第406話 巫女姿の好感度
「どうしたんですか。何か仏像に関わる嫌な記憶でもあるのですか」
もしもトラウマに触れるようなことを言ったのだとしたら申し訳ないことをしたと思いながら僕は青年の様子を窺った。
とはいえ、仏像みたいな霊が後ろに立っていると言われても普通ならばそれほど過敏な反応を示すとも思えない。
「ぼ、ぼ、僕の家はおじいちゃんの代まで仏像製作を生業にしていたんです。最近僕は定職に就かずに家でリモートでできる委託業務系の仕事で生活していたのだけど、それをおじいちゃんが見とがめて、仏像製作の仕事の後継者になれとしつこく言われて、とりあえずハローワークに行ってくると言って逃げて来たのに、仏像の霊まで取り憑いているなんて」
やっと話せるようになった青年の言葉を聞いて何となく状況がわかってきたが、不可解な部分は多い。
「フォークとナイフをお持ちしました。こちらをお使いください」
カウンターの中から様子を見ていた祥さんが、気を利かせて新しいフォークとナイフを運んで来たので、青年は落ち着きを取り戻した。
むしろ、祥さんが向ける笑顔に反応して、しどけなく表情を緩めていると言った方が良いかもしれない。
「あ、ありがとうございます。テーブルの上に落としただけなのにずいぶん親切なんですね」
「いいえ、コロナウイルスの感染防止対策として、使用後のテーブルはアルコールで滅菌処理しているのですが、それでもテーブルに落としたものは使わないほうがいいですからね」
最近ではフロアを取り仕切っていると言ってもいい祥さんは、彼女としては当然の対応をしているのだが、青年は好意的な対応と受け止めたようだ。
「驚かしたとしたらすいませんでした。とりあえずご注文の品を食べていただいて、浄霊について関心がおありなら後ほど僕までお申し付けください」
僕としてはオーダーの品物が冷めてしまっては申し訳ないので、祈祷の件は彼の判断に任せることにして撤収した。
問題の青年は、パンケーキの食べ方を祥さんに尋ねたらしく、祥さんはしゃがみ込んでお客さん目線で丁寧に説明しているが青年の目線はもっぱら祥さんの顔に注がれている。
「まあいいか」
僕は独り言をつぶやいてから山葉さんを振り返った。
「彼は祈祷に興味を示してくれるでしょうか」
「ふむ、あれだけ強い反応を示したからには無視して帰るとは考えられない。どうせ暇だから私は祈祷の準備でもしておくよ」
山葉さんは祥さんが来たことで一転して穏やかな表情に変わった青年に冷たい視線を投げながら店舗からバックヤードに移動した。
しばらくすると祥さんがカウンターに戻り、クスクス笑いながら僕に報告した。
「あのお客さんは宮本隆夫さんという方で、このところおじいさんに仏師になれと言われ続けていた時に、ウッチーさんに背後に仏像みたいな霊が取り憑いていると言われてびっくりしたのですって。でも、話を聞いているとおじい様の気持ちがわかるような気がしました」
「どうしてそう思うの」
僕が尋ねると、祥さんは含み笑いしながら言った。
「彼は筋金入りのおたくなのです。私たちがこれほど苦労してるコロナウイルスの感染症の影響も、外に出かける必要がなくなった上に、在宅で仕事をしていても世間一般にそんな人が増えたから自分が悪目立ちしなくていいと言っていました。おじい様はせめて自分の仕事を継がせたら、彼がこれからも生活していけると思って勧めているのですよ」
僕は春以降、コロナウイルスの感染症が蔓延する中で自分たちのカフェをつぶさないように必死になってテイクアウト販売や感染症対策を行ってきたことを思い出しつつ、世の中にはお気楽な人もいるものだと脱力する想いだった。
「彼の先祖に菩薩様みたいな人がいたとかいうわけではないのかな。彼は祥さんにその類の話をしなかったのか?」
「そんな話はしていませんでしたね。おじい様に強制的に仏像を彫らされて鑿で指を切った話だとか菩薩像はBL的だから好みではないとか脈絡のないお話をたくさんしてくれましたけど」
僕と祥さんは隆夫さんがベリーソースのパンケーキセットを美味しそうに食べているのを眺めたが、彼は僕たちの視線に気づいて笑顔を返す。
やがて、パンケーキセットを食べ終えた彼は伝票を片手にカウンターに来た。
「あの、さっきのご祈祷お話ですけど、そのウエイトレスさんがやってくれるのですか」
「いえ、私は修行中の身なので、ご祈祷をされるのはあなたにパンケーキを持ってきた人なのですけど」
祥さんが慌てて答えると、隆夫さんは心底残念そうな表情を浮かべ、それを見た僕は彼が考えていることを無防備に表に出してしまうタイプだと理解した。
その時、夕方以降の支援要因として木綿さんがアルバイトに出勤し、フロアに顔を出した。
「私はフロアのヘルプに入ったらいいですか」
「そうしてください。僕と山葉さんはいざなぎの間で祭祀をするつもりだから」
僕が答えると、木綿さんは店舗内を見渡して手隙な状況を見て取ったようだ。
「準備できたらフロアに入ります。しばしお待ちを」
彼女は既にウエイトレス用のウエアを身に着けていたので後はカフェエプロンを付ける程度のはずだ。
新たにお客さんが来ても対応可能な体制が出来たので、隆夫さんがその気になればじっくりといざなぎ流の祈祷を行うことが出来ると思い、僕は隆夫さんの様子を見た。
「あなたも巫女姿で手伝ってくれるのですか。もしそうなら祈祷を受けようと思うのですが」
隆夫さんは祥さんがお気に召したようで、彼女に祈祷への参加を求めている。
祥さんは、思い切り引いた様子だがそれでも笑顔を浮かべて彼に答える。
「巫女姿はしませんけど多少は手伝うことになると思いますよ」
「本当ですか。それなら絶対に祈祷をしてもらいますからできれば巫女姿でお願いします」
祥さんは助けを求めるように僕を見たが、僕も対応に困るような案件だ。
結局、祥さんは菩薩様的な背後霊の謎を解くために、隆夫さんの要求を受け入れることにしたようだ。
「私が巫女装束を身に着けたらご祈祷を受けてくれるのですね」
祥さんが尋ねると隆夫さんは何度もうなずいて嬉しそうに答える。
「それはもう受けるに決まっていますよ。これからそのご祈祷をやってくれるのですか?」
祥さんは仕方なさそうに言った。
「オーナーがもう準備を始めていますからこちらにどうぞ。私は着替えるのに少し時間が掛かりますけれど、その間オーナー夫妻の霊に関わる聞き取りを受けてください」
隆夫さんの表情は一気に明るくなり、尻尾を振りそうな雰囲気で祥さんの後に続いた。
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