第340話 貧乏神年代記

楓は伯母の言葉を聞いて、両親や弟の亡骸がある部屋にはなるべく近寄らないようにしていたが、「ころり」の感染を防ぐにはすでに手遅れだった。

病魔は楓を見逃すことはせず、数日後に楓は両親や弟を襲ったのと同じ病に倒れた。

激しい下痢に見舞われた楓はたちどころに体力を奪われて動けなくなった。

数日間は、伯母が呼ぶ声が響いていたがやがて伯母も来なくなり辺りは静かになった。

そして楓は自分が死んだことに気が付いた。

伝染病が理不尽に一族の命を奪い去った後、空虚な家には風が吹き抜けていくだけだ。

不思議なことに、先に死んだ両親や弟の幽霊と会うことは出来ず、楓は自分一人だけが一家全滅した家に取り残されていることに気が付いていた。

さらに日が過ぎたある日、村人たちが集まると村はずれにある楓の家と隣家の二件の家に火を放った。

隣家の葬儀を出したばかりに、楓の一家が巻き込まれたことを教訓として村の人々は家の中の亡骸ごと家を焼き払うことにしたのだ。

村人は焼け跡に残った骨を集めて小さな塚を作った。

そして、そこに来て両手を合わせる村人が引きもきらなかった。

どうやら、一人で生き延びていた楓を実質見殺しにしたことを不憫に思う村人が楓を神として祭り始めたようだ。

村人の想いが自分を引き留めて神のごとき存在に変えてしまったのだと楓は悟った。

塚に来る村人の中で最も足しげく来たのは楓の伯母だ。伯母は楓を最後まで見守っていただけに心を痛めているようだった。

楓は伯母をはじめとして自分のために祈る人々にお礼代わりにいいことが有るように祈ることにした。

すると、人々には実際に小さな幸運が訪れるようだった。ちょっとした願いがかなったと、再びお礼にくる人々が増えたのだ。

やがて月日は流れ、楓の塚はいつしか近郷の名所となっていた。楓が気前よくばらまく小さな幸運がいつしか賭博を生業とする人々に好評となったためだ。

そんなある日、楓の住んでいた村は大きな地震に見舞われ、地震の後に襲来した津波は村のあらかたを押し流した。

高台に避難して生き永らえた村人は多かったが、地盤沈下によって大半の農地が海面下に没したため村の再建は早々に諦められた。

村人は新たな生業を求めて散っていき、楓の塚は高台にあったため津波の土砂に埋もれながらも海面より上に残り、何時しか森に包まれて行った。

そして十数年後、かつてそこを訪れて、幸運に恵まれたことがある博徒が記憶を頼りに楓の塚を探しあてた。

賭博の結果が自身に有利に働くように一心に祈る博徒を見ているうちに、楓は退屈しのぎにその博徒に寄付くと一緒に旅に出ることにした。

博徒は一時の間、楓のもたらす幸運で勝ち続けたが、天から降ってくる幸運に頼りすぎたために結局身を滅ぼした。

楓は依り代となる相手を時折変えて世の中を渡っていたが、そのうちに、自分が貧乏神と呼ばれていることに気が付く。

楓が行動を共にした明治の時代に財をなした男は世界恐慌ですべてを失いピストル銃で自殺した。

戦後の経済成長期に一財産作った男は、バブル経済の崩壊であえなく破産し、楓が次の依り代に選んだ男もリーマンショックで同じように破産の憂き目を見ていた。

それは楓の責任ではなく、楓の信徒に依存心の強いものが多く、彼らが自ら身を滅ぼしていっただけの話だが、楓にしてみれば心中は複雑だ。

神として経験を積むことにより楓は大人の姿に成長したが、信者たちに粗忽なものが多いためか楓の行動は落ち着きがない。

貧乏神と呼ばれる故に時として楓をあたかも邪霊のごとく祓おうとする輩も現れるが、そんな時楓は祟りを下して、皮膚に染みを作ってやることにした。

目に見える祟りに、不逞な輩は恐れをなして逃げ去るのが常だった。

楓の祟りでできた皮膚の染みは見た目ほどのことはなく、しばらくすれば消えるのだが、歯向ってきた人々が恐れおののく様はちょっとした見ものだった。

楓は時に自分はこれからどこに行くのだろうかと自問するが、答えてくれる者はいない。

目の前にはいつの時代にも変わらない人の営みが繰り広げられているだけだった

貧乏神の長い物語が終わった時、僕は自分の手がお箸をテーブルの箸置きに置いたことに気が付いた。

テーブルに並べられていたみそ料理は綺麗に平らげられており、どう見てもそれは僕が食べ終えたところに見える。

しかし、それを食べた記憶は全く残っておらず、僕を乗っ取った貧乏神がその感覚を堪能したのだと気が付いた。

「ウッチーさんが戻られたようですわ。それでは仕上げに入りましょう。」

美咲嬢が宣言すると、山葉さんが尋ねるのが聞こえる。

「仕上げとは何をするのだ」

「今度は私が「焼きみそ」を作って差し上げます。黒崎と一緒に調べた方法ですの」

美咲嬢は機嫌よく厨房で「焼きみそ」作りを始めた。

彼女は田島シェフに借りたフライパンに、厚く味噌を塗りつけておせんべいのような形状に焼き上げようとしていた。

厨房にはみそが焦げる香ばしい香りが流れる。

みそが焼き固まった頃に、美咲嬢はフライ返しを上手に使ってフライパンからはがし、焼きみそのプレートを完成させた。

「それをどうするのですか」

僕は美咲嬢に尋ねた。

美咲嬢が答える前に、厨房の中を落ち着きなく動き回っていた貧乏神は焼きみその香りに引き寄せられているのが見て取れる。

