第347話 既視感のある光景
僕は通話を終えたスマホをしまうと、店舗の状況を見回した。
ランチタイムのお客が引けていくところで壁際のカウンター席や店舗中央のテーブル席にはこれから回収しなければならない食器類はあるものの、僕がいなくても何とかなる状況だ。
「祥さん、急ぎの用事が出来たのでお店のことを頼む」
祥さんは両手にプレートを抱えたままで僕に振り返ると、心配そうな表情で僕に尋ねた。
「この前のキツネに魅入られた少年ですか」
祥さんは事実関係を正確に把握しているが、時間がないので適当に端折って話している。
「魅入られたのではなくて、ご自分が追いかけているんだよ。急いで助けに行く必要がありそうなので行ってくる」
僕は、祥さんに手を振ってからバックヤードに引っ込むと二階の居住部分に駆け登った。
居室のドアを開けると、山葉さんが抱えた莉咲を裕子さんがあやしているという、ほのぼのとした情景だったが、僕がいきなりドアを開けたので三人の視線が一斉に僕に向く。
「一郎君が助けを求めているから、様子を見てくる」
「例の未来さんが絡んでいるのか?」
山葉さんが莉咲にそれらしい動作をさせながらしゃべるので、僕は吹きそうになったが、どうにか平静を装って答えた。
「そうです。彼女が性質の悪い上級生に絡まれているみたいなのです」
「無理をしないように気を付けて」
山葉さんが自分のセリフに合わせて莉咲に敬礼の姿勢を取らせたので、僕は渋い表情を維持時出来ず、顔がほころぶのを感じながら言った。
「行ってきます」
僕はトラブルの禍中にいる一郎君のところに行くのは気乗りしなかったが、再び階下に駆け下りるとガレージでヘルメットを引っ掴かみ、予備のヘルメットをバイクのフックに着けたまま自分のバイクにまたがった。
バイクに乗ったところで所要時間は電車でと変わらないかもしれないが、駅まで悠長に歩いて行く時間が惜しかったのだ。
GSX400Sはセル一発で始動し、僕はゆっくりとガレージを出て、取り敢えず環状七号線を目指した。
環状七号線経由で国道246号線を通るルートは、カフェ青葉でアルバイトをしている大学の後輩の木綿さんの自宅に出かける時と同じ道をたどる。
僕は環状七号線に入ると、スロットルを開いて加速し、ガソリンタンクの下にあるエンジンのカムチェーンの駆動音もひときわ高くなる。
目的地に近くなり国道を外れる時に、土地勘がないためにもたついたが、僕は20分かそこらで溝の口駅周辺に到着していた。
待ち合わせ場所に着くと、僕を認めた一郎君が駆け寄ってくる。
「内村さん来てくれたのですね」
「呼ばれたらからには来るよ。彼女は何処に連れていかれたんだ?」
僕はタンデムシートに乗るように示しながら、フックに着けたまま持ってきた予備のヘルメットを一郎君に放り投げた。
「この近くに墓地が整備された丘があるのですが、そこに連れていかれたみたいなのです」
僕は一郎君に道順を聞いてから彼をバイクに乗せてその丘を目指したが、そこまではわずかな距離だった。
徒歩で下級生をいたぶりながら歩いて行くのにちょうどいい距離かもしれない。
そして到着した先は人目がすくない墓地の中という訳だ。
小高い丘にある墓地の中を抜ける道を流しながら僕は周囲を見回した。
墓地と言っても公園のようにきれいに整備されており、見晴らしのいい気持のいい場所だ。
やがて僕は、墓地の木の陰に数人の人影があるのを認めた。
僕は静かに近寄ることなど考えず、GSX400Sを人影の真横に着けてエンジンを止めた。
そこでは霧島未来さんを女子中学生数人と十代後半に見える若い男一人が取り囲んでおり、既にエンジン音に気がついて皆がこちらを見ている。
タンデムシートから飛び降りた一郎君はヘルメットをかなぐり捨てるようにして人の輪の中心に飛び込んだ。
「未来さん、大丈夫か」
