第460話 普通の肺炎!?

数分後に、クラスメートの良太君が私の前に姿を現したが、私は無菌室に入っているので、透明な樹脂製シート越しの対面だ。

「大峰さん久しぶりだね。思ったより元気そうなので安心したよ」

良太君は硬い雰囲気で私に話しかける。

良太君は病室のモニター類や透明なシートに気圧されている様子で、彼の目に私は別人のように衰弱しきった重病人に映っていることは想像に難くない。

思ったより元気そうというコメントは彼の感想の裏返しに思えた。

「今ね、抗がん剤治療が絶賛大詰め段階でひどいことになっているのよ。みんなはもう大学受験が目前なのよね」

私が強いて平気そうな口調で彼に告げると、彼の腫れ物に触るような雰囲気が少し和らいだのがわかる。

「みんな必死だね。僕はAO入試で葦田大学に入学が決まったから、ちょっと申し訳ないような気分で教室では小さくなっているよ」

私は彼の言葉にショックを受けた。

私が体調不良で倒れて、白血病と診断されたのは高2の晩秋のことで、その後検査を繰り返し、本格的な治療が始まって今に至っている。

巷ではクリスマスの話題が聞かれる頃なのでもう一年近くが過ぎているのだ

その間、同級生たちは着実に先に進み私よりも成績が悪かったはずの良太君がすでに大学進学を決めているのだ。

彼がAO入試で合格したのは、私の志望校でもあり私は微妙に落ち着かない気分となった。

そして、クラスの中でも空気が読めて気が利くタイプの良太君は敏感にそのことに感づいた様子だった。

「あ、俺ですらAOで受かるくらいなんだから、玲奈の病気が治ったら絶対に合格できると思うよ。玲奈の入学は一年遅れるかもしれないけれど大学でまっているからさ」

彼のフォローはツボを押さえていたと言え、私は即座に同じ教室にいた頃の雰囲気で彼に答えた。

「一年遅れるとは失礼ね。もう治療も最終段階に入っているから退院さえできたら今年の受験だって可能かもしれないのよ」

実際、治療の合間に受験勉強は続けていたので、今年の受験だって完全に無理という訳ではない。

とはいえ、主に通信教育で勉強した結果がどこまで大学受験に通用するかは未知数だった。

「すごい。玲奈って困難に負けないタイプなのだね。みんなにも病気にめげずに頑張っていたって伝えておくよ。できたらさあ、一緒に卒業式に出られたらいいけど、去年の卒業生なんか卒業式なしで証書だけ送られて来たらしいからどうなるかわからないね。とにかく、クラスのみんなも早く復帰してくれるのを待っているよ」

良太君が饒舌になってきたところで看護師さんが彼に耳打ちするのが見えた。

おそらく面会時間が制限されていたに違いなく、ここに面会に来るために彼が様々な制約を乗り越えてきているだろうことが思い浮かんだ。

「それじゃあ、そろそろ時間みたいだから帰るけど。良かったら時々でいいからクラスのLIMEにメッセージを入れてよ。それじゃあ早くよくなってね」

「ありがとう。良太君」

面会の時間はあっという間に終わり、良太君は帰っていったが私は久しぶりに外の世界と接触を持てた気分だった。

治療が長引く中で、私はクラスメートとのLIMEのやりとりも疎遠になり、孤独になっていたことを実感したのだった。

根治療法が終わってからもしばらくは入院が続いたが、私は友人たちとLIMEのやり取りを再開し、SNSサイトで療養の経過をつぶやくとバズルと言うほどではないが、励ましの声は増えていった。

私の両親は高校に相談し、特段の事情があるからということで各教科について定められた課題を提出すれば単位認定して卒業させてもらえることになり、私は体力が戻るにつれて、勉強に力を入れるようになった。

そして私の心には良太君をはじめとする友人たちと一緒に大学に行きたいという気持ちが強くなっていく。

その後、私の主治医は治療が一区切りついたことを宣言し、治療は自宅からの通院治療に切り替えられた。

白血病の治療のために私の免疫力は低下しており、巷で流行している新型コロナウイルスなどに感染すればひとたまりもない。

外出や人との接触には細心の注意が必要なので学校には復帰せずに自宅からの通院治療を受けながら通信教育で勉強する日々だったが、私は令和二年の年末から翌年にかけてのコロナウイルス感染症の第三波は無事に乗り切っていた。

そして、私はだめ元で志望大学を受験することを決心した。

模擬試験等を受けていないので客観的な実力は判らなかいが、通信教育でコツコツと勉強した成果を出し切ればよいと割り切ったのだ。

人込みを避けるためにタクシーで会場に向かい受験に臨んだ私はあろうことか合格していた。

両親は喜び、クラスメートやSNSのフォロワーも祝福してくれ、私は白血病に打ち勝つことが出来たと思い有頂天になっていた。

そして、少しずつ外出する機会が増える中で、私はある日体調を崩した。

風邪気味だと思い、早めに休養を取り、翌日には主治医の診察を受けたのだが、ドクターは発熱と白血球数の増加がみられるから緊急入院するように勧告した。

医師の指示で抗生物質の点滴をうけている間にも私の体調は急激に悪化し、気管挿管され人工呼吸器が付けられた。

「先生、玲奈は新型コロナウイルスに感染したのですか」

頭の上で母の声が響き、主治医がそれに答えるのも聞こえる。

「ちがいます。PCRの結果も陰性ですし、ウイルス性の肺炎の場合は白血球の増加は少ないはずです。この症状は通常の肺炎球菌によるものです」

そこに看護師らしき声が割り込むのが聞こえる。

「サチュレーション下がっています」

「先生、呼吸器外来に連絡したのですがECMOが使用中で空きがないそうです」

「ICUにも連絡して。それがだめなら受け入れしてくれる病院を探すんだ」

看護師が慌ただしく連絡を取る声が遠くから響き、主治医が母に告げる声がかすかに聞こえる

「念のために血液を体外に循環させて酸素を送り込む人工心肺装置を探しています。今夜を乗り切れば抗生物質の効き目も出て回復に向かうはずです」

医師に答える母の声は聞き取れなかった。

周囲から聞こえていたざわついた物音は消え、いつしか私は静寂の中に取り残されていた。

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