第413話 仏師の門出
「ふむ、この菩薩様には女性の影を感じるのう。見目も悪くないし良い出来ではないか」
慶臨さんは隆夫さんが作った像を眺めて、感心したようにつぶやいた。
「本当ですか。僕が初めて仕上げた自分の造形ですけど、悪くないと言ってくれるんですね」
隆夫さんが信じられないと言うように尋ねるとお七さんが答える。
「ほんに、うりざね顔で細面に仕上げたのが何とも垢ぬけていて、主人の菩薩像より美人に見える。おぬしは仏師としてやっていけるかもしれぬのう」
「これ、わしの菩薩はお七の顔をしておるのじゃ。あしざまに言うと天に唾するようなものじゃぞ」
お七さんと慶臨さんはのどかな会話を交わしているが、隆夫さんは天を仰いだ。
「やったああああああ」
隆夫さんの雄叫びを聞いて、縞次郎とあんこも像を眺めに来る。
「そこそこの出来じゃが、父上の方が上じゃ」
「そうじゃそうじゃ」
子供たちが混ぜ返しても隆夫さんの嬉しそうな表情は消えない。
お七さんは僕と隆夫さんの顔を覗き込むと優しい表情で言った。
「そなたたちは未来から来たと申しておったが、それは隆夫殿が仏師として一皮むけるために必要なことであったのかもしれぬな。隆夫殿、これからも精進なされよ」
「はい」
隆夫さんが返事をしたとき、お七さんの顔が輝いたような気がした。
そして、僕はいつの間にかカフェ青葉のバックヤードにある和室、通称「いざなぎの間」で、隆夫さんに付きまとっていた菩薩像に似た幽霊と対峙していた。
「お七さんだったのですか」
僕がつぶやいても霊は答えないが、菩薩のような顔にかすかに微笑が浮かぶ。
山葉さんの神楽は佳境に入り、「りかん」の言葉を唱えると、菩薩像のような姿は揺らいでその形を失い始めていた。
「ちょっと、何をするんですか。それはお七さんの霊かもしれないから妙なことはやめてくださいよ」
霊とコンタクトを取っていたためか、今は隆夫さんにもその霊の姿が見えているようだ。
彼は山葉さんに抗議するが、その時には菩薩のような姿の幽霊は青白い光の塊となって、山葉さんの片手の上に、引き寄せられていた。
そして、山葉さんが強く気を込めると青白い光の塊は、どことも知れぬ時空へと送り出されていった。
「僕は、お七さんや慶臨さんと、もっと話がしたかった」
隆夫さんは残念そうにつぶやいたが、僕は元の世界に戻れて安堵していた。
平安時代の時空に本当にタイムリープしたのか、それとも菩薩のような霊の精神世界に取り込まれたのか定かではないが、僕と隆夫さんはその世界で主観的には数日間を過ごして様々な体験を積んだ。
僕は、山葉さんや莉咲と会うことが出来ないのではないかと不安だったのだ。
「どうしたのだ?問題の霊は無事に浄霊することが出来たのだぞ」
山葉さんは怪訝な表情で隆夫さんに問いかけるが、隆夫さんは伏し目がちに畳を見つめている。
「僕と彼はあの霊に触れた一瞬の間に、主観的には数日間に及ぶ時間を平安時代の仏師一家と過ごしていたのですよ。気が付いてみると、ほとんど時間が経過していなかったので驚いていたのです」
「ほう、それは面妖だな。そういわれてみると、隆夫さんが何となく落ち着いた雰囲気になった気がするが、それは気のせいではないのだな」
「私もそんな気がしていました。あの霊がいなくなったせいかと思ったのですがそれだけではなかったのですね」
祥さんも微妙な変化に気が付いたようだ。
「あの霊が存在していたことと、ウッチーと隆夫さんが別世界で数日を過ごした事には、何か関連があるに違いない。あの霊は一体何者だったのだ?」
山葉さんの疑問に答えるために、僕は仏師一家と過ごした数日間のことをかいつまんで話し、山葉さんは話を聞いた後でも釈然としない表情だ。
「そのお七さんが、菩薩様のような霊になったとすれば、隆夫さんとはどういった関係があるのだろう」
「隆夫さんのおじいさんが作る仏像が、慶臨さんの仏像に似ていたことや、お七さんと思われる霊が付きまとっていたことから、隆夫さんは慶臨さん達の子孫なのかもしれませんね」
僕が自分の考えを述べると隆夫さんは表情を明るくした。
「そういえばあの一家と一緒に居るとなんだか懐かしさを感じていました。先祖と言うのはそんなものなのですね」
隆夫さんは素直な感想を口にする。
「そもそも、菩薩様が夢に現れて怖がっていたのに、私が浄霊してあげたら文句を言っていたではないか。元の形に戻した方が良いのかな」
山葉さんが嫌味を言うと、隆夫さんは微笑を浮かべる。
「彼女は僕に必要なことを伝えたから、浄霊していただいて丁度良かったのだと思います。僕は、先祖の想いを受け止めて、仏像造りをすることにしたのです」
「ここに来た時はあれほど嫌がっていたのに、変われば変わるものですね」
僕の言葉を聞いて、隆夫さんは周囲を見回し、祥さんを見つけるとそちらに歩み寄った。
「おかげさまで僕は仏師として目覚めたのです。これからはあなたを題材として仏像を作っていきたいと思うのですが、モデルになっていただけませんか」
「仏像のモデルですか?私の実家は神社で、将来神社を継ぐことになるので仏像にされると微妙に具合が悪いと思うのですが」
「関係ありませんよ。美しい菩薩像が世に増えるだけのことです。ね、モデルしましょうよ」
祥さんは美しい菩薩像と言われてその顔が少し紅潮していたが、口ごもりながら答える。
「それじゃあ、ポートレイトのモデルくらいなら引き受けようかな」
隆夫さんはうれしそうな表情でうなずき、山葉さんは肩をすくめて見せた。
どうやら僕たちは未来の仏像作家とご縁が出来たようだった。
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