彼女は、引っ張りまわされたためか、来ていたシャツの袖が破れ、口の端から血がにじんでおり、あまり大丈夫そうには見えない雰囲気だ。
未来さんに何か話していた男性は、不機嫌な雰囲気で一郎君に言う。
「何だお前は、今から彼女に自撮りでいい写真を取ってもらおうと思っていたところだ。邪魔をするんじゃねえよ」
彼の話ぶりからすると、何か問題になったときに彼女が自分が撮った写真を送ってきたのだとか逃げ口上を用意していそうだ。
僕が微妙にむかついて彼を問いただそうとした時、一郎君がその男にとびかかっていた。
「畜生、そんなことは許さないぞ」
一郎君はこぶしを握ってポコポコと男性に殴りかかるが、男性は至近距離から自分の膝を一郎君の腹にめり込ませていた。
大きな怪我は追わせないが、相手には確実にダメージを与えるやりかただ。
一郎君がお腹を押さえて俯いたところで、男は一郎君のシャツの襟をつかんで引き起こした。
さらに痛めつけようとする意図が見て取れたので僕は男の前髪を掴んで引っ張り上げていた。
「いててて、この野郎!俺の髪の毛に触るんじゃねえ」
彼の頭は頭頂部が少し薄くなりかけていたので気にしていたらしい。
僕は構わずに彼の前髪を引っ張って一郎君から引き離すと、うんざりした気分で彼に告げた。
「それ以上手出ししたら警察に突き出して傷害罪で起訴する」
「てめえ、その手を離せと言っているだろう」
男はパシッと言う音と共に鈍く光る刃物を右手に握っていた、飛び出しナイフの類のようだ。
わが身に危険が及ぶ状況だったが、僕の目にはそのナイフはおもちゃのようにしか見えなかった。
刃渡り10㎝足らずのなまくらな刃物で何をするつもりなのかと考えるうちに、僕は自分が戦国時代の剣豪の記憶を共有した経験があるため、当時の武士の考え方に影響を受けていることに気が付いた。
当時の武士は、刃渡りが七十センチメートルから長いものでは一メートル近くに及ぶ日本刀を鍛えぬいた体で力の限り振り回していたのだ。
日本刀の刃は実践に使われる刃物としては屈指の切れ味を示し、第二次世界大戦後に日本を占領したアメリカ軍は市中に日本刀が多数存在することを恐れて日本刀を狩り集めたほどだ。
「ぶっ殺してやる」
男はナイフを片手にすごんだが、僕はヒョイと手を伸ばすとナイフを持った男の手を逆手を掴んでねじり上げた。
「いてててて」
男は大仰に痛がりながらナイフを落としたが、僕はふともう片方の手を見て、男の前髪がこんもりとしたボリュームで手の中に残っていることに気が付いた。
ナイフを取り上げようと、早い動きをした時に力が入ってごっそりと引き抜いてしまったようだ。
ちょっとまずかったかなと僕が考えている時僕の目の前で何かが閃光のようにひらめいた。
未来さんが僕と男の間に走り出ると、スカートを翻しながら回し蹴りを放ったのだ。
彼女の蹴りは男の顎をとらえ、なぎ倒された男は昏倒した。
未来さんを取り囲んでいた上級生の女子たちは、化け物を見るような眼で僕たちを見ていたが、未来さんが視線を向けた瞬間に蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
未来さんは逃げ去る上級生の後姿を冷たい目で眺めていたが、やがて膝蹴りを受けて苦しんでいる一郎君に近付いた。
「一郎君、またこんな目に遭って。あなたはどうしていつも私に関わりたがるの?」
未来さんは一郎君の頭にそっと手を置いて呟いた。
「またこんな目にとはどういうことなんだ?君と一郎君はろくに口をきいたこともなかったのではないのか?」
僕は、訳が分からないままに未来さんに尋ねた。
一郎君は先日彼女の自宅を訪ねるまでは一年間に数えるほどしか口をきいたことがなかったと言っていたのに、彼女の口ぶりでは一郎君と彼女の間に何か深いかかわりがあったように聞こえたからだ。
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