第366話 痕跡を追え

その時、倒れていた女性が身じろぎした。

僕は女性が意識を取り戻して暴れはじめることを半ば予期していたが、起き上がった彼女は自分のいる場所がわからない様子で周囲を見回している。

「ここは何処?あなたたちは何者なのですか」

その口ぶりは、自分が見知らぬ場所にいるのは僕たちの仕業でないかと疑っていることを思わせる。

「僕たちは別役ヶ峰の集落で近所の犬が藁人形を拾ってきたので、持ち主を探しに来たのです。あなたの家を探し当てたのですが、声を掛けたら逃げ出したので後を追ううちにこんな場所に迷い込んでしまったのですが」

僕が適当に端折っているものの事実に即した説明を試みると、女性は大きく目を見開いて僕たちや、自分の足元に落ちている薙刀を見ている。

やがて女性はおずおずとした口調で僕たちに尋ねた。

「私は藁人形を作って通販サイトで販売したり、魔物と戦っている夢を見たような気がするのですが、それは現実で、私が夢の中で戦っていたのはあなた達だったのですか?」

「そうです。月並みな表現で申し訳ありませんがあなたは悪霊に取り憑かれていたと言って差し支えありません」

山葉さんが静かな口調で答える。

「どうしてこの集落に一人で住んでいるのですか」

僕が尋ねると、女性は忘れていたことを思い出そうとするように上目遣いに考えていたがやがて口を開いた。

「私は、小松奈美といいます。この春に勤務していた都内の飲食店が閉店して仕事が無くなったので、四国の山奥にあるおじいさんが住んでいた家で生活できないかと思って移り住んで来たのです。おじいさんは去年の秋におばあさんと一緒に街にある介護スタッフ付きの高齢者向けのマンションに移り住んだばかりで、家はそのまま残っていると聞いていたものですから」

「こんな不便な場所にわざわざ住むこともないと思うのだが」

山葉さんがつぶやくと奈美さんは首を振った。

「都内に居たら仕事が無くても毎月の家賃は容赦なく支払期限が来るでしょう。子供の頃お墓参りに来たことがあったので、山奥でも住むことが出来るのは知っていましたから」

僕は周囲に誰もいない山の集落に一人住まいをしたいとも思わないが、彼女の場合は止むにやまれずの事情があったに違いない。

「でもここに来てみたら、最後の住人がいなくなったということで電力会社がサポートを引き上げてしまった後だったので、改めて電気を引くには数十万円かかると言われました。やむを得ずソーラーパネルとリチウムバッテリーを買って必要最低限の電力を確保しました」

廃屋と思っていた家の庭に設置されたソーラーバッテリーは彼女が持ち込んだらしい。

「あなたは夢を見ていたと言われるが、ネットで通販したりするにはあなた自身の知識がないとできないはずですよね」

僕の質問に、彼女は不確かな記憶を探るように答える。

「ええ、もともとweb作成のアルバイトや手作りの手芸品の通販はしていたので、夢の中でも同じようなことをしていたみたいです」

その時、奈美さんは両手で口をさえた。

「いやだ、私は夢の中であの家でネット関係のアルバイトをして日銭を稼いでいたけど、それ以外に江戸時代の時代劇みたいな夢も見て、その記憶が鮮明に残っているのです。それっていったい何だったのでしょう」

