霊障の館
第386話 事件の兆し
その日、僕はカフェ青葉の和室で所属する大学院のオンライン講義を受けていた。
オンライン形式の講義は大別して3種類あり、録画された講義をオンラインで視聴するオンデマンド型の講義が最も多く、次いでライブ配信型の講義がある。そして、大学院のゼミ等の場合はウエブ会議システムを使って双方向通信で授業を行うのだ。
僕が所属している大学院は学部ともども秋学期からキャンパスの封鎖を解き、本格的に業務を再開したのだが、実際はオンラインで行う講義がほとんどだった。
それゆえ、秋学期が始まり大学院に行ったのは履修登録した新しい講義の教科書を受け取りに行った時等、数えるほどしかない。
おかげで僕は正規スタッフよろしく昼間のほとんどの時間をカフェ青葉で働き、ライブの講義やゼミがある場合は「いざなぎの間」と呼んでいる和室で講義をうけている。
店内にはフリーWIFIが設置してあり、バックヤードにいてもそれが使えるため、仕事を抜けて講義を受ける時は和室を使うのがちょうどいいのだ。
僕がライブ配信の講義を聞き終え、使っていた座卓を片付けようとしていると、入れ替わるように小西さんが和室に現れた。
「あ、その座卓そのまま僕に使わせてください。オンライン講義を受けないといけないのです」
「丁度良かった。それじゃあ後はよろしく」
小西さんは僕が卒業した大学の新入生で、彼らの学年がコロナウイルスの感染症による大学の閉鎖の影響が最も大きいと言える。
おそらく、大学のクラスメートと一緒に講義を受けた経験は数えるほどしかないに違いない。
「小西さんは秋学期になってキャンパスで生の講義を受けられたのかな?」
「それが履修登録もオンラインでできるので、キャンパスに立ち入ったのは教科書を受け取りに行ったときくらいですね。他はほとんどオンライン授業です。しかも録画型が多いので、ここでアルバイトをした後、下宿に帰って2倍速で講義を聞いているんですよ」
僕は少しあきれながら小西さん答える。
「そんなことをしてよく頭に入るものだなあ」
「むしろ無駄な間が省けていいような気がしますよ、それはさておき僕はここでアルバイトが出来て良かったと思います。自分の部屋に一人きりでいたらメンタルヘルスが不調になっていたかもしれませんからね。アルバイトでお金ももらえて人と触れ合う機会があったのはラッキーでした」
僕は自分が大学の新入生の時に友達が出来たり、アルバイトを初めたりと様々な経験をしたことを思うと、今年の新入生が気の毒になった。
「そうなのだね。きっとウイルスの流行も一段落して普通にキャンパスライフを送れる時も来るよ」
僕は気安めにしか聞こえないような言葉を彼に言うしかなかったが、小西君は気にする様子もなく話を続ける。
「ありがとうございます。しかし、僕の住んでいるアパートでは不幸にも孤独な生活を送らざるを得なかった人が数人いて、メンタルヘルスに不調をきたしているらしいのです。僕はこの状況では無理からぬ話だと思うのですが、大屋さんは霊障かもしれないから霊能者に見てもらいたいなんてことを言っているのです」
僕はそろそろ仕事に戻るために、和室を後にしようとしていた足を止めた。
「霊障で何人も不調をきたしていると言うのか?」
小西さんはむしろ僕が彼の話を真に受けていることに驚いたように答える。
「ええ、でもそれは大家さんの私見ですからただのうつ状態ではないかと思うのですが」
僕にしても現場の状況を見てみなければ何とも言えない話だ。
「同じ建物で何人も発生していることが気になるから、大家さんに山葉さんのことを紹介してもいいよ」
「本当ですか。大家さんはずいぶん気にしていたみたいだから喜びますよ。今日帰ったら早速連絡してみます」
小西さん自身は霊障などあまり気にかからない様子で、オンライン講義の準備を始めたので僕は和室を後にした。
