第387話 月の光

数日後、カフェ青葉の定休日に僕と山葉さんは小西さんが住んでいるアパートに出かけた。

小西さんは井の頭線の終点がある吉祥寺駅の近くに住んでおり、僕と山葉さんはWRX-STIに乗って小西さんのアパートを目指す。

僕は小西さんが教えてくれた住所を入力したカーナビゲーションを頼りに彼が住むアパートを探した。

「おかしいな、カーナビゲーションによるとこの辺りなのに」

僕がつぶやくと、山葉さんは塀に囲われた洋館風の建物を示す。

「あの建物がそうじゃないかな」

「地図ではその辺りになっていますが、大学生が住んでいる賃貸アパートには見えませんよ」

カーナビゲーションは個人の住宅を入力すると、その番地の近辺までは案内してくれるが、目的地付近ですとアナウンスしたらその後は放置される場合が多い。

その建物は、赤坂辺りにある外国の公館を思わせる重厚な雰囲気の西洋建築だった。

建物自体は大きく、部屋数も多そうなのだが、学生向きに賃貸しているとは思えない。

赤レンガを基調とした建物は歴史を感じさせると同時に、どこか重苦しい気配が漂っているような気がしてならない。

山葉さんは自分のスマホを取り出すと、小西さんにコールした。

小西さんはすぐに通話に出たので、山葉さんは彼に状況を説明した。

「小西君、今君が住んでいる建物の前に来たつもりなのだが、外見は洋館風でいいのかな」

「ええそうですよ、入り口の門のところにいるのが山葉さんたちですよね」

スマホから洩れる小西さんの声を聞いて、僕が建物の窓を探すと、建物三階の一室の窓から小西さんが手を振っているのが見えた。

「建物の東端に玄関があるのでそちらから入ってください」

小西さんの指示に従って僕たちは建物の中に入った。

僕たちが庭を横切る間に小西さんは玄関まで降りて僕たちを迎える。

建物の内部はフローリングに改造されており、玄関で靴を脱ぐスタイルだ。

「来客用のスリッパをはいてください、僕の部屋は3階ですけど、祈祷をご希望の大家さんは一階に住んでいますからそちらに行きましょう」

僕は小西さんの指示に従って靴を脱ぐと、玄関にあるゲスト用のスリッパを取って、山葉さんの前に一つ置き、もう一つを自分が履く。

廊下の奥には洗濯機や乾燥機が並んだ部屋や、男女別のトイレや浴室の表示もあり、その奥にはキッチンを備えた広々したダイニングがあった。

さらに奥に通じるドアも見えるがそこにはpraivateと表示され、施錠されているようすだ。

ここは、大家さんが古い洋館を改装したシェアハウスなのです。一階の半分が共有スペースで、大家さんはその扉の向こう側に住んでいます。

「なるほど、今流行りのシェアハウススタイルで部屋を貸している訳なのだな」

山葉さんが綺麗にリフォームされた共有スペースを眺めて感心したようにつぶやく。

「ええ、2階と3階にそれぞれ4部屋、個室の居住スペースあるのですが、空き部屋が2部屋、住人が一時帰省中が2部屋、残りの4部屋の内、2人の住人がメンタルヘルスの調子を崩されているそうで、大家さんが心配しているのです」

「ふむ、単純計算で無事な住人が2人いてそのうち1人が小西さんと言うことだな。それはさておき、ワンルームマンションで部屋に一人きりよりも他の住人とコミュニケーションが取れるシェアハウスと言うのもいいかもしれないね」