「おそらくあなたに取り憑いた悪霊の生前の記憶をなぞる夢だったのですね」

意識を取り戻した孟雄さんが穏やかな口調で言った。

「お父さん、この人を頼む。私は逃げた女の霊を追わなければ」

「そうですね。この無限に増殖する廊下を何とかしないと僕たちは元の世界に戻れない」

山葉さんと僕がそれぞれに言うと、孟雄さんは暗い表情で僕たちに答える。

「くれぐれも無理はしないでください。あれは私たちの祖先が総力を挙げてやっと封じ込めた恐ろしい力の持ち主なのです」

「わかった」

山葉さんは廊下に落ちていた薙刀を拾い、獣の姿が消えた廊下の先へ駆け出していく。

僕は彼女の後を追って走り始めたが、直に彼女に追いつくことになった。

山葉さんは次々と現れる枝分かれする廊下を目にして足を止めていたのだ。

「どっちに行けばいいのだろう」

「さっきは奈美さんがつけていた香水を手掛かりに後を追うことが出来たのですが、あの獣みたいなやつは香水を付けているとは思えませんね」

山葉さんは、僕を振り返った。

「そういえば何故、あの獣みたいなやつが出てきたのだろう」

「僕も不思議に思っていたのです。あの女の霊が奈美さんに取り憑いていたとすれば、高田の王子が小太刀で刺したらそのまま消えてしまうと思うのですが」

関係のない野獣が介入して式王子を破いてしまうことなど考えられない話だったが、それは現実に起こっている。

山葉さんは僕たちの十メートルほど向こうで左右に分かれる廊下を見ながら思案する表情だったが、やがて口を開いた。

「私の父は先祖が総力を挙げて封じ込めたと言っていたが、あの女の霊も自分の遺体が弔うことなく埋められたと言っていた。その辺りに謎を解く鍵があるのかもしれない」

山葉さんはT字路状に廊下が分岐する箇所に立って左右に分かれる廊下を見比べながらつぶやく。

「私達は邪霊を払った時に、「みてぐら」を梱包して人の手が触れないような場所に埋めるのが習わしだが、一族が総力を挙げてもてこずるほどの強敵ならばその辺に埋めたりせずに厳重な管理下に置いたのではないだろうか」

「それでは、この集落の中に埋められていたというのですか」

僕は集落を訪れた際に放置されて荒れ始めたそこかしこで土砂が崩れた跡やイノシシが土を掘った後を見たのを思い出した。

「うむ、誤って掘り起こしたりすることが無いように管理されていたのかもしれないが、人が住まなくなり野生の獣が何かのきっかけで掘り起こしてしまったとしたら」

「彼女の遺体ごと悪霊を封じこめた塚を掘り起こした獣に取り憑いてしまったというのですか」

「そう考えると辻褄が合う。最初に取り憑いた獣がベースとなっているのでそこから離れることは出来ないが、いざなぎ流の術を駆使してさらに奈美さんも支配下に置いたのではないだろうか」

探すべき対象が絞られたので、僕はもう一度五感を研ぎ澄まして逃げた敵の痕跡を探すことにした。

耳を澄ましても、さほどの音も拾えないのでもう一度臭いを頼りに探すことにして、僕は廊下の分岐の床の当たりを嗅いでみた。

「何か手掛かりになりそうな臭いがあるのか?」

山葉さんは僕を見下ろしながら尋ねるが、僕としてもまずはそれを探しているのだ。

その時僕は廊下の片方から、饐えたようないやな臭いが漂うことに気が付いた。

「こっちから嫌なにおいがするのですけど」

「それだ。野生動物というものは、悪臭が漂っていても不思議ではない。その後を追ってくれ」

僕は悪臭を頼りに、悪霊が取り付いた獣を探す羽目になった。

その臭いはかすかだが分かれ道で方向を定められる程度には残っている。

回廊を進んでいくうちに僕は次第に息苦しく感じ始め、酸素が薄い高山にいるように呼吸が速くなっていく。

「なんだか呼吸が苦しくなってきたんですけど」

「私もそんな気がしているが、敵のかく乱だと思って無視するのだ」

弱気になった僕を尻目に山葉さんは足早に廊下を先に進むが、やがて廊下の分岐で立ち止まった。

「ポチ、どっちに行けばいいのだ?」

こんなに息苦しいのに余裕だなと思いながら僕は左右の廊下の臭いを嗅いで明らかに臭いと思った方向を指さした。

山葉さんは再び進み始めたが今度はさほど進まないうちに立ち止まった。

山葉さんの横に並んで廊下の先を見ると、ここまで延々と続いてきた廊下は次第に闇に覆われ、闇の中に二つの光る眼が浮かんでいた。

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