第339話 残された少女

お昼になると、僕たちは田島シェフと祥さんの料理の試食会を始めた。

「お米を食べて育った三元豚のロースとんかつに八丁味噌をベースにかつおだしと砂糖を加えて整えたソースをたっぷりと使ったみそとんかつです」

「油通しした米ナスに八丁味噌ベースのみそだれを塗って、オーブンで焼き上げたナスの田楽です」

田島シェフと祥さんはそれぞれに力作メニューを紹介し、二人の作った料理はすごく美味しそうだった。

居合わせたスタッフとに試食を始めようとしたときに、厨房の入り口のドアが開き、裕子さんが心配そうな表情でのぞき込むのが見えた。

「あら、お母さんどうしたの」

山葉さんが問いかけると、裕子さんは早口に山葉さんに説明する。

「どうしたのじゃないわ。七瀬美咲さんという方が、山葉や亨さんに何度電話してもつながらないので心配して訪ねてくださったのよ」

裕子さんの後ろに美咲嬢と黒崎さんの姿が見える。

美咲嬢は厨房の中まで進み出ると、事情を話し始めた。

「黒崎がお昼の買い出しに出たところ、あなた方のお店が予告もなく閉店していたというのです。心配になって電話をしても、出ていただけないので直接窺ったところですわ」

いつもは寡黙な黒崎氏も口をはさむ

「昨日、貧乏神があなたたちに付いて行ったのではないかと懸念していたのですが、心配した通りでした」

二人の口ぶりは僕たちが貧乏神の禍中にいることを示している。

「大丈夫ですよ。あれは確かにいますけど、影響はないみたいですから」

僕の答えを聞いた美咲嬢は両手を大きく広げると自分の正面でゆっくりと打ち合わせた。

パシーンと言う鋭い音が響き僕たちは一瞬身をすくめる。

「肉球でよくそんな音が出せるものだね」

山葉さんがつぶやくと、美咲嬢は平然とした表情で答える。

「化身しているからちゃんと手のひらがあります。それよりも、あなた方の身体のシミがずいぶん広がっていることにお気づきにならならいのかしら」

僕は美咲嬢の言葉で昨日貧乏神に掴まれて赤黒い痣が出来たことを思い出した。

シャツの腕をまくると二の腕の赤黒い痣はひじの辺りまで広がっており、襟元から胸元にできた小さな痣を覗くと胸から腹にかけて大きく広がりつつあるのがわかる。

「私の腕にも痣が」

山葉さんの両手も赤黒く着色しているのが見えた。彼女は貧乏神に直接触れていないが、僕の腕をつかんだために間接的にうつってしまったらしい。

「やはり、貧乏神の呪いを貰ってしまったようですね。私の知る貧乏神除けの方法を教えますから、それを試してください」

僕は茫然と自分の腕を見ていたが、黒崎氏は僕たちが試食しようとしていた料理を見てつぶやいた。

「みそを使った料理ですね、貧乏神はみそが大好物なのですよ」

昨日からカフェ青葉がみそ料理づいていたことを思い出し、僕は寒い気分となる。

「私も霊や妖を祓うことならできるが、神様を追い出す方法は寡聞にして知らない。美咲さんが知っているならば教えて欲しいものだ」

山葉さんの要請を受けて、美咲嬢は僕の顔を見ながらつぶやいた。

「黒崎の言う通り、貧乏神はみそが好きだと言われています。そこにある二品にもう一品みそを使った料理を加えてお供えしてみましょう」

「それじゃあ、私が簡単なのを一品作りましょうか」

裕子さんは厨房に入ると、本当に手早く小鉢に入った料理を仕上げた。

僕の見た限りでは、裕子さんは出汁じゃこを包丁で刻んでみそと和え、ぶつ切りにしたキュウリに添えたようだ。

「お母さんそれを料理と言うのはどうかな」

山葉さんは難色を示したが、美咲嬢は微笑を浮かべる。

「あら、それで十分ですわ。ふつうはお供えするだけなのですが、今回はウッチー様がかなり「貰って」いるみたいですから、いっそのこと神様の依り代にして、この料理を食べていただきましょう」

