第335話 無駄な動きが多い神様

カフェ青葉の外に出でると、店の前に作られた花壇には真紅のバラが咲き乱れていた。

以前木綿さんの弟がバラの妖精に連れ去られた時、山葉さんがどうにか連れ戻すことに成功したが、その時に、雑草に埋もれて枯れそうになっていたバラの株を移植したのが、いつの間にか花壇一面に増殖したのだ。

「血のような赤い花びらの綺麗なバラですね、こうしてきれいに育てるには水をあげるだけでも細心の注意が必要なはず」

ツーコさんが花壇の出来栄えをほめるが、山葉さんはどや顔で彼女に答える。

「これは、点滴チューブとタイマーを組み合わせた自動灌水システムのおかげなのだ。タイマーで設定した時間だけ電磁弁が開き、小さな穴が開いたチューブから水がしたたり落ちる仕掛けだ」

山葉さんは時として、DIYに没頭することが有り、花壇の自動灌水システムは実用に供することが出来る成功作と言える。

山葉さんはバラの葉の上にそっと手を触れると言った。

「行ってきますバラさん」

花壇のバラが返事をしなかったことは、言うまでもない。

僕たちはそれぞれがキーマカレーのランチパックを持ち、美咲嬢の自宅兼オフィスに向かった。

5月上旬の日差しは夏を思わせる強さで、空は青く澄み切っている。

僕は初夏の日差しに含まれる紫外線がコロナウイルスを一掃してくれればいいのにと思いながら、下北沢の街を歩く。

七瀬カウンセリングセンターのオフィスには十分ほどで到着し、美咲嬢が僕たちを迎えた。

「来客の内村夫妻も気を効かせて同じランチを持ってきたのならば、皆で一緒に食卓を囲むようにしませんこと?」

美咲嬢が提案するが、ツーコさんは遠慮がちだが断固とした雰囲気で美咲嬢に告げた。

「美咲先生それは駄目です。食事中は密にならないように間隔を取らなければならないし、食事をとりながら歓談することはコロナウイルスの感染防止の観点からはNGだそうです」

美咲嬢は僕達の顔を見回すと仕方なさそうに言う。

「仕方ありませんわね。ダイニングではなく、オフィスの机を使ってお一人様風に食べることにいたしましょう」

美咲嬢の提案に従い、僕たちは美咲嬢のオフィスの椅子に座り、互いに背を向けてキーマカレーを食べる羽目になった。

僕はこんな感染対策をしなくても済むようにコロナウイルスによる感染の早期終息を祈った。

食事を終えると美咲嬢は僕たちを、面談室に隣接した部屋に案内した。

「ここは面談室の様子を相手には気取られないように観察するために作った部屋ですの。今日おいでいただいた目的である貧乏神を観察するためにはぴったりの設備ですわ」

美咲嬢は、面談室と僕たちがいる部屋の間にはマジックミラーを設置している。

面談室の内部が十分に明るければ、僕たちが覗いているガラスは反対側からは鏡にしか見えず、面談室にいる人から姿を見られずに相手の様子を観察できるという訳だった。

「あと十分ほどで、問題のクライアントとそれに取り憑いた貧乏神が現れるはずですので、この部屋で待機をお願いしますわ」

美咲嬢は僕たちに告げると、黒崎氏と一緒に来客対応のために別室へと出ていった。

残された僕と山葉さん、そしてツーコさんは面談室にターゲットが現れるのをじっと待った。

数分後、面談室に美咲嬢と黒崎氏が二十台半ばに見える女性を連れて現れ、クライアントである女性に座るように勧めた。

しかし、よく見ると美咲嬢と黒崎氏が座った席と、クライアントの女性の間には透明な樹脂製のシートが垂れ下がっており、飛沫感染を防止する体制を整えている。

「美咲嬢と黒崎氏は妖だからコロナウイルスなんかに感染することは無いのではないかな」

僕が思ったことを口にすると、ツーコさんは首を振って否定した。

「欧米では飼い主がコロナウイルスに感染した時に、ペットの猫や犬がPCRによるウイルス遺伝子の検査の結果、陽性を示した事例があるようです。ありのままに言うと、美咲先生も黒崎さんもウイルスのことを半端なく怖がっているようです。」