「僕も女性もいるらしいから何となく期待していたのですが、建物の妖しい気配で他の人とのコミュニケーションどころでない人がおおくてがっかりです」

山葉さんは小西さんの答えに微笑を浮かべつつ住人の状況をメモしている。

僕が異質な気配がないか共有スペースのリビングを見回していると、プライベートルームとの境のドアが開いて壮年の女性が現れた。

「小西さん、その方があなたが紹介してくださる陰陽師さんかしら」

「ええそうですよ。僕がアルバイトをしているカフェを経営されているのですがその傍らで式神を使って浄霊とか、呪詛返しとかされているそうです」

「いや、そんな物騒な話ばかりでなくて家内安全とか健康祈願の方が多いのですが」

山葉さんがちょっと迷惑そうな表情で小西さんの言葉を補足するが、その実、今回の祈祷の話には面白そうだと言いながら出かけて来たことは否めない。

「わざわざおいでいただきありがとうございます。私はこの家を所有しております岩崎慶子と申します。住人でメンタルの調子を崩された方は、夜更けにピアノの音が聞こえてくるとか、連日怖い夢を見てうなされるとか訴えられています。能力のある方が祈祷してくだされば入居者の皆様も安心できるというものですわ」

岩崎さんは古い洋館の所有者だけにどこか令嬢キャラを感じさせるタイプだ。

「内村山葉と申します。こちらは夫の徹です。今回の依頼、私としても力を尽くして祈祷させていただきます」

山葉さんは華やかな笑顔を浮かべて慶子さんに応じた。

僕は彼女の笑顔を見て、その笑顔は

数年前にクラリンが山葉さんの愛想の悪さを気にかけて好感度の高い笑顔を特訓した成果だったことを思い出し、微笑ましい気分になる。

「一時帰省されている方にも調子が崩された方がおられ、メンタルの調子を崩された方は二階のフロアに集中していますの。最初に二階から見ていただいたらよろしいかと思います」

慶子さんの言葉に従い、僕たちは2階に移動することにした。

共有スペースを横切り、玄関わきの階段に向かおうとしていると、僕たちと入れ替わるように階段から降りてきた女性が見えた。

「あら、三元さんお具合はよろしいのかしら」

慶子さんが気づかわしそうに三元さんと呼んだ女性に尋ねると、彼女は暗い表情で答えた。

「あまりよくないかもしれません。またピアノの音が聞こえるんです」

女性は共用スペースに入るとテーブルに突っ伏した。

幻聴かもしれないピアノの音に相当悩まされていることがわかる。

「こちらの方たちは陰陽師さんで、2階のフロアを祈祷してもらうために来ていただいたのですよ。良かったらあなたの部屋を見せていただけないかしら」

三元さんは慌てた様子で顔を上げた。

「私の部屋はちらかっているから入るのは駄目です」

それもそうだろうなと僕は思う、予告もなく第三者に部屋に立ち入られるのは誰でも歓迎しないはずだ。

「わかりました。事前に許可を頂いている、帰省中の清遠さんのお部屋にしましょう」

慶子さんは、三元さんの反応を気にする様子もなく僕たちに告げて、再び階段へと向かう。

「あの、祈祷したらピアノの音とか聞こえなくなるのですか」

三元さんが僕たちの後ろからよびかけ、山葉さんは振り向くと三元さんに優しく答えた。

「まずは調べてから。可能な限りのことはさせてもらいます」

三元さんが期待を込めた視線で見送る中、僕たちは2階へと階段を上った。

2階の廊下に足を踏み入れると、僕はかすかにピアノの音が響いていることに気が付いた。

「山葉さん聞こえますか」

「私も気が付いたところだ。これはベートーベンのピアノソナタ14番の第一楽章だな。ベートーベンの生誕250周年にちなんだ選曲かな」

山葉さんは耳をそばだてながらもっともらしいことを言うが、僕は指摘せざるを得なかった。

「生誕250周年とは関係ないと思いますよ」

ベートーベンのピアノソナタ14番は通称「月光」として知られている。

古びた洋館の廊下にマイナーコードをピアニシモで連ねる「月光」の冒頭部分が流れると、否応なくもの悲しい気分にさせられる。

山葉さんはピアノの音の源を探るように静かに廊下を見渡していた。






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