第403話 銀の十字架とフルート

山葉さんは消えて行こうとするアルフォンソ司祭のためにいざなぎ流の祭文を唱え始めた。

背中の傷のために立っているのも苦しそうなので僕が横から肩を貸して支えたが、彼女はよどみなく祭文を唱え続ける。

砂のように崩壊して崩れ去ろうとしていたアルフォンソ司祭は、かろうじて残っていた部分が青白い光の塊に変化していく。

僕の目に緩やかな丘陵地帯に広がる小麦畑とその背後の美しい森林が映り、既視感のある人々が微笑みかける情景が浮かんだ。

アルフォンソ司祭が、人々のために尽くして慕われていた頃の情景のようだ。

やがて、青白い光の塊は山葉さんの手のひらに引き寄せられていき、彼女が強く気を込めると、青白い光の塊は僕たちには不可知の時空へと送り出されていった。

「お見事」

莉咲が感嘆の声を上げ、春香さんと高田の王子は温厚な微笑を浮かべる。

三谷さんの背中や腕に刺さっていた矢は消えていたが、傷口からにじんだ血の染みは痛々しく残っていた。

沼さんは頭を抱えてうずくまっており、やがてふらつきながら立ち上がった。

「私はなんてことをしてしまったんだろう」

沼さんが悲痛な声で叫ぶのと同時に、周囲が光で満たされていく。

それは僕たちがいた空間すべてを飲み込み白一色の中に溶かしていった。

やがて、僕は自分がワンルームマンションの玄関スペースに倒れていることに気が付いた。

僕と三谷さんが並んで床に倒れ、その上に山葉さんが乗る形になっている。

僕が立ち上がろうとしてもがくとその動きで山葉さんも覚醒したらしく、僕の背中を踏みつけながら立ち上がる気配がした。

「ウッチー何故こんなところで寝ているのだ?」

山葉さんが寝ぼけたような声で尋ねるので、僕はやんわりと抗議する。

「尋ねる前に僕の上からどいてくださいよ」

山葉さんも僕を踏みつけていることに気づいて慌てて足をどかしたので、僕はようやく立ち上がることが出来た。

僕の横に倒れていた三谷さんも身じろぎをして目を覚ました様子だ。

「今面白い夢を見ていたよ。悪魔のようなやつと戦っていたのだが、高校生ぐらいになった莉咲が現れて私たちを助けてくれたのだ」

山葉さんは楽しそうな顔で僕に報告するが、僕は手強いかったアルフォンソ司祭を思い出してため息をつきながら答える。

「僕も同じ夢を見ていたのですよ」

山葉さんは慌てて前抱っこキャリアにセットされた莉咲を覗き込み、僕も莉佐の顔を眺める。

莉咲はもちろん9か月の幼児の姿で、先ほどまでの未来の自分の活躍など知らない様子でスヤスヤと眠っている。

三谷さんは意識を取り戻すと、僕たちには目もくれずに部屋の奥に駆け込んでいった。

「美智子どこにいるんだ」

三谷さんの声が響く沼さんのワンルームマンションに僕たちも上がり込んだ。

大学生が住むワンルームマンションはこじんまりとしたもので、探すまでもなく沼さんは見つかった。

彼女は自分の部屋の小さな炬燵の上に突っ伏して眠っており、その顔の横にはフルートと銀の十字架が置かれていた。

「このフルートはアルフォンソ司祭が持っていたものですね」

「そうだ、そしてこの十字架は沼ちゃんが私たちにかざして攻撃してきた時の物だ。普段彼女が持っているのとは形が違うしサイズも大きい」

山葉さんと僕は夢に登場したアイテムを目にして、どうしたものかと考え込む。

やがて、三谷さんに揺すられて沼さんは目を覚ました。

彼女はけだるそうな表情で目を開けて、ゆっくりと周囲を見回したが頭を抱える。

「頭が痛い」

山葉さんは周囲を見回すと僕に指示した。

「ウッチー、窓を開けて換気してくれ。この部屋の中で一酸化炭素が発生していたのかもしれない」

僕は部屋のベランダ側の窓を開け、外からは冷たいが新鮮な空気が流れ込んだ。