焼きみそに接近した貧乏神は焼きみそに吸い込まれるように姿を消した。

僕たちが固唾をのんで見守っているのを尻目に、美咲嬢はプレート状の焼きみそを手に取ると、無造作に折りたたんだ。

「これで、貧乏神を閉じ込めることが出来ました。後は家の裏口から持ち出して折敷に乗せて川に流せばよいのです」

僕は二つ折りにした焼きみそに貧乏神が閉じ込められているなど、信じられなかったが貧乏神の姿は見えなくなったままだ。

「わかった。和紙で作った折敷を用意するから、それに乗せて川に流してしまおう」

山葉さんは、美咲嬢の教える作法を理解して早速行動に移ろうとしており、美咲嬢は満足げにうなずいた。

「善は急げですわ。どうせ仕事もさぼって貧乏神様に料理を作っていたくらいですから今すぐに行かれるのが上策。ウッチー様は神様の馬役お疲れさまでした」

僕は美咲嬢の言葉に嫌な響きを感じて祥さんに尋ねた。

「僕は、あれに乗り移られてからの記憶が飛んでいるのだけど、何をしていたのか教えてくれ」

祥さんは一瞬躊躇したが、仕方がないという表情で僕に告げる。

「ものすごく卑しい雰囲気でがつがつと食べていました。私が見てもその行為をしているのがウッチーさんではないことがよくわかりました」

僕は話を聞いてうんざりしたが、今更どうすることもできない。

結局、山葉さんが用意した紙の敷折に貧乏神を挟み込んだ焼きみそを乗せ、川に出かけることになった。

美咲嬢と黒崎氏は安心したような笑顔を見せて帰っていき、僕と山葉さんはガレージのWRX-STIに乗って最寄りの川に向かうことになった。

顛末を見届けようと、小西さんと田島シェフ、そして祥さんも後部座席に乗り込んだためWRX-STIは密な空間となってしまう。

山葉さんがステアリングを握ったWRX-STIは俊敏な動きで島北沢界隈の住宅地を抜け、環状七号線経由で首都高速に乗った。

僕は、貧乏神に体を乗っ取られている間に垣間見た貧乏神の出自の話をみんなに伝えることにした。

「実は、貧乏神が取り憑いてお供えを食べている間、僕は彼女が貧乏神になった経緯を垣間見ていたのです」

山葉さんはWRX-STIを運転しながら、僕に問い返した。

「それは興味深いな。是非話してくれ」

僕は彼女が貧乏神になった顛末から現在に至るまでをかいつまんで話した。

WRX-STIに同乗していた皆は一様に黙っていたが、やがて祥さんが口を開いた。

「そんな可哀そうな成り行きがあったのですね。このまま流してしまうなんて可哀そうな気がします」

祥さんは涙ぐんでいるように見える。

しかし、山葉さんはクールな口調で彼女の意見を否定する。

「駄目だ、あれは能力が強すぎる。美咲嬢が来てくれなかったら私たちはあれの意のままに操られていたのだ。封じ込めることに成功したからにはこのままお別れしないと私達自身が破滅する」

山葉さんは危機感を感じている様子で、僕も彼女に同感だった。

祥さんは、目に涙を浮かべたまま僕たちの意見に同意した。

山葉さんは、有無を言わせない勢いで首都高速を走り、あっという間に隅田川の川辺に到着していた。

「首都高速も交通量が減っているのですね」

僕が場違いな感想を口にすると、山葉さんが貧乏神入りの焼きみそを持った僕を急き立てる。

「そんなこと言っている暇があるなら早くそれを川に流すのだ」

彼女は、自分が貧乏神の掌上で踊らされていた自覚があり少なからず面白くない様子だ。

僕たちは、川べりに係留された屋形船の間から貧乏神を乗せた敷折を水面に押し出した。

風に流されて川の中ほどまで到達した貧乏外入りの焼きみそを乗せた敷折はやがて引き潮の流れに乗って下流へと流れていく。

僕たちは無言で貧乏神に別れを告げていた。

僕たちが引き上げようとした時、最後まで貧乏神の行方を見届けていた祥さんが声を上げた。

「誰かがあれを拾い上げようとしています」

僕たちが慌てて隅田川の下流方向を見ると、わざわざ川の流れに入って貧乏神を挟み込んだ焼きみそを乗せた敷折を拾い上げようとする人が見えた。

「なぜあんなものを拾おうとするのだろう」

僕がつぶやくと、山葉さんは静かに言う

「きっと、いいものが流れてきたように感じたのだろう。貧乏神はそうして人々の間を受け継がれてきたのだな」

川に入って貧乏神入りの焼きみそを手にした男性は、川岸に上がると誰かにとがめられることを恐れるように駆け出して姿を消した。

僕は一瞬とはいえ思考を共有した貧乏神のことを思って黙とうした。いつか彼女が幸せを運ぶ神になればよいとひそかに願ったのだ。

山葉さんは川岸に係留された屋形船の群れを見ながらつぶやいた。

「私は一度これに乗って、揚げたての天ぷらを食しながらビールを飲みたいと思っていたのだ」

僕は彼女のささやかな願いが可愛らしく思えて口元がほころぶのを感じる。

「もうすぐコロナウイルスの感染症もおさまって、舟遊びもできるようになりますよ」

僕が答えるのと同時に、祥さんもうなずくのが見えた。

隅田川の川面には爽やかな風が流れ、空は青く澄んでいる。

僕たちは丸一日仕事をさぼってしまったことを自覚して、明日からは頑張ろうと思いながら隅田川の川辺を後にした。

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