第409話 仏師の日常
そこに立っていたのは市女笠をかぶった女性だった。
身にまとっているのは一見して現代の服装ではなく、時代劇の中で旅をしている女性の雰囲気だ。
「道に迷っていたのです」
僕は時代劇風に道に迷って難儀をしておりましたと言った方が良かったかと思いながら彼女に答えた。
「それはまた、とんでもない迷い方をしたものじゃのう。ここは杣人しか立ち入らぬ深い谷、どう迷えばここに入り込むのか不思議でならぬ。私の夫はこの先で仏像を作っておるが、日が暮れたら狼が出る故、出歩くのは控えておるくらいじゃ。あの道を進んでふた山ほど越せば里に至るがもうすぐ日が暮れるのう。家の納屋で良ければ泊めて進ぜるがいかがかな?」
ふた山越えるとか日が暮れたら狼が出ると聞いて僕の気持ちは萎えた。
彼女の好意に甘えて納屋に泊めてもらおうかと思っていると僕が口を開くより早く隆夫さんの声が響いた。
「お願いですどうか泊めてくだされ。拙者どもは道に迷って難儀をしておりましたのですじゃ」
隆夫さんは状況を察知して極めて高い適応能力を見せていた。
彼は自分たちが時空転移したことを理解し、転移先の住民と軋轢を起こさないように話し方まで変えている。
とりあえず時代劇風の口調で市女笠の女性に違和感を与えまいとする努力はなかなかのものだが、僕たちが別の時代に転移したのだとすれば、そもそも着ている衣服によって彼女に違和感を与えているはずだ。
「さようか。うちの子供たちは人を見ればさぞ喜ぶに違いない。申し遅れたが私はこの近くに住む仏師の慶臨の妻、お七と申す」
隆夫さんでなくとも、彼女に同行するしか僕たちは行き先がなさそうなので、僕たちはお七さんについて行くことにした。
「僕は内村徹、こちらは宮本隆夫です。申し訳ないがお願いします」
お七さんは微笑を浮かべて僕たちを手招きして歩き始めた。
僕と、隆夫さんは彼女の後に着いて行くしかなく、夕暮れが迫った深い山の中を三人で歩みを進めることになった。
お七さんの家は、僕たちが出会った場所から数キロメートル離れた場所にあり、山の谷間に多少開けた場所がある土地だった。
つつましい造りの茅葺きの家に入ると男女二人の子供が珍しそうに僕たちを囲み、一家の主と思しき男性は訝しそうな表情で僕たちを眺める。
「得体のしれぬ旅人じゃが、道に迷って難儀をして居ったので連れてきてしまったのじゃ」
お七さんは多少言い訳気味に僕たちを連れてきた事情を説明し、主の慶臨さんは仕方なさそうに僕たちに告げた。
「このような山奥で道に迷ってさぞ難儀をしたことでしょう、今夜は気兼ねなくお泊りくだされ」
僕はなんだか申し訳ないような気分になったが、隆夫さんは喜色満面で慶臨さんに礼を言う。
「ありがとうございます。泊めていただけなかったら、今頃どうなっていたかと思うと感謝の念で一杯です」
隆夫さんは自分の気持ちそのままを言葉にするが、それが慶臨さんにもお七さんにも好意的に取られたようだ。
「大したものはないが、夕餉を一緒にお食べくだされ」
慶臨さんの家は山の中の一軒家だ。食料を運ぶだけでも大変なはずで食事を提供してもらうのも心苦しいが背に腹は替えられず、僕たちは晩御飯をごちそうになった。
切り干し大根の味噌汁に雑穀の混じるごはんと漬物だけの食事だったが、空腹な僕たちは瞬く間に出されたものを食べつくす。
「おぬしたちは何者じゃ。天界から下ったのか」
「そんな有りがたい物ではないぞ、きっと鬼が変化しているに違いない」
慶臨さんの子供は女の子があんこで、男の子は嶋次郎という名だった。
子供二人は怖いもの見たさで主に隆夫さんに接近してあれやこれやと質問をしており、僕はその間に慶臨さんに質問する。
「ずいぶん山奥にお住まいですがどうしてこんなところにおられるのですか」
慶臨さんは、気を悪くする様子もなく僕の質問に答えた。
「拙者は仏師ゆえ、良き材料が得られる深き森に居を構えた。この森は高野山に連なる深い山故、硬く美しい木材が多く残っており、仏像の材料に事欠かぬのじゃ」
本人から仏師をしていると聞いて、僕は隆夫さんの背後にいた仏像と慶臨さんに関連があるにちがいないと思うが、それについては突っ込んで質問をすることもできない。
また、慶臨さんは武骨で男らしい顔立ちの人で、死後に霊になったとしても菩薩様のような風貌になるとは考え難かった。
むしろお七さんがふっくらとした風貌と相まって、隆夫さんの背後にいた菩薩様のような霊に似通っている気がするくらいだ。
「父上はな、天下一仏像の会に出場するのじゃ。天下一仏像の会で優勝すれば父上もこんな山の中ではなくて都で仏像を作ることが出来るに違いない」
あんこちゃんは父の実力を微塵ほども疑わない雰囲気で僕たちに自慢げに話し、慶臨さんは照れくさそうな顔で謙遜して見せる。
「私の作る仏像は天下一などと覇を競うような物ではない。この辺りの里の寺で本堂に置いてもらえたらそれに越したことはないと思っておるのだ」
慶臨さんの控えめな言動に、お七さんは苦笑気味に僕たちに言った。
「あまりに欲がないのも考え物でのう。おかげで私が都まで行き仏像を売る羽目になるのじゃ。ほれ、あそこで仕上がりかけている菩薩様もすでに売り先が決まっておる故、仕上がり次第、都から人が取りに来ることになっておる」
「へえ、奥さんが作品の売り込みをされているなら、、慶臨さんは仏像の製作に専念すればよいわけなのですね」
僕が話を合わせると、お七さんは菩薩様のような顔に笑顔を浮かべる。
「そうじゃ、此度の天下一仏像の会に参加するのも私が勧めて手続きを進めたのじゃ。煩わしきことはすべて私がしておるのだから、良き仏像をこしらえて優勝してもらわねば困る」
隆夫さんは土間の薄暗い空間にうっすらと見える仏像に目を凝らしながら言った。
「僕の祖父も仏師だったので、僕は仏像を作るようにうるさく言われて辟易しているのですよ。でもこんな山の中の空気がいい場所に居たら、仏像を製作する意欲もわくかもしれないな」
しかし、彼の言葉は慶臨さんの子供たちの不興を買ったようだ。
「何じゃと、おぬしはもしかして、天下一仏像の会に参加する仏師ではなかろうな。父上の仏像の美しさを盗もうとしているのであれば、わしが只では置かないぞ」
「そ、そんなことはないですよ。第一僕達はここに来たばかりで仏像の会なんて知らなかったんだし」
嶋次郎君が怖い顔で質したので、隆夫さんは半ば本気で彼に言い訳をするのだった。
冬が訪れようとしている山の中で、仏氏一家がつつましく暮らしていることが窺え、風もない静かな夜が更けていった。
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