僕自身も先程から感じていた頭痛が少し軽減されるのがわかる。部屋に置かれた石油ファンヒーターを見ると燃焼状態から自動停止したことが見て取れた。

「山葉さん、私は夢の中でみんなを殺そうとしていた。ごめんなさい」

沼さんの目に涙が浮かぶのを見て、山葉さんは優しく尋ねた。

「それはわかっている。原因はこのフルートと、十字架にありそうだ。この品物をどこで手に入れたか教えてくれるかな」

沼さんは涙を浮かべたままで答える。

「私は、山葉さんのように上手に浄霊をしたいと思って、ネットで霊力の高そうな品物を探し、オークションサイトでこの銀の十字架とフルートのセットをみつけました。パソコンの画面で見ただけで引き込まれるような魅力を感じて、その場で落札してしまったのです」

山葉さんはこたつの上にあったボールペンを手に取ると、十字架が危険な動物かなにかのようにペン先でつついている。

「届いた荷物を開けた途端に憑依されたと言ったところかな。迂闊に知らない人から物を買うのも考え物だね」

「この荷物は匿名で発送されているので発送元はわかりませんね。前の持ち主も扱いに困ってオークションにかけたのかもしれませんね」

僕はフルートと十字架が入っていた段ボール箱を調べたが送り状からたどれる情報はあまりなく、オークションにかけた人物への手掛かりは途切れた。

「山葉さんそのフルートと十字架の処分をお願いしていいですか」

「わかった、私が何とかしよう。沼ちゃんの霊能力は十分に強いのだからこれからはアイテムに頼ろうなどと思わないことだ」

山葉さんがもっともらしく言うと、沼さんは涙ぐみながらうなずいた。

結論として、今回の件は沼さんが霊力のある品物によって心霊能力を高めようとした結果、十字架に取り憑いていたアルフォンソ司祭の亡霊に憑依され、操られる結果となってしまったらしい。

同時に、沼さんを悪運が襲い、締め切った部屋でファンヒーターを使い続けた結果酸素が欠乏して一酸化炭素まで発生したが、ファンヒーターのセンサーが一酸化炭素を検知して自動停止したために大事には至らなかったようだ。

「憑依した霊は浄霊済みだ。沼さんは軽い一酸化炭素中毒の可能性があるから病院を受診した方がいいな」

山葉さんが指示すると三谷さんがうなずいた。

「僕が付き添って病院に連れて行きます」

僕と山葉さんは、沼さんを三谷さんに任せて帰ることにした。

山葉さんは沼さんの部屋から持ち出したフルートと十字架を助手席に放り出すと、莉咲をチャイルドシートに乗せ、後部座席の背もたれにぐったりとした様子で寄り掛かった。

「大丈夫ですか」

「背中が痛かったです」

僕の腕は夢の中でアルフォンソ司祭に切られた部分がみみずばれになっていた。おそらく山葉さんの背中にも矢傷を受けた部分が同様に痕跡として残っているに違いない。

「僕たちが夢の中でアルフォンソ司祭に倒されていたら今頃どうなっていたのでしょうね」

「きっと、私達は一酸化炭素中毒で死に、沼さんだけが奇跡的に生き残って、新興宗教の教祖となっていくとかそんなシナリオだったのかもしれないね」

山葉さんは淡々として話すが、その内容は穏当ではない。

「その十字架とフルートはどうするのですか」

「十字架は貴金属買取ショップに売り飛ばして私たちのおやつ代に使おう。フルートは家に置いて私が演奏を聞かせてあげるよ」

それらの品物は既に浄霊済みなので山葉さんは適当に処分するつもりのようだ。

「山葉さんはフルートの演奏ができるのですか?」

「高校生の時少しだけ練習したことがあるから、荒城の月くらいなら吹けるよ」

運転席からバックミラー越しに、山葉さんが莉咲をあやして莉咲が機嫌よく笑うのが見える。

僕はWRX-STIのステアリングを握って下北沢の我が家を目指した。




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