僕は厨房の中ほどをそわそわと動き回っている貧乏神を見ながら絶句する。

美咲嬢は貧乏神を僕に取り憑かせて、意のままに僕の身体を使わせるつもりなのだ。

「ちょっと待って下さいよ。あんなのに体を乗っ取られたくないんですけど」

僕は美咲嬢に抗議したが、彼女は僕の抗議を聞き流して自分の思うままに準備を進めている。

「あら今更嫌がっても手遅れですわ。先ほどまでは皆さんで嬉々として貧乏神の好物料理を作られていたではありませんか」

僕は思い当たるだけに何も言い返せず、美咲嬢の手元を見つめる。

美咲嬢は黒崎氏と一緒に、貧乏神に捧げる御膳としてみそ料理を並べており、そのお膳を食べる人の席をセッティングすると僕を手招きする。

「神様が寄付く「馬」となるのは光栄なことなのですよ。」

美咲嬢は僕を宥めるが、それはあまり慰めにはなっていない。

僕は情けない気分で、自分に迫ってくる貧乏神を見つめるしかなかった。

そして、貧乏神が再び僕の二の腕を掴むと、僕の意識は吹き飛んでいた。

それまで自分がいたカフェ青葉の厨房から瞬間移動したように見知らぬ家の中にいることに気づき、僕は周囲を見回した。

足元には粗末な布団に横たわった男女の姿が見えるが、二人とも見る影もなくやつれており既に息絶えているのがわかる。

「お父、お母」

呼びかけても二人は動かなかった。二人とも「ころり」と呼ばれる流行り病に命を奪われたのだ。

事の発端は、数週間前に隣家が旅人を泊めた事だった。

隣家は僧侶を泊めることは功徳になるからと、旅の僧侶に宿を求められると快く泊めていたのだったが、その数日後に隣の一家は病魔に襲われた。

隣家の夫婦は激しい下痢のために見る間に衰弱して命を落とし、二人に身寄りがなかったことから、自分の両親が中心となって隣家の葬儀をすることになった。

しかし、葬儀が終わった翌日には弟が倒れ、その数日後には両親が相次で病に侵されていった。その時に至って村の人々は旅の僧侶がもたらしたのは、「ころり」と呼ばれる恐ろしい流行り病だと認識したのだった。

「楓、楓、聞こえるかい。ご飯を持ってきたよ」

村の中心部に住む伯母の声を聞いて家の縁側に行くと、そこにはお膳に乗せた食事が置いてあった。

縁側にはしめ縄が張ってあり、外には出るなと村の庄屋に言いつけられていた。

庄屋様は、村はずれの二件の家が相次いで「ころり」にやられたことから、その家を隔離することに決めたのだ。

一家でただ一人生き残った楓は、家から出ることを許されなかった。

「ころり」に感染している恐れが無くなるまでは家から出さず、伯母が食事を運ぶことが村で決められたのだ。

庭の端には伯母が佇みこちらを見ている。

「楓もう少しの辛抱だ。庄屋様のお許しが出たら私の家に来てええからな。お父とお母には絶対触らないようにしてじっとしているだぞ」

楓がうなずくのを見て伯母はそそくさと姿を消す。

伯母が持ってくる食事はお膳に載せられ、主食の他に菜もあり、みそもつけられている。

みそと言うのは楓にとっては贅沢な食品だ。水田の畔に植えた大豆を収穫し、みそに加工できるのは余裕があるときに限られている。

干ばつが続き、稲の実りが少ない年など、なけなしの大豆の収穫は飢えた家族の空腹を満たすために使われ、調味料としてもみそに加工されることはない。

みそと言うのは生活が豊かな時に作られるもので、それは楓の家族にまつわる楽しい記憶に繋がっていた。

楓は普段は食べたことがないようなお膳に乗せられた食事を食べると、お膳を縁側に戻した。

縁側から庭を見ると、同じ年の友達三人の顔が庭の植え込みの向こうに見える。

しかし、楓が声を掛けようとすると三人は人に出会った獣のように無言のまま逃げ去っていく。

楓は自分が今や生きている人とは見做されていないことを思い知らされていた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る