僕はツーコさんの説明を聞いて意外だった。美咲嬢と黒崎氏にはおおよそ苦手というものが存在しないと思っていたからだ。

「あの二人に怖いものがあるなんて」

「いいえ、長く生きていればいるほど未知の病気に対する恐怖心は募るものです。先程の食事にしても、美咲先生がコロナウイルスの感染防止策を真剣に考えて居なかったら、普通にテーブルを囲んでいたでしょうね」

ツーコさんが断言するものの、僕は美咲嬢たちの死生観が理解できなかった。

そのうちに、山葉さんが眉間にしわを寄せて面談室の中を見つめはじめた。そのしぐさは、彼女が霊視をしていることを示している。

「何か見えるのですか」

僕が尋ねると、山葉さんは女性が座っている後方の何もない空間を指さした。

「その辺を何かがうろうろしている。すごく落ちつきがない動き方だ」

僕は彼女が指さす空間のあたりに目を凝らした。

すると、最初は空間の揺らぎのように何かシルエットが見えるような気がしたが、やがてそれは、少しづつ濃淡を増して、半透明な人の姿に見えてくる。

それは一見すると女性に見えた。

白い髪にやせぎすな体形、そして色あせたグレーの浴衣のようなものを着ている。

その女性の姿は山葉さんが言うように、一か所にとどまっておらず常に落ち着きなく動き回っていた。

「本当に落ち着きがありませんね。部屋の中央部をぐるぐる回っているかと思えば、隅の方に行ってまた戻ってくる」

「動きそのものが貧乏くさい感じがするよね」

僕と山葉さんが口々に貧乏神の落ち着きのなさをけなしていると、ツーコさんがぼやいた。

「どうして二人ともそんなにはっきり見ることが出来るのですか。私には何も見えていませんよ」

僕はため息をつきながら彼女に言う。

「見たくないけど見えるというのは時に逃げ出したくなるくらい嫌なのだけれど、自分ではどうすることもできないんだ」

「そうか、ウッチーさんは幽霊や妖を見ることが嫌いなのですね」

僕はゆっくりとうなずいて見せる。

同じ霊視でも、僕のケースと山葉さんの見方は異なっていて、おそらく僕が見ているものが写真的でよりリアルな霊視のように思え、そのような能力を与えた神を恨みたくなるくらいだった。

やがて、面談室に案内された女性は美咲嬢に促されて自分の話を始めた。

「彼と知り合ったのは都内のパチンコ店だったの。私が連ちゃんで当たって、玉手箱をいくつか置いているときに彼が話しかけてきたの」

面談室には音声をピックアップする仕掛けがあるらしく、女性の声はクリアに聞こえてくる。

「その殿方は、どのような声の掛け方をしたのですか」

「それはすごく普通よ。当たってるねって言われたら悪い気がする人はあまりいないでしょ」

女性が答える間も貧乏神は面談室の中を動き回ることを止めようとはしない。そして、時折その眼がマジックミラー越しにこちらを見ているような気がして僕はゾッとする。

ドメスティックバイオレンス被害者の女性はなぜか加害者の男性と初めて会った時のことを楽しそうに語り始め、被害の状況を話し始めるまでには相当に時間が掛かりそうだ。

僕はマジックミラー越しに目が合ってしまう貧乏神に辟易しながらも、女性と貧乏神の接点は何だろうか考えていた。

たとえ神様の一種と言えども、人に取り憑くには足がかりとなる何かがないと憑依も難しいに違いない。

僕や山葉さんはそれを電波になぞらえて、波長が合うとか周波数が近いとか言っているのだ。

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