第385話 復讐の結末

山葉さんも僕の視線に気付き、眉間にしわを寄せて義男さんの霊が佇む当たりを眺めていたが、やおら僕の腕を掴むと警察官がいる辺りから引き離した。

「どうしたんですか」

「私も、今まさに殺された人の霊など遭遇したことが無かったから、確信があるわけではない。しかし、あの霊がうちの莉咲ちゃんに近づいて欲しくないのは確かだ。無垢な赤ちゃんは取りつかれる可能性が高いのだ」

彼女はそもそも死体の近くに莉咲を連れてきたのが自分だと言うことは棚に上げて、殺害された死霊の脅威から逃れようとしている。

しかし、その件については僕も無条件に賛同できた。

義男さんの霊は目の見えない人が手探りで歩くように両手を前にかざしてゆっくりと移動していたが、その手は貴弘さんに触れる。

義男さんの手は貴弘さんを認識した様子で触手のように絡みついた。

その間に警察官は真治さんへの事情聴取を終え、貴弘さんに話を聞こうとしている。

「あなたにもお聞きしますが、義男さんが発見されたときにあなたは何処にいましたか」

貴弘さんは口ごもってから小さな声で答えた。

「会場内のパーティションで区切られた自分たちのスペースで寝ていました」

貴弘さんは警察官に答えるが、義男さんの霊は貴弘さんにへばりついていた。

義男さんの手は植物の蔓のように貴弘さんに巻き付き、その首を絞めつけているが、貴弘さん本人はそのことに気が付いていないようだ。

「もしかして貴弘さんが義男さんを殺したのではないでしょうか」

僕は他の人に聞こえないように山葉さんの耳元で囁く。

「私もそんな気がしていた。あの状態を見たら本来なら義男さんの霊を祓ってあげるべきだが、少し様子を見てみよう」

僕たちは薄情にも貴弘さんを傍観することを決め込んだが、警察官は貴弘さんの答えに疑義があったようだ。

「キャンプ場の管理職員の証言では、彼が駆け付けた時あなたは真治さんと一緒に被害者の傍にいたはずですが?」

貴弘さんは警察官の言葉を聞いて慌てて話を付け加える。

「そうでした。僕も真治と一緒にトイレに行ったのです。義男が殺されていたので本当にびっくりしました」

「あなたたちが発見したときは彼の死因は自殺だと見える状況だったのではありませんか」

「いや、それは義男が殺されていたということを知ったから、そう言っただけで」

貴弘さんは供述のつじつまが合わない部分を次々と警察官に指摘されている。

「貴弘君、もうあきらめて本当のことを言おうよ。正章のことがばれても仕方がないよ」

真治さんがしんみりした口調で話しかけたが、貴弘さんは激高して真治さんに怒鳴った。

「黙れ真治、折角俺の親がもみ消していたのにお前が口を滑らせたからこんなことになったんだぞ。偉そうなことを言っているんじゃねえよ」

貴弘さんはポケットからナイフを取り出して、横にいた警察官が制止する暇もなく真治さんの腹に突き刺していた。

真治さんは身動きもできずに傷口を眺め、苦しそうにゆがんだ口からは血がにじむ。

「終わったね」

僕は自分の横から聞こえた声に驚かされ、そこに居た存在に気が付いた。

そこにはボーイスカウト姿の少年が佇んでおり、腹を刺されて見る間に顔が青ざめていく真治さんと警察官の目の前で仲間を刺して進退窮まった貴弘さんを眺めていた。

ボーイスカウト姿の少年は端正な顔に微笑を浮かべている。

山葉さんも彼の存在に初めて気が付いた様子で、二、三歩後退するのが見えた。

「傷害の現行犯で逮捕する」

警察官は手錠を取り出して貴弘さんにかけようとしたが、貴弘さんは一瞬のスキをついて駆け出した。

「待て」

貴弘さんは靴も履かないでイベント用の建物から飛び出して行き、二人の警察官が後を追う。

後には腹にナイフが刺さったままの真治さんが残されていた。

僕は両手で莉咲を抱えているのでどうにもできないが、山葉さんはキャンプ場の管理職員と一緒に真治さんを横たわらせた。

キャンプ場の職員がナイフに手をかけて抜こうとするのを山葉さんが止める。

「引き抜くときに血管を傷つけてしまうかもしれないから、医師が来るまでこのまま安静にしておこう」

管理事務所の職員は山葉さんの言葉を聞いてナイフはそのまま残して自分のスマホで緊急通報を始める。

