第405話 ベリーソースのパンケーキ
基本的な話として、カフェのお客さんが幽霊を引き連れて現れたとしても僕たちに浄霊する義務があるわけではない。
山葉さんが副業的に行っている、いざなぎ流の祈祷も依頼者の要請に基づいて対応することになっており、祈祷の押し売りはしたことがなかった。
沼さんのように、死霊を発見したら直ちに攻撃に移るような真似をしていると、逆襲される可能性もあり危険を伴うのだ。
それゆえ、僕たちはお客さんに祈祷を勧めるための対応マニュアルは持っておらず、僕は今回のケースのようにお客さんに浄霊するように持ち掛けようとすると、正直なところ何と言って声を掛けたらよいのか考えあぐねた。
そうこうしているうちに、田島シェフ自ら仕上げたパンケーキをトレイに乗せて厨房から店舗まで運んで来たため、ぼくに残された時間的な猶予は少なかった。
パンケーキを美味しく食べられるように、自分が淹れたコーヒーと共に速やかにお客様に提供しないと田島シェフは機嫌を損ねるに違いない。
僕は温めたカップにコーヒーを注ぐと、パンケーキセットを完成させ、祥さんに頼んだ。
「祥さんはこれをお客様にお出ししてくれ。僕は一緒に行って祈祷を受けるように勧めてみる」
「はい、わかりました」
祥さんが緊張した雰囲気で返事をする横で山葉さんは僕に微笑みかける。
「ほう、どんな説明をするつもりなのかな」
「回りくどい説明はせずに、事実をそのままに話してみるつもりです」
僕は半ば開き直って山葉さんに答えると祥さんと共に問題のお客さんの席まで行くことにした。
カフェ青葉のスタッフの間ではこの手のややこしい渉外は僕の担当だと暗黙のうちに決まっているようで、僕にとってはストレスがたまる状況だ。
僕はそもそも、内向的でおとなしいタイプなので、人前で説明するのは苦手なのだがスタッフや家族に頼られては、問題から逃げる訳にはいかない。
その時、山葉さんは祥さんを呼び止めて言った。
「面白そうだから私がパンケーキセットをお持ちすることにしよう」
祥さんは、菩薩様の存在感にやりづらさを感じていたらしく、歓迎する雰囲気で山葉さんにトレイを渡す
僕は山葉さんと一緒に客席まで行き、問題のお客さんをさりげなく観察したが、彼は特徴に乏しいが整った顔立ちの物静かな雰囲気の青年だった。
その背後に佇む霊は、女性的なふっくらとした優しい顔立ちで頭には宝冠をかぶり右手には蓮華を持ったうえ、天衣と裳を身に着けている、そして垂らした左手は施無畏の印を結んでおり、その服装や姿は僕たちが一見して仏像とか菩薩とみてしまう所以だ。
山葉さんはパンケーキセットをテーブルに置きながら型通りに尋ねた。
「ベリーソースのパンケーキとコーヒーのセットでございます。ご注文の品は以上でお揃いですか?」
青年はうなずいてみせる。
「スキレットが大変熱くなっておりますので、気を付けてお召し上がりください」
山葉さんは華やかな笑顔を浮かべて締めくくり、彼女の出番はそこで終わりだ。
祥さんが前もってテーブルに置いていたナイフとフォークを青年が手に取った時、僕はおもむろに切り出した。
「お客様、当店の特別メニューを紹介したいのですがよろしいですか」
青年は手を止めて僕の顔を見つめたが、拒絶する訳ではなくうなずいた。
僕はお店のメニューの最後に見開きで掲載されている山葉さんの写真入りのご祈祷メニューのページを彼に示しながら説明を始めた。
「当店では専属の陰陽師による祈祷を受けられるサービスがあるのです。効能については家内安全や健康、学業成就などの他、霊に取り憑かれている方を浄霊することもできます。お客様にぴったりのサービスなのですが、お食事の後に祈祷を受けませんか」
僕は語順やアクセントの位置にも気を配り、言外に彼に霊が取り憑いていることを臭わせたつもりだったが、果たして彼は不安な表情を浮かべた。
「それって、僕に霊が取り付いているってことですか」
傍らで僕のセールストークを聞いていた山葉さんは期待を込めた表情で僕の顔を見るが、僕はことさらに軽い雰囲気で、お客さんに答えた。
「ええ、居るには居るのですが、外見上あなたに危害を加えるタイプのものだとは思えないのです。ですから、あくまで気が向いたらで結構ですので後ほど僕のところまでお知らせください」
僕としてはこれから美味しいものを食べようとしているお客さんに、不快に思える話題を振って申し訳ないことこの上ないが、背に腹は代えられない。
僕はそこで一旦話を終えた雰囲気で山葉さんを促して、カウンターまで撤収することにした。
山葉さんは僕の目配せに敏感に反応し、お客さんに会釈をして後ろに下がり、僕も彼女に続いて青年に会釈をしてから後ろを向いた。
その時、菩薩様の霊を連れた青年は緊迫した声で僕を呼び止めた。
「ちょ、ちょっと待って下さい。僕に一体どんな霊が取り付いていると言うんですか。教えてくれないと気になってパンケーキを食べられないじゃないですか」
山葉さんは彼に見えないようにニヤリと笑って僕を見るが、僕はこれからが本番とさらに緊張が高まった。
「お客様、そんなに怖がらなくても大丈夫です。お客様の後ろに取り憑いているのは、菩薩様の仏像にそっくりの出で立ちのありがたい姿の霊なのです。きっと悪い霊ではなくてお客さんに関わりがある良い霊だと思うのですが」
僕は、事実を伝えてその上で、彼の反応を見ながら祈祷を受けるように説得するつもりだったのだが、お客さんは僕の言葉を聞くと強い反応を示した。
物静かな風貌の青年は驚愕の表情を浮かべると、彫像のように固まり、両手に持っていたナイフとフォークを取り落としたのだ。
彼の手から滑り落ちたナイフとフォークはスキレットの手前のテーブルの上に落下して派手な金属音を立てて跳ね返る。
そして、青年は頬にほうれい線状の筋が刻まれるくらい大きく口を開けて絶叫したのだ。
「ぎやああああああああ」
その声は僕が思わず耳を抑えるほどの大きさで、山葉さんも眉をしかめて彼を見る。
僕は慌てて周囲を見回したが、たまたまお客が少ない時間帯で彼以外に客がいなかったので安堵した。
絶叫を上げた後、お客さんは恐慌に捉われたように僕の服を掴むと助けを求めるように口をパクパクさせるばかりだった。
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