和室はカフェ青葉の厨房と通路を挟んだ反対側に位置しており、僕は和室を出たところで、山葉さんと顔を合わせた。
彼女は娘の莉咲の世話を母親の裕子さんに頼んで、厨房で新メニューを試作していたようだ。
「ウッチー、Go To Eatに参加する場合に手数料とか必要なのか調べてくれた?」
「それだったら、予約サイト側に送金手数料としてランチタイムが1件当たり50円から100円、ディナータイムの予約の場合は200円を支払う必要があるみたいですよ」
僕はウエブで調べた情報を彼女に伝える。
「それって、お客が全く来ていないならありがたいけれど、通常時より減っているとはいえ常連客が来てくれる店の場合はあまりありがたくないな」
山葉さんは口をとがらせてご機嫌斜めだ。
送金手数料が店の利ザヤの部分を圧迫する点もあるが、彼女が何に不満なのかは察しがついていた。
「ウエブサイトからの予約客が増えて、常連のお客さんが来店できなくなるのが心配だったら、予約可能な席数を限定すれば大丈夫ですよ」
山葉さんは僕の言葉を聞いて、少し考えてから答えた。
「そういう手が使えたんだね。察しの通り来客数は増やしたいが、今来店してくれているお客さんが満席で入れない事態は避けたいと思っていたんだ」
山葉さんは、懸案事項が解決したらしくすっきりした表情で僕に答える。
「この際だからキャンペーンには参加することにしよう。使える施策は何でも利用しないと生き延びていけない」
山葉さんは、経営者として決断したようだ。
「それじゃあ参加するための手続きを進めておきますよ」
既に申請手続きについては調べてあったので、オーナーが参加を表明すれば、あとは申請するだけだ。
山葉さんは厨房に戻ろうとしたが、僕は小西さんの話を思い出して彼女を呼び止めた。
「山葉さん、小西さんが住んでいるアパートで何人かメンタルヘルスの不調を訴える人がいるのですが、そこの大家さんは霊障ではないかと思っているらしいのです。小西さんには大家さんに山葉さんのことを紹介してもいいと伝えてあります」
「ほう、霊障かどうか話だけではわからないが、同時に多発しているとすれば相当強力な霊がいる可能性がある。もしもその大家さんが浄霊を依頼してきたら対応を考えなければならないな」
山葉さんは、仕方がないといった口ぶりだが、その実興味ありそうな表情で僕に答えた。
その夜、僕たちはカフェ青葉の2階にある居室でくつろいでいた。
裕子さんは夕食を一緒に食べた後自室に引き上げ、就寝までは僕と山葉さんが莉咲と一緒に過ごす時間だ。
親ばかなのかもしれないが、僕は莉咲にしゃべってもらいたくていろいろと話しかけるが、彼女は声の高低や強弱をつけるもののなかなか言葉らしき音声は発してくれない。
「ウッチー、抜け駆けしようとしても無駄だ。莉咲ちゃんには最初の言葉としてママと呼んでもらう予定なのだ」
山葉さんは勝手なことを言って不敵な笑いを浮かべるが、僕は莉咲と戯れていればそれでいいような気がして適当に受け流している。
平和な時間が流れている時に僕のスマホの着信音が鳴った。
小西君の番号が表示されていたので通話に出ると、彼はおっとりした雰囲気で彼のアパートの大家さんが山葉さんに浄霊を頼む意向だと告げた。
しかし、今時のスマホなのに小西さんの声は妙に聞きづらく、小西さんの声に女性の声がかぶさっている感じだった。
通話を切ると、山葉さんが僕に顔を向ける。
「今のは小西さんからだったよね。私には女性の声が一緒に聞こえていたのだが」
「僕もそんな気がしたのです。混信でもしていたのでしょうかね」
あるいは、人ならぬ何かの声を僕たちだけが聞いていたのではないかと僕は疑っていた。
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