立て続けに人が死に、新たにもう一人が刺されたことで、僕たちは茫然として真治さんを見ているしかなかった。

「大丈夫ですよ。今救急に連絡しましたし、先に連絡した件でレスキュー隊もこちらに向かっていますからね」

消防に緊急連絡したキャンプ場の責任者は真治さんに話しかけるが、真治さんはナイフで刺された傷から多量に出血しており、彼の呼吸は次第に浅く、早くなっていた。

「義男さんは自殺したのではなくて、貴弘さんが殺したのですね」

横たわる真治さんに山葉さんが話しかけると、彼は弱々しく答える。

「そうです。僕がそちらの方に僕たちの共通の秘密を話してしまったと伝えたら、貴弘と義男は口封じのためにあなたたちを殺そうと言い出したのです。義男がナイフを持って忍び寄ったのですが失敗して戻ってきたので貴弘と義男が口論になり、貴弘がロープで義男の首を絞めたのです」

友達をいじめ、他人の人格を尊重できない人間は自分たちの命もぞんざいに扱うのだろうかと思い、僕は暗い気分になった。

真治さんは僕の顔をみると、かすれた声で話をつづけた。

「僕はあなたに話した事を後悔しませんよ。僕たちがいじめの末に正章を死なせてしまったことを僕はずっと後悔していました。貴弘や義男それに隆一たちはいつか真実が明るみに出されるのではないかと恐れていたようです。結局僕たちは共通の秘密に結び付けられて一緒にいる機会が多かったのですが、四人でいる時間は僕にとっては地獄でした」

「傷に障るからもうしゃべらないで」

キャンプ場の管理事務所の男性が制止したので、真治さんは口をつぐんだが僕の脇に視線を移すと再び話し始めた。

「そこに正章の姿が見える。それもあの時のボーイスカウト制服を着たままだ。正章君、どうか僕のことを許してくれ。他の三人もそれなりに苦しんで反省もしているからどうかもう許してやってくれ」

正章さんの霊は無言で真治さんを見下ろしている。

その時、貴弘さんを追って行った警察官の一人が戻ってきた。

「被疑者は逃走中に増水した河川に転落しました。どこかに流れ着く可能性もありますから先に転落した車両を捜索中の署員に連絡してください。被害者の状況確認はこれから行います」

警察官はさすがに疲労の色を見せながら無線で連絡を終えると、真治さんを覗き込む。

その横で、警察官の報告を聞いた正章さんの霊は再度微笑を浮かべ、その姿は次第に薄くなり、僕の目にも見えなくなっていった。

その後、激しかった雨も止み、消防のレスキュー隊がキャンプ場に到着した。

救急隊員は真治さんを担架に乗せ、逆巻く激流を渡して搬送していった。

その後、レスキュー隊が渡したロープを頼りに大勢の警察官がキャンプ場に入り、現場検証を始め、僕たちは満足に眠る暇もないまま朝を迎えた。

やがて日が昇り、川で渦巻いていた濁流も次第に水位を下げ、橋の安全が確認されると宿泊客たちはそそくさと立ち去っていった。

僕たちも荷物をまとめて出かける準備を始めた。

下山した木綿さんと鬼塚さんをピックアップするのは夕方になるはずなので、それまでは周辺の観光スポットを巡る予定だった。

しかし、出発しようとしたときに山葉さんは僕に言った。

「私は亡くなった人のために祈祷しようと思う。未然に正章さんの霊を浄霊すれば惨事を防げたかもしれないのに私はみすみす見殺しにしてしまった」

「浄霊しようにも、正章さんの霊は所在が不明だったから無理だったのですよ」

山葉さんは意外と後からくよくよと思い悩む性質の人なので、僕は今回の事件は亡くなった貴弘さんや義男さんが自ら招き寄せた災厄だと思って欲しかった。

祈祷の準備を済ませると、山葉さんはしめやかに神楽を舞う。

豪雨が明けて霧が流れる林の中に山葉さんが祭文を詠唱する声が流れた。

僕は、河原の岩の上にボーイスカウト姿の5人の少年が戯れるのを見て目をしばたいたが、それは死者の霊だったのか、それとも僕の心が生み出した幻覚だったのか定かではない。

やがて、山葉さんが祭文をりかんの言葉で締めくくると、ボーイスカウト姿の少年たちの姿は消え、深い山の気が周辺に満ちていった。


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