第369話 強敵を弔う

僕と山葉さんは「おさと」呼ばれていた女性の霊を追っていたが、やがて辺りの状況が変化した。

延々と続いていた和建築の廊下が途切れ、だしぬけに野外の光景が広がったのだ。

「外に出たのでしょうか」

「外はいいのだが、妙に見覚えのある光景だな」

山葉さんは不思議そうな表情で周囲を見回していたが、やがて小さな声でつぶやいた。

「ここは私の家の裏にある畑だ」

「でも、僕たちは相当な距離を隔てた隣の集落にいたのでしょう」

隣の集落と言っても、僕たちは険しい山の尾根道を相当な距離を歩いてたどり着いたのであり、渡り廊下のようなものでつなげる距離ではない。

「おさとが僕たちの記憶を探って幻覚を見せているのでは」

僕の疑問に山葉さんが答えようとした時、畑で栽培されているトウモロコシの間から顔を出した人が僕たちに呼びかけた。

「山葉、帰ってきちゅうがかね」

「おばあちゃん」

山葉さんはおばあちゃんが大好きだったと聞いていたが、山葉さんの祖母は山葉さんが高校生の時に他界している。

山葉さんもそんなことは承知のはずだが、トウモロコシ畑にいるおばあちゃんに駆け寄ると弾んだ声で話し始めている。

「山葉さん、それは幻覚かもしれない。こっちに戻って!」

僕が山葉さんを呼び戻そうとした時、誰かが僕の手を掴んでいた。

「ウッチーさん久しぶりですね」

そこに居たのは、巫女服を身にまとった幼い容貌の山葉さんだった。

高校生の頃に祖母が不治の病に侵されていると知った山葉さんは自らを贄に捧げて祖母を助けようとしたが、そのために本来の自我の一部が山の神たちが存在する世界に封じ込められ、残りの部分が現実世界で生活していたのだ。

一時期、その隔離された人格が僕の夢に現れる現象が起きていたのだが、別の件で発生した時空変動のあおりで分離していた山葉さんの人格は現在の人格に統合されたはずだった。

「ちがう、君はあそこにいる山葉さんに統合されたはずだ」

「誰のこと?私はここにいるでしょう」

少しふっくらとした顔立ちの山葉さんが僕に微笑みかけ、僕の警戒心が少し緩む。

その時、彼女の手が素早く動いて僕の首に何か細いものが食い込んでいた。

僕は声も出せないまま、自分の首を絞めつけるものを外そうとしたが、細い紐のようなものはきつく食い込んで容易に外せない。

自分の手を掴んでいた「山葉さん」に目を向けたが、それはディテールを失ったぼんやりした人型でしかなく、目の部分だけが怪しく青く光っていた。

呼吸が出来ず目の前が暗くなりつつあり、「おさと」が勝ち誇ったように笑うのを聞いた気がした。

その時、僕は動物の唸り声を聞いた。

首を絞めつけていた紐のようなものが少し緩み、僕はそれを手で緩めると無我夢中で空気を吸う。

周囲の情景が見えるようになると、僕の目の前では数頭の動物が一つの塊になって格闘しているところだった。

茶色がかった同じような毛並みだが、よく見るとカイとセイラがもう一頭の動物と戦っている。

やがて、セイラが背後からけん制し隙が出来た時に、カイが動物の首に素早くかみついた

カイは動物の首にかみついたまま、全力で頭を振り、致命傷を負った動物は息も絶え絶えの状態で地面に横たわった。

周囲を見回すと、そこは僕と孟雄さんが奈美さんを追って分け入った林の中で、常緑樹の林の林床に羊歯がびっしりと生えている。

僕たちが踏み込んだはずの家はどこにもなく、急な斜面の上に生い茂った林が続いているだけだった。

僕の首に食い込んでいたのは植物の蔓で、力を込めて引っ張ると蔓は引きちぎることが出来た。

山葉さんも僕と同じように植物の蔓が首に巻き付いた状態で倒れており、僕は慌てて駆け寄ると彼女の首に食い込んだ蔓を外す。

「山葉さん、大丈夫ですか」

僕が呼び掛けると、彼女は眼を開けてせき込んだ。

どうやら命に別状はない様子で僕はホッと一息ついた。

僕が再び三頭の動物に目を移すと、孟雄さんが横たわる動物を眺めていた。

孟雄さんは持っていた剣鉈を鞘から取り出すと、カイとセイラに倒された動物の胸のあたりに剣鉈を突き刺して素早く抜く。

「あの女の霊はこのタヌキに生まれ変わっていたのです」

孟夫さんは暗い口調で僕に教えるが、僕は見当はずれな質問をせざるを得なかった。

「それはタヌキなのですか」

僕はタヌキの実物を見た経験はなく、野生動物としか認識していなかったのだ。

どうやら「おさと」が転生したタヌキをカイとセイラが倒したので、僕たちを脅かしていた「おさと」の霊は無力化されたようだ。

タヌキの命が失われた時、ふわりと青白い光が浮き上がり虚空を漂い始めた。

そして、それを追うようにカイの身体から青白い光が飛び出し、タヌキから浮かび上がった青白い光に近づいて行く。

「何が起きているのだろう」

僕がつぶやくと、孟雄さんが剣鉈を鞘に納めながら僕に尋ねた。

「僕には霊の姿は見えないので状況を説明してもらえませんか」

僕は自分が見たままの様子を孟雄さんに話すが、孟雄さんも状況を理解できない様子だった。

「私はあのタヌキに餌をあげようとしたのを憶えています。その時タヌキの目が青く光ってその後の記憶がはっきりしなくて、まるで夢を見ていたみたいなのです」

「そうか、その時タヌキに宿っていたおさとの霊に支配されてしまったのですね」

僕がつぶやいている間も、二つの青白い光は絡み合うようにタヌキの死体の上をゆっくりと漂っている。

僕たちが無言でたたずんでいると、山葉さんがいざなぎ流の祭文を詠唱する声が木立の間に流れた。

山葉さんが「おさと」の霊を弔おうとしているのだ。

「どうやら僕たちの先祖が、あの女性の霊を塚に封じ込めてしまったのですね。本来ならばたとえ戦った敵と言えどもその死後は丁重に弔ってあげるべきだったので、山葉はその過ちを正そうとしているのです」

