第418話 出品者の匿名性
翌日に僕と山葉さんは中澤教授のお宅を訪ねることになり、栗田准教授と浦安の市街地で待ち合わせした。
いつもなら、栗田准教授が自分のミニバンで迎えに来てくれることが多いが、コロナウイルスの感染が拡大しているので、自分の車に同乗させるのはリスキーだと彼は判断したのだ。
栗田准教授がメールで送り付けた地図をスマホの画面に表示し、栗田准教授指定の駐車場に自分たちのWRX-STIを止めて、僕たちは中澤教授のお宅を目指した。
やがて、僕たちは海岸にほど近い市街地にある瀟洒なお宅に到着した。
玄関に至る前に、見覚えのある人影を見つけて僕は少しうれしくなった。
「栗田准教授、直接会うのは久しぶりですね」
「そうですね。わたしは人と接触する機会が比較的多いので小さいお子さんがいる家庭の人とは会わないほうが良いと思ったのですが、成り行きで来ていただくことになってしまいました」
栗田准教授は万一自分が新型コロナウイルスに潜在感染しているケースを想定して僕たちに気を遣う。
とはいえ、ここまで来ては接触しない訳にもいかず、僕たちは一緒に栗田准教授のお宅を訪ねることになった。
「独身でこんなお家に住んでいるなんて羨ましいな」
中澤教授のお宅を見て山葉さんがつぶやくが、僕も同感だった。
中澤教授のお宅は4LDKくらいの大きさで、庭も広く、南側は東京湾が近いため、大きな建物もなく日当たりがよさそうだ。
「彼の場合家が広すぎて持て余し気味なので、幽霊話をされると夜一人でいるのが寂しいのでしょうね」
その気持ちは僕もわからないわけではなく、幽霊などという現実には存在しないはずのものが自分の横に居ると言われて平静でいられる人の方が理解できない。
僕たちが三人で玄関のインターフォンを押すと、中澤教授はすぐに玄関の戸を開けて、僕たちを招き入れた。
「いらっしゃい、よくおいでくださいました」
中澤教授の歓迎モードにつられて、僕たちも愛想良く挨拶しながら家の中に入るが、そこには霊の気配は感じられない。
昨日Web会議システムを使って自己紹介などはしてあるので、僕たちはそのまま要件に入る。
「問題のフィギュアは何処に置いてあるのですか?」
山葉さんが尋ねると、中澤教授が僕たちを案内しながら言った。
「こちらの応接間に持って来てあります。昨日言われたとおりに盛り塩で封じ込めた部屋です」
中澤教諭は大まじめで語るが、僕は問題の霊が部屋の外に出て盛り塩を眺めているところを目撃しているので、封じ込めの効果自体全く当てにしていない。
山葉さんにしても自分が知る呪術的な手法と言うよりは、中澤教授を安心させるための方便として適当な話を紹介しただけのようだ。
「ふむ、それでは皆でその部屋に入って、フィギュアを見てみましょう」
山葉さんはもっともらしく告げると先頭に立って問題の応接室に踏み込んだ。
応接室の中央にはローテーブルを挟んで向かい合わせにソファーが置いてある。
僕たちは京極さんのフィギュアが置かれたローテーブルを囲んでソファーに座った。
「このフィギュア自体はつい最近作られたものなのですよね」
僕は精巧に作られたフィギュアの顔を見ながら中澤教授に尋ねる。
「ええ、アニメがヒットしたこと自体、最近ですからね。それ以前はこのような品物は存在していなかったはずです」
僕はソファーから身を乗りだして、京極さんのフィギュアを眺めようとしたがその場で凝固した。
僕の様子を見て不自然さを感じたのか、栗田准教授がさりげなく尋ねる。
「内村君どうかしたのですか」
僕は自分の足元を見ようか見まいか迷いながら、栗田准教授の質問に答える。
「今、僕の足首を誰かがつかんでいるのです」
僕の言葉を聞いた中澤教授の顔は次第に白っぽくなっていく。
僕は、意を決して自分の足元を見たが、やはりローテーブルの下から伸びた小さな手が僕の足首をがっしりと掴んでいた。
山葉さんは僕の言葉を聞くと早口で何かを唱えていたが、その場で立ち上がるといざなぎ流の詠唱を締めくくる言葉を口にする。
それは「りかん」の言葉と言われ、いざなぎ流の祭文や法文の最後に唱えて、詠唱の効力を発現させる言葉なのだ。
彼女が手に持っていた榊の小枝を僕の足元に向けるとまばゆい光がほとばしる。
次の瞬間には、僕の足首を掴んでいた手は何処へともなく消え失せていた。
「今、何か光りましたよ。一体何をしたのですか」
中澤教授が尋ねると、山葉さんは落ち着いた口調で答える。
「そのテーブルの下に何者かの霊が潜んでおり、私の連れの足首を掴んだのです。私も驚いたので、思わず緊急用の法文で祓ってしまいました」
僕は微妙に気配が違ったローテーブルの下を覗くが既にそこには何もいなくなっている。
「それでは、この家はもう安全だと言うことですね」
中澤教授は表情を明るくして僕たちに聞くが、山葉さんは渋い表情で首を振った。
「一時的に追い払っても、しばらくすれば戻ってくる可能性が高いと思います。中澤先生よろしかったら、このフィギュアを入手した経緯と誰から譲り受けたのかを教えていただけませんか」
中澤教授は再び不安な表情に戻るがそれでも、僕たちにフィギュアを入手した方法を説明し始めた。
「私はこのフィギュアが欲しかったのですが、正規ルートは売り切れで手に入らなくなってしまったので、オークションにかけられているフィギュアを見つけて、他の入札者と競り合って落札したのです」
「ふむ、それならばこのフィギュアは宅配便か何かで届けられたはず、配送されたときの段ボールは残っていませんか」
山葉さんの考えることは察しがついた。宅配便の送り状を見て発送者の住所氏名を確認しようと思ったに違いないが、僕はその方法では無理だと気づいていた。
中澤教授が持ってきた段ボール箱を山葉さんは子細に眺めるが送り上には発信者の名前は無かった。
最近は個人情報の流出を嫌う人も多いため、オークションなどの場合は匿名による配送も行われているからだ。
「この通り、発信者の情報は秘匿されているみたいですが」
中澤教授が山葉さんを気遣うように説明するが、山葉さんはそれで諦める様子は無かった。
「そうですか。それではオークションの出品者と落札後にやり取りした記録が残っているはずですから。中澤先生のアカウントからオークションサイトにつないでください」
山葉さんは集中した表情で何か考えながら、中澤教授に指示した。
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