第336話 神々の能力
「彼女が貧乏神に取り憑かれたきっかけは何だったのでしょうね」
僕がつぶやくと、山葉さんも同じようなことを考えていたのか首をひねりながら答える。
「貧乏神は家付きの場合が多いが、その家が破滅に瀕すると見限って新しい家に移り住むという。どこかの家を滅ぼしかけて新しい獲物を探している貧乏神に目をつけられたか、あるいは彼女の実家にいたものを連れてきてしまったのか」
どちらにしても、いい話ではなさそうだ
「あの人はどんな職業についていたのですか」
僕は何か情報は無いかと思いツー子さんに尋ねた。
「彼女の名前は谷本真由美さん。都内のいわゆるキャバクラにお勤めでしたが現在は営業自粛を理由に解雇されて無職です。一緒に暮らしていた男性は自称パチプロで定職にはついていません」
「そんな男と暮らしていることが貧乏神に取り憑かれているという所以だな。彼女にしてみたらこれを機会にその男とは縁を切れば、運勢が良くなるのでは」
ツーコさんは肩をすくめながら答える。
「ご本人は肋骨骨折するほどの暴行を受けているのに、彼は都内のパチンコ店が営業自粛したせいでイライラしていたのだろうと擁護する始末で私には理解できません。それでも、もう一度同居するつもりはないとのことで、区の自立支援センターが住居確保の支援をしてあたらしい部屋に引っ越したところなのです」
どうやら、ドメスティックバイオレンスの発覚と同時に、彼女の運命は変わり始めているらしいが、貧乏神が取り憑いている限りは同じタイプの男性を拾ってしまう可能性は高い。
面談室では美咲嬢が真由美さんと面談を続けている。
「以前のお勤め先が再開するのを待つつもりだとお聞きしていますが、接待を含む飲食業は当面営業自粛の対象が続く可能性が高いですし、別の職種を探される気はないですか。それに同じ店に継続して勤務されると同居していた男性に帰宅時に待ち伏せされる可能性もありますよ」
「そうねえ。勤務していたお店の支配人もそのことを気にして別の店を紹介しようかと言ってくれているけど同じ業界だとなかなか営業再開しないかもしれないし、仕方がないからカフェなんかどうかしら。私の貯金を元手にしてカフェ経営でもしてみようかしら」
面談室から聞こえてくる声を聞いて山葉さんは、表情をこわばらせた。
「カフェ経営でもとはなんだ。簡単にできるみたいに言ってくれる」
「まあまあ、あれはキャバクラ以外の職業の例として言っているだけですから」
ツーコさんが苦笑しながら山葉さんを宥め、その間も美咲嬢は質問していた。
「同居していた方はパチプロということですが、毎日稼いでこられたのですか」
「ううん。そんな訳でも無くて、負けが込んだ時は私が食べさせていたの。でも、彼は勝手にパチンコの神様みたいな神棚を作って毎日お水を備えて拝んでいたから結構笑えたわ」
面談室の音声を聞いていた山葉さんがつぶやいた。
「それだ」
「それだというと、あの女性の姿をしているのはパチンコの神様なのですか」
僕は少し意外に思いながら、うろうろし続けている貧相な姿をした女性的な「神様」を眺める。
パチンコの神様ならばもう少し海の雰囲気で水着姿の女神とかを連想するからイメージが違うと思ったのだ。
「いやそういう訳ではなくて、八百万の神と言ってもさすがにパチンコの神様はいないと思うから、その祈りの受け手として貧乏神がやって来たのではないだろうか。貧乏神も神様の一柱であるから、祈りを捧げられたら多少は運勢を良くするかもしれないし」
山葉さんは、慌てて自分の考えを説明する。
「それでは、パチンコの神様をお祭りすることを止めたら、それに引き寄せられていた貧乏神さんもどこかにいってくれはるのですか。彼女は以前に住んでいた部屋は引き払ったから、パチンコの神様の祭壇も、もうなくなっているはずですよ」
ツーコさんはのんびりとした口調で時々関西弁も交えながら尋ねるが、山葉さんは腕組みをして考え込む。
「いや、祭ることを止めればどこかに行ってくれるわけではないと思う。それはあくまで貧乏神が彼女に取り憑くきっかけであって、現在彼女に取り憑いているのは、貧乏神としての存在理由を見出したからではないだろうか」
