第448話 時をかける少年

黒い影に手を伸ばすと、これまで莉咲を目指して進んでいたそれは、僕たちの動きを認識して立ち止まったように見えた。

死をもたらす黒い影とは明らかに異なる動きであり、それが意思を持って動いているかのように見える。

僕がさらに手を伸ばして影に接触すると、眩暈のような感覚と共に、周囲が白い閃光で満たされた。

閃光に飽和した目が周囲に慣れると、僕は先ほどまで黒い影がいたあたりに、高校生くらいの少年の姿が見えることに気が付いた。

その少年性はグレーのズボンに紺のブレザーとレジメンタル柄のネクタイを付けており、どことなく見覚えのあるコーディネートだ。

周囲を見ると、祥さんと横から支える裕子さんの姿が彫像のように静止しているのが見え、山葉さんに「みてぐら」と御幣を手渡した孟雄さんの姿も同様に動きを止めている。

僕たちを取り巻く空気は静寂に包まれ、身動きしただけで衣擦れの音が大きく響くように感じられた。

僕の腕をつかんでいた山葉さんは、普段通りに動いており、黒い影が少年に姿を変えたのを見て驚いている様子だ。

問題の少年は突然、僕たちが目の前に出現したかのように狼狽した表情で何か言おうと口を開こうとするものの、適切な言葉が見つからず口ごもる。

僕は彼が着ている服のコーディネートにどこか見覚えがある気がしたが、それは以前に高校生の姿の莉咲が時空を超えて春香ちゃんに取り憑いた霊体として現れた時に身にまとっていたブレザーとスカートの上下と対になった制服ではないかと思い当たった。

「君は一体何者なのだ?まさか未来から意識を送り込んでいるのではないだろうね」

僕は考えられる可能性として、高校生に成長した未来の莉咲が時間を遡行して僕たちの前に現れたように、彼が莉咲と同様に何らかの方法で春香ちゃんの能力を使って過去の世界に干渉しようとしているのではないかと疑ったのだ。

少年は僕の言葉を聞いて、息をのんだように見えたが、彼が動揺を表に出したのは一瞬のことだった。

少年はにやりと笑うと僕に話し始めた。

「僕の名は角谷和樹、このシチュエーションで僕の素性を見抜くとは流石は莉咲のお父さんですね。お察しの通り、ぼくは春香さんに頼んで自分の意識を過去に送ってもらっているのです。まさか意識だけの存在を感知されるとは思いもしませんでしたよ」

和樹と名乗った少年は、少しふてぶてしい雰囲気で僕に告げて笑顔を浮かべる。

「君は莉咲の同級生なのか?いったい何のつもりで過去に干渉しようとしているのだ?それにさっきからの動きを見ていると君は莉咲を目指して動いているように見えるがその理由を教えてもらおうか」

僕は疑問に思う事を和樹さんにぶつけるが、彼は最初に見せた動揺した雰囲気から立ち直り、好感度の高そうな笑顔を浮かべて僕に答える。

「理由は簡単ですよ。お察しの通り僕は莉咲さんの高校の同級生で、彼女に想いを寄せているのです。でも、やっとの思いで僕の気持ちを伝えても莉咲さんは僕に冷たく当たるばかりで僕のプライドはいたく傷付いているのです。僕は思い余って彼女と親しくしている春香さんに目を付けて、調べたのですが彼女がタイムリープ能力を持っていることを知り、その能力を使って、過去に飛んで幼い頃の莉咲さんに僕に対する好意を植え付けようと思い立ったのですよ」

彼の言うことはかろうじて理解はできるが常軌を逸していた。

もしもそれだけのことを考え付いて実行しているのだとすれば、それは彼が霊感どころかテレパスとしての能力も併せ持った、強力無比な異能力だと言うことを示していると思われた。

「そのとおりですよ。あなたたちは僕の莉咲さんに対する純真な好意を、曲解して遠ざけようとするし、莉咲さんは僕のことを忌み嫌う始末だ。時空を遡ってでも事態を改変しようとする僕の気持ちを分かってもらいたいものですね」

和樹さんは僕の思考を読んでそれに対して答えたように思えて僕は凝固したが、山葉さんはその状況を理解して彼に辛辣な言葉を浴びせた。

「それは、君の勝手な考えというものだ。莉咲にだって好みというものがあるし、そもそも自己中心的な人間とは付き合いたくないと思うのが普通の人間の感覚だ。それを曲解して自我が芽生える前の莉咲の意識を自分に対して好意を抱くように操作しようと考えるような卑怯な男は、当然ながら莉咲に近寄らせるつもりはない」

和樹さんは人好きのする笑顔から豹変し、邪悪な雰囲気を感じさせる表情を浮かべて僕たちに言い放つ。

「時間を遡ってもあなたたちは僕のすることを邪魔しようとしかしないようだな。いっそのことこの場で始末してやる」

和樹さんは背中に担いでいたと思われる剣を抜き放つが、それは西洋中世風の諸刃の剣で相当な重量がありそうだった。

「ウッチー、これを使って時間を稼いでくれ。私は式神を召喚する」

山葉さんが僕に投げよこしたのは彼女の日本刀だった。

いつの間にか山葉さんは巫女装束となり、御幣を手にいざなぎ流の祭文を唱え始めている。

それは僕たちが生身の身体ではなくて精神世界に入り込んだことを意味している。

僕は受け取った刀を鞘から抜こうとしたが、和樹さんはその隙も与えようとせずに斬りつける。

僕は刀を抜くことをあきらめてその辺に置いてあったモップの柄で彼の剣を防ごうとしたが、アルミ製のモップの柄は何の抵抗もなく切断されていた。

僕は切断されたモップの柄を槍のように和樹君に投げつけ、彼がひるんだすきに刀を抜いた。

しかし、僕が刀を構える暇も与えずに、和樹君は剣を力任せに振り下ろし、僕は後退してその切っ先を辛うじてかわした。

山葉さんの刀を上段に構えると、和樹さんもむやみに踏み込んでこられない様子だが、僕はいきさつを考えると話し合いで解決できるとも思えず、刀の切っ先が届く間合いを意識しながらじりじりと相手との間合いを詰めるしかなかった。

「ちょ、ちょっとそれで僕のことを真っ二つにしようと本当に思っているんですか。それって野蛮じゃないですか」

和樹さんは今更のようにぼくに文句を言うが、僕は彼の言葉を聞き流してさらに間合いを詰めながら告げた。

「君は僕たちを片付けると宣言して剣を抜いたんだ。僕は自分と家族を守るために戦うだけだ」

最近では山葉さんの刀を上段に構えると山葉さんの先祖の意識とその技が僕の中に満ちる気がする。

僕は、彼の言葉通り一の刀で彼を両断するつもりで刀を構えていたのだ。

通常の時空間と隔絶された世界で僕と和樹君が相手のわずかな動きも見逃すまいと緊張を高めて対峙し、その背後に山葉さんがいざなぎ流の祭文を詠唱する声が静かに流れていた。

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