第461話 私が手伝うから
大峰玲奈さんの記憶の奔流にさらされた後、ふと我に返るとぼくは祥さんと並んで立っていることに気が付いた。
しかし、周囲の情景はカフェ青葉のいざなぎの間とは異なっており、誰かの個室のような雰囲気だ。
そして僕たちに背を向ける形で誰かが机の上に置いたラップトップパソコンを使って何かのテキストを作成しているのが見える。
「祥さんここは、」
僕は、ここは何処なのだと問いかけようとしたのだが、祥さんは静かにするように身振りで示す。
しかし、机に向かっている人物は僕が漏らした声にビクッとした様子で、それに続いてゆっくりと振り返った。
「きゃああああああ」
机に向かっていたのは大峰麗奈さんだったがそれは僕も予想していたことだった。
意外だったのは、彼女が僕たちを見たことによって、恐慌をきたして悲鳴を上げ始めたことだ。
祥さんが彼女を落ち着かせようと声を掛けるが、彼女は悲鳴を上げ続け、手近にあった小物を投げつけようとさえしている。
どうやら玲奈さんは自分の部屋で作業をしている時に突然見知らない男女である僕と祥さんが出現したと思っているようだ。
「あなたたちは何者ですか」
「玲奈さん、落ち着いて。私達は決して怪しいものではありませんから」
僕は、もしも自分の部屋にいて一人で作業している時に見知らぬ男女が背後に出現したら、怪しいと言うより怖いとしか言いようがないはずだと思いながら二人のやり取りを聞いていたが、思った通り二人の話はかみ合わない。
僕はあることを思い出して、彼女に言った。
「僕は葦田大学の小西君の知り合いなのです。彼とダイレクトメールのやり取りをした記憶はありませんか」
僕の問いかけに心当たりがあったらしく彼女は口をつぐんで何か考えるている様子だ。
「何か思い出したのですか」
祥さんが問いかけると、玲奈さんはラップトップパソコンでつぶやき型SNSサイトの自分のプロフィール画面を開いた。
そしてダイレクトメールの履歴を眺めていたが、しばらくして僕たちを振り返った。
「私は小西さんとメールのやり取りをして、自分と同じ大学の人だと判ったから、キャンパスで会おうと約束したんです。でも、約束した日は過ぎているけど彼と会った記憶がない」
祥さんは彼女の様子を窺いながらゆっくりと尋ねた。
「あなたはその大学の学生なのですか?」
玲奈さんは考えていたがやがて頭を抱えた。
「待って、私はその大学に入学したけれど、新型コロナウイルス感染症のために、キャンパスが閉鎖されて大学に行けない状態が続いているのだと思っていた。でも、大学の入学手続きをしたり、履修登録した記憶がないの」
僕は、彼女に真実を告げるべきだと思ったものの、どう話を切り出したら良いかわからなくて口を開きかねていたが、祥さんが口を開いた。
「あなたはその大学を受験して合格したけれど、入学の手続きをする前に肺炎に罹って亡くなったの。私達は小西さんのメールの相手がこの世の人ではないことに気が付いて調べているうちにあなたに辿り着いたのよ」
祥さんの目には涙が浮かんでいた。
「でも、私はこうしてここにいるし、あなた達と話をしている」
玲奈さんはラップトップパソコンのディスプレイを眺めて小西さんとのダイレクトメールの履歴を見ながらつぶやくが、祥さんは涙を流しながら彼女に告げた。
「きっと大学に行きたいと言う思いが強かったから、心残りになってここに留まってしまったのですね。私が大学のキャンパスまで連れて行ってあげるから。きっと小西さんと会うこともできますよ」
祥さんはぽろぽろと涙を流しながら、玲奈さんに話しかけ、玲奈さんはゆっくりとつぶやいた。
「そうか、私は死んでいたんだ」
「いろんなことで頑張っていたから、本当に大学に行きたかったのね」
玲奈さんは椅子からゆらりと立ち上がったが、祥さんは歩み寄ると彼女を抱きしめていた。
「私が手伝ってあげるから、せめて大学のキャンパスを歩こうね」
僕は、さちさんの意図を察して止めようと思ったが、既に玲奈さんの自室だったと思われる周囲の情景が揺らぎ始めていた。
軽いめまいに似た感覚の後、僕はカフェ 青葉のいざなぎの間にいることに気がついた。
もとより、僕はこの部屋から一歩も動かずにいて、意識だけがトリップしていたであろうことは、想像に難くない。
僕の横には先程と同じく、祥さんが和室の床より一段低い通路に立っており、僕の横においてあるゴミ箱からは祥さんが投げ込んだアイスバーの包装フイルムが丸められた状態からフイルムの弾力で動く時の微かな音が聞こえていた。
事実上、玲奈さんのサイトにアクセスして彼女が現れてから僅かな時間しか経過していないと思えた。
「祥さん、大丈夫なのか?相談も無しに危険な事をしないでくれ」
玲奈さんの霊はその姿がなく、幸いにも僕達は無事に死霊の住む部屋から脱出できたと思えたが、それは彼女が口を開くまでのことだった。
「貴方がウッチーさんですね。祥さんが全面的に頼りにしていい人だと言っていました」
「う!」
僕は言葉に詰まったまま彼女を見つめる。
人をその人足らしめているのは、肉体だけではなく、表情の浮かべ方やちょっとした仕草等の積み重ねなのだ。
僕の目の前にいるのは、祥さんの顔をしているが、中身は若くして病死した大峰玲奈という少女の霊が収まったハイブリッドのような存在だった。
「君は玲奈さんなのだな。それでは祥さんはどうなっているんだ。そこに一緒にいるのか?」
僕は早口に問いただしたが、『玲奈』さんはのんびりとした口調で僕に告げる。
「祥さんは私の部屋に残っています」
「なんだって?」
僕が慌てて問い返そうとしたとき、僕のスマホの着信員が鳴った。
スマホを見ると、中身を削除された玲奈さんのつぶやき型SNSのアカウントからメールが届いていた。
メールを開くとそこには部屋着のショートパンツにノースリーブのTシャツ姿の祥さんの写メに、「ウッチーさん、彼女を大学に連れて行ってあげて下さい」というメッセージが添えられている。
僕は、祥さんがどこからそのメールを送ってきたのかを考えると、頭が痛くなりそうだった。
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