僕は見た目のために幽霊との違いを意識していなかったが、貧乏神はあくまで神様であり幽霊とは異なる存在らしい。
それゆえ、山葉さんもいつものように浄霊して祓ってしまうわけにはいかず、貧乏神に退去していただく方法を考えて悩んでいるのだ。
「沼さんがいれば、いつものようにキリスト教の悪魔払いの儀式を使って一撃で追い払ってしまうのではないでしょうか」
僕は、大学の後輩で、カフェのアルバイトにも来てくれる沼さんを思い出して呟いたが、山葉さんは慌てて首を振る。
「それは危険だ。彼女の儀式はシャープな効果があるが、神々に対してそれを用いればはじき返されて彼女自身が被害を被る可能性がある」
「神様に祟られるということは怖いことなのですね」
僕は事態の難しさを次第に理解し始めていた。
「でも、真由美さんはドメスティックバイオレンスに走った彼を見限って新しい人生を始めようとしているのですよ。私達も手伝って無事に引っ越しもできたし、これから貧乏から脱出するのではないですか」
ツーコさんは美咲嬢と共に、真由美さんの相談を受けている。
同居していた男性が拘留されているうちに住居を移すという短期決戦の支援活動も成功させているので、彼女の人生はこれから上向いて行くと信じて疑わない様子だ。
「ふむ、その通りなのだが」
山葉さんはツーコさんの問いに答えようとしていたが言葉を飲み込むようにして黙った。
僕は彼女の様子に気が付き、その視線の先を追っていて彼女と同じように同じように沈黙した。
真由美さんの後ろの辺りをうろうろしていた貧乏神は、いつの間にか僕たちのいる部屋と面談室を仕切るマジックミラーの前でこちらを見ているように佇んでいるのだ。
「どうしたんですか二人とも」
ツーコさんはキョトンとした表情で僕たちを見つめていた。
「なんということだ、あの貧乏神は私たちの存在に気づいてこちらに注意を向けている」
「え、そうなんですか」
霊視能力がないツーコさんは当然ながら貧乏神の動きは把握できないが、面談室にいる黒崎氏と美咲嬢は妖であるが故に、貧乏神の動きを把握しており、黒崎氏は気がかりそうな表情でこちらを見ているし、美咲嬢も真由美さんと面談しながらこちらの様子を窺っている。
「あれはマジックミラーなのに向こうからこちらが見えるのでしょうか?」
僕がつぶやくと、山葉さんが小声で答える。
「仮にも神様だから人間の視覚を超える能力を持っていても不思議はないね」
山葉さんは僕に答えた後、いざなぎ流の祭文を詠唱し始めた。
それは、いざなぎ流の式王子の中でも最も強力な「高田の王子」を召喚する祭文だった。
その間にも貧乏神はマジックミラーに詰め寄りこちらを睨んでいるように見える。
やがて「彼女」は右手を前に差し出した。
その右手は何の抵抗もなくマジックミラーを突き抜けると、僕たちがいる部屋の空間に突き出ていた。
「何?どうしたんですか」
空気を読むのに敏感なツーコさんは、山葉さんの様子を見て何かが起きつつあることを悟ったようだ。
「貧乏神がこちらの部屋に入ってこようとしている」
僕が説明すると、ツー子さんも息をのんだことがわかる。
その間にも貧乏神は面談室との間の壁やマジックミラーをゆらりと通過して、僕たちのいる部屋に全身を現していた。
やせぎすの体形にシルバーの髪、そして色あせた雰囲気のグレーの和服を着ている様子は高齢者のようだが、その顔立ちは若々しい。
しかし、その両目は何処かうつろな雰囲気で僕たちを見つめている。
山葉さんは早口に祭文を唱えているが、僕はそのままでは間に合わないことに気が付いていた。
山葉さんが祭文を唱え終わり、式王子の「高田の王子」を召喚する前に貧乏神は僕たちの前に到達する。
貧乏神はその姿をゆらりと動かすと、さらに僕たちとの間合いを詰めていた。
「く、来るな」
山葉さんは何時になく恐慌に捉われて、バッグから榊の枝を取り出すと自分の前にかざして振る。
しかし、貧乏神は両手を前に挙げてさらに僕たちとの合間を詰めていた。
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