第348話 クラリンの想い出
墓地に取り残された僕たちの周囲に草いきれが強く香る。
未来さんは、目を伏せたまま小声で話し始めた。
「一郎君は周囲の人間をトラブル巻き込むことにかけては天才的です。一年生の時以来私に纏わりついてきたことは一度ではありません。そしてその都度、私の正体が露見しかねない騒動を起こしているのです」
僕はいまだに涙目になっている一郎君にきつい雰囲気で問いかけた。
「話が違う。きみは未来さんとめったに口をきいたこともなかったのだろう」
一郎君は悪びれたわけでもなく、目をしばたきながら僕に答えた。
「本当ですって。僕は先日家を尋ねるまでは彼女とそれらしく話したことはなかったんです」
僕は訳が分からなくなった。一郎君が嘘をついてまで固執する話ではないしが、未来さんが嘘をついているとも思えない。
「これまでに三回、一郎君の頭から私に関する記憶を消しました。でも彼は私の記憶を根こそぎ失っても、クラスが同じなのでしばらくすると私のことが気になり始めるらしく、数日後には、ソワソワしながら私に話しかけてくるのです」
「物の怪だから、人の記憶を選択的に消すことが出来るんだね」
僕が尋ねると未来さんはゆっくりと首を振る。
「私はまだそんなことは出来ません。私がやれば彼のすべての記憶を破壊してしまうかもしれない。記憶を消すのは知り合いに頼んだのです」
一郎君が茫然とした表情で彼女の顔を見る。
「僕の記憶を消したなんて嘘だ。そんな事全然覚えていないし」
「それはそうよ記憶を消したのだから」
未来さんは、つまらなそうにつぶやくと、一郎君の手を引っ張って立たせてやった。
「今日のことは誰にも話さないで。もし誰かに話したらまたあなたの記憶を消すわ」
「そんな。やっぱり君は妖怪の類だったのか」
一郎君は絶句したが、未来さんは全く動じない様子で彼の顔を見つめて答える。
「そのことは誰にも話さないで。そして、学校では私のことをそっとしておいて。そうすれば友達でいてあげる」
秘密を知られたのに、そのまま放置して大丈夫なのかと僕の方が不安になったが、未来さんは毅然とした表情で一郎君を見つめている。
一郎君はしばらく未来さんの前でたたずんでいたが、やがて彼女に答えた。
「誰にも言わないと約束するから、僕の記憶は消さないでくれ」
一郎君が答えると、未来さんはゆっくりとうなずいて彼に言った。
「ありがとう。私はこの人に話があるから今日は帰って」
一郎君は何か言いかけたが、思い直して口を閉ざすと僕と未来さんがいる墓地の片隅から何度も振り返りながら歩いて街の方に帰っていった。
「記憶を消さなくて大丈夫だったの?」
「私は精度の高い術が使えないと言ったはず。問題があれば再び知り合いにたのみます」
彼女は必要以上のことを話さないので、僕も微妙に居心地の悪さを感じる。
「あなたはクラリンの友達ですね」
だしぬけに尋ねられて僕はぎょっとして彼女の顔を見返した。
彼女の前でクラリンの名前など一度も口にしていないはずなのだ。
「どうしてクラリンと言う名前を知っているんだ」
「私は彼女としばらく暮らしたことがあるのです。奥多摩の山の中で私と会ったことを憶えていませんか」
彼女の言葉と同時に、僕の頭の中に数年前の記憶が渦を巻いた。
僕は大学に入った年の秋に、栗田准教授たちと奥多摩の渓谷にバーベキューに出かけたのだが、その時同行したクラリンが失踪した。
そのうえ、僕たちは物の怪に彼女の記憶を消されたのだが、ただ一人憶えていた雅俊が僕たちを引っ張ってクラリン救出に向かい、妖狐の兄妹と一緒にいたクラリンを救出したのだ。
妖狐の母親は、人間が仕掛けた罠で命を落とし、霊となって、クラリンに憑依し子供たちに人間の知識を教えていたのだ。
その当時は未来さんと彼女の兄は小学生にしか見えなかった。
僕はそこまで思い出して慄然とする事実に気が付いた。
「僕はその出来事の記憶を消されていたのか」
未来さんはゆっくりとうなずいた。
「あなたたちは私たち兄妹に善意で関わるつもりでいましたが、七瀬さんと黒崎さんが一抹の危惧を感じてあなたたちの頭から私たち兄妹の記憶を消したのです」
僕は頭痛を感じるような気がして頭を振ったがそれは気のせいに過ぎなかった。
「何故そんな事をしたんだ」
「私たち兄妹と、あなたたちの身を守るためです。人は秘密を守るには向かない生き物なのです」
彼女の言葉には一理あるような気がした。居合わせた人間のうちだれかが口を滑らせたら彼女たちの命運は尽きる。
僕は彼女がクラリンを慕っているのだと気が付いて、彼女の消息を話すことにした。
「クラリンは大学を卒業して政府系の機関に就職して活躍しているよ」
「そう、良かった。私達は彼女の大切な時間を奪ってしまったので、いつかは償いをしたい」
妖たちは寿命が長く、短命な僕たち人間の生を憐れんでいるかもしれない。それゆえにクラリンの時間を浪費させたと気が咎めているのだ
「おにいさんはどうしているんだ」
「兄者は別の家にもらわれて行きました」
僕は話題を変えたかったのだが、未来さんは自分の兄の行方を子猫の貰われ先のように軽く話す。
「一郎君のことはどうするつもりだ?」
「しばらく様子を見ます。今度記憶を消すことになれば私は彼の前から姿を消します」
僕はめまいがするような思いで、未来さんの顔を見つめていたが、やがてすべてが可笑しく思えてきた。
「気が向いたら僕たちの店を訪ねてきたらいい。お昼ご飯くらいごちそうするよ」
「本当ですか。あなたたちの食べ物はすごく美味しかった記憶があるから是非行ってみたい。」
僕は未来さんに笑顔を向けて言う。
「来てくれたら歓迎するけど、山葉さんも君の記憶を失っているとしたら、どうやったら戻るのかな」
未来さんは中学生らしいあどけない笑顔を浮かべて言った。
「黒崎さんはあなたたちには柔らかな術しか使いません。きっとあなたがその時の出来事を話したらそれがきっかけとなって、記憶を取り戻すはずです」
未来さんは、服の袖が破れていることを気にする様子もなく、僕に手を振ると帰っていった。
僕はこれでいいのだろうかと天に向かって問いかけたが、答えてくれる者はいない。
仕方がないので、一郎君が地面に放り出した予備のヘルメットを土ぼこりを払ってからバイクのヘルメットフックに止め、自分のヘルメットを被るとおもむろにバイクのエンジンを始動する。
そして、ゆっくりとスロットルを開けながらクラッチをつなぎ、GSX400Sを駆って家路についた。
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