもがいている軍服姿の男の傍らに膝をつくと、螺鈿細工が施された鞘から小太刀を抜いて軍服姿の男に突き刺した。
「そなたの命は既に尽きて久しい。心を安らかにして眠りに着かれるがよい」
軍服の男は動きを止めて床に横たわり、その姿は足元から塵のように崩壊し始めていた。
僕は腹に感じていた激痛が収まったのを感じて立ち上がると、高田の王子の横に移動し、山葉さんもそれに続いた。
「あなたは、GHQに追われていると言っていたが、戦犯として収監されていたのではないかな」
山葉さんが問いかけると軍服姿の男は横たわったままで、僕たちを見上げるとぽつりぽつりと話し始めた。
「私は憲兵としてご奉公していた。東京が空襲された時、対空砲火で撃墜された敵機から落下傘で脱出した搭乗員が捕えられたと聞いて現場に向かったのだが、私が駆けつけた時にはその搭乗員は住民に竹槍で腹を数か所刺されて虫の息だった。治療しても助かる状態ではなかったので私は彼の苦しみを取り除いてやろうと思いとどめを刺したのだ。終戦後、私は連合国に捕らわれの身となり、捕虜を虐殺したとして裁判にかけられた。事情を話しても、何故搭乗員の治療に手を尽くさなかったのかと攻められ、死刑の宣告を受けた。それゆえ私は家族に一目会いたくて脱獄をする決意をしたのだ」
軍服の男は胸ポケットから写真を取り出してそれを眺めており、それは小さな赤ちゃんを抱いた若い女性のモノクローム写真だった。
山葉さんはゆっくりと首を横に振ると、軍服の男に語り掛けた。
「あなたは戦犯として処刑されたのだが、家族に会いたいという思いが強すぎて七十年以上も現生を彷徨い続けていたのだ。あなたの想いはきっと遺族に届けるから安らかに眠りなさい」
山葉さんは男の片手を握ると、真摯な表情で語り掛ける。
軍服の男の顔には絶望と諦めが広がったが、山葉さんが手を握って呼びかけううちにその顔は安らかな表情を浮かべ、やがてその姿は消えて行った。
軍服の男の姿が消えると僕たちの周囲には物音が戻り、時間が止まったように動きを止めていたなき山さんと斎藤さんも動きを取り戻した。
鳴山さんは怪訝な表情で僕たちを振り返った。
「山葉さん達が今何かしたのですか?さっきまで感じていた気配が無くなりましたけど?それに徹さんの顔色がものすごく悪いですよ」
僕は自分のお腹の辺りを眺めて服に血が滲んでいないことを確かめたが、全身のけだるさはひどいものだった。
「私達は霊が支配する時空に引き込まれていたのだ。その霊は自分が死んだことに気が付かず追われていると思いこんだ凶霊だったがどうにか浄霊の手はずを付けた。後は私が祈祷をして締めくくればよいというところだな」
山葉さんは鳴山さんに話しながら本棚に目を向けているが、僕も何か引き付けられるものを感じていた。
目線を吸い寄せられるような感じで目に入ったのは一冊の古い小説本でそれは川端康成著の「雪国」だった。
僕は斎藤さんに尋ねた。
「この本を見せてもらっていいですか?」
「もちろんいいですよ。その辺りは入荷後の検品が終わっていませんが値打ち物の本を並べてあるのです」
斎藤さんは空気を読めない雰囲気で答え、僕は本棚から箱に入った古びた小説本を取り出した。
箱から取り出した小説をめくると背表紙には蔵書印が押され、そこにはセピア色に変色した白黒写真が挟まれていた。
写真に写っているのは僕たちが霊の支配する時空で見た軍服の男が手にしていた写真と同じだが、その色はがセピア色に変色している。
写真の裏側には住所と氏名が記され、その名前は蔵書印と一致していた。
「この本を仕入れたのはここにある住所の人かその家族でしたか?」
僕が尋ねると、斎藤さんは写真に記された住所を見ながら首を振る。
「いいえ、苗字も住所も違っています」
山葉さんはため息をつくとつぶやいた。
「どうやらこの写真の持ち主は戦争犯罪人として第二次戦後に処刑されたが、その思いのこもった遺品を誰かがネコババしてしまったのではないだろうか?それ故に遺族のもとに帰れない彼の想いがさまよっていたのだ」
僕は刀や拳銃で襲い掛かってきた軍服の男を思い出し、彼が捕虜の命を奪ったと話していたことをお見出したが、写真や持ち歩いていた蔵書すら遺族に戻されていなかったことを思うと気の毒な気がしていた。
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