孟夫さんがしんみりとした口調で話し、山葉さんはいざなぎ流の神楽を舞いながら祭文を唱えている。

祭祀の終盤に近付き、二つの青白い光を山葉さんが引き寄せ始めた時、二つの光は何故か僕に接近し始めた。

かわす暇もなく、二つの光が僕の体に触れると、周囲は静寂に包まれ、孟夫さんや山葉さん、そして少し離れて立っている奈美さんも動きを止めた。

僕は「おさと」の霊が支配する空間に引き込まれたのかと思い身を固くしたが、僕の目の前に姿を現したのは初老の男性だった。

「私はこの辺りでいざなぎ流の大夫をしていた英喜と申します。こちらにいるおさとの父です」

僕は彼の背後に「おさと」の姿を認めて、二人への対処の仕方をどうするかで頭がいっぱいになった。

「おさとがいざなぎ流の道を誤ったのは全て私の責任です。不作の年に食うことに困って子供を売るような真似をしたのですから。後年必死に働いてお里の妹は下働きのうちに見受けすることが出来たのですが、おさとはその時既に遊郭を出て、いざなぎ流の呪詛を売り物にして身を立てていたのです」

二人の間でどんな意思疎通があったのか定かでないが、おさとは暗い表情のままだ。

「おさとに会いに行ったこともあるのですが手荒に追い返されるばかりで、思い余った私の妻がいざなぎ流の術でお里を操って呼び戻そうとしたのですが、それはおさとに察知され、おさとの呪詛返しを受けて妻は死にました。私達の意図を曲解したおさとは私たちを殺そうとしていることがわかりました。おさとが隣の郷に迫っているという知らせを受けて、私は隣の郷の大夫にわが身に何かあったらおさとを殺すように頼み、再度お郷を呼び戻すべく祈祷を行いました。結果私はおさとの術により死に、隣の郷の大夫がおさとの息の根を止めました。その大夫は私の頼みを聞き入れて私をお郷と一緒に埋めたのです」

僕は事の起こりはカイが藁人形を咥えて戻ってきたことだったと思い出した。

「もしかして、あなたがカイを操って藁人形を持ってきたのですか」

英喜と名乗った男の霊はゆっくりとうなずいて話をつづけた。

「私はおさとの霊が道を誤らないように未来永劫に見守るつもりでした。不幸にも塚がイノシシによって壊され、おさとはタヌキに転生してしまいましたが、タヌキとしての生を終えたら私が連れて行くつもりでした。しかし、私たちの末裔である娘さんを操り、呪術の道具を売ることを教え始めたので看過できずあなた方を巻き込んでしまったのです」

僕はイノシシやタヌキが登場したあたりで訳が分からなくなったが、二人が攻撃を仕掛けて来たのではないことは理解できた。

「私は」

おさとの霊が消え入るような声でつぶやく。

「私は手をさしのべてくれようとした両親を殺してしまったのだ」

僕と山葉さんの深層心理まで読んで命を奪おうとしていた彼女が後悔して涙を流している様子が意外に思える。

「おさとさんは悪霊だと思っていました。このまま神上がることはできるのですか」

彼女の連れに尋ねても、不確かな話だが僕は英喜さんに聞かずにはいられなかったかな

「あなたのお連れの大夫さんがみこ神の祭文を唱えてくれたので、邪気が消えたようです。私への恨みはあるかもしれませんがそれは私自身が受け止めること。あなた方のご厚意に甘えてこのまま来世に送ってやります」

二人が会釈したように感じた時、僕は現実の時の流れに戻っていた。

二つの青白い光は、一緒に山葉さんの手のひらの上に引き寄せられ、彼女が気を込めて送り出すと、僕たちには感知できない未来の時空へと送り出されていった。

山葉さんは疲れた様子で奈美さんに話しかけた。

「あなたも災難でしたね。もうここは引き払って街に戻られますか」

山葉さんは奈美さんが街に帰っていくと思っていたのだが、彼女の答えは予想に反したものだった。

「いいえ、私はここに留まります。実は近くに放置された柚子畑があるのを見つけて、持ち主と交渉して借りることになっていたのです。藁人形はもうやめますけどネットビジネスと果樹園経営で生きていけます」

「ふうん、私の両親も柚子畑を持っているけど儲かるのかな」

地元出身の山葉さんが頼りない雰囲気で尋ねるが、奈美さんはしっかりした口調で答える。

「売れる果実が収穫可能なので上出来です」

山葉さんは奈美さんの答えに意外そうに周囲を見回した。

そこでは孟雄さんが息を引き取ったタヌキを僕が持ってきた樫の棒に縛り付けており、山葉さんは、それを見とがめた。

「お父さん、タヌキを荷造りしてどういうつもりなの」

「いや、敵といえどもちゃんと供養してあげることは大切です。僕はこのタヌキを鍋にして食べることで供養してあげようと思って」

山葉さんは助けを求めるように僕を見ながら言った。

「私はタヌキの鍋なんか食べませんからね」

僕も同感だったが、話の流れとして拒絶してよいものか悩むところだ。

タヌキを担いだ孟雄さんの周囲を、カイとセイラがお手柄をほめて欲しい様子で駆け回っていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る