第321話 アマビエの正体

「駅の近辺だけでも歩いてみませんか」

このまま帰るのも芸がないと思ったのか、祥さんが僕たちの先に立って歩き始めた。

「さっきのアマビエもこの方向に歩いて行ったのですよね」

小石さんが祥さんを追いかけながら尋ねる。

「ええ、私が見たときは確かにこちらの方向に歩いていました」

小西さんが祥さんと並んで歩き始め、僕は二人の後に続いた。

公園に沿った道路は、人通りもほとんどなく、若い女性一人とすれ違った後は無人の細い道が薄暗い中を続いている。

道路横の針葉樹の並木の向こうに井の頭公園の森が続き、道路の反対側は静かな住宅街といった雰囲気だ。

「この公園は何故閉鎖されているのでしょうね」

祥さんが尋ねるが、東京に出て来たばかりの小西さんが知るはずもなく、僕が代わりに答えた。

「井の頭公園はお花見の名所として有名だから、新型肺炎の感染防止対策として閉鎖されたんだよ」

僕の言葉を聞いて小西さんは、薄暗い公園の森を見回して言う。

「桜なんてどこにも見えませんよ」

「広い公園だから、この辺りにはないだけだよ。もっと北の方に売店とかがあり、池の水面に枝を伸ばした桜が結構有名だよ」

僕が公園の説明をすると祥さんが話を付け足す。

「井の頭公園のボートに一緒に乗ったカップルは必ず別れるという都市伝説があるのですよね」

僕は微笑して祥さんにうなずいて見せた。

僕が所属する研究室の雑談の中で、名勝地のボートに乗ったカップルが破局する都市伝説は全国各地に存在する話を聞いているが、その起源についてはいまだに謎に包まれている。

道路から見える公園内には公衆トイレがあり、道路はやがて車両止めで遮られその先は公園内に続いていた。

「私たちが見たアマビエは公園の中に入っていったのでしょうか」

「見たところ道路に沿って直進しなくても並木道の間から公園内に入ることは容易だ。アマビエの姿が消えたのは公園内に消えたと思っていいかもしれない。そうでなければ、」

僕は駅近くの公園内にある公衆トイレを見た。

「あのトイレでアマビエの着ぐるみもしくはコスプレ衣装を脱ぎ捨てて駅に戻ったのかもしれない」

「そういえば、女の人とすれ違いましたね」

祥さんは公衆トイレがある公園の敷地に足を踏み入れたが、何かに気が付いた様子で足を止めた。

祥さんが何かを拾い上げたので僕と小西さんは、彼女の手元を覗き込んだ。

彼女の手の中には円形の板状で光を反射する物体がのせられている。

「これはスパンコールみたいですね。こっちの端に穴が開いているのがわかりますか」

祥さんが説明しながらスパンコールを手渡すので僕は何の気なしにそれを受け取ったが、スパンコールのひとかけらが僕の手のひらに収まるのと同時に、僕の意識に誰のものかわからない記憶が侵入するのがわかった。

これまでにも、僕は物に染み付いた他人の強い思念を読み取った経験が有るが、今回もスパンコール、ひいてはアマビエのコスプレにまつわる思いを読み取ってしまったに違いない。

侵入した他者の記憶は僕の頭の中で展開され、僕はその記憶を追体験することを余儀なくされた。

記憶の中で僕は近親者の葬儀に参列している最中だった。

「お父さんが死んだのは私のせいよね」

涙で曇った目で棺に納められた父に語り掛けていると、母が諫めるように言う。

「妙子、今の状況では外食したりコンビニで買い物しただけでも感染する可能性があるのだから、そんなふうに自分を責めては駄目よ」

「やめて、私が趣味のコスプレイベントに参加した時に感染したのははっきりしているのに、そんなことを言われても気休めにもならないわ」

母に苛立ちをぶつけてもそれは八つ当たりでしかないが、自責の念をどうすることもできない。

父の葬儀は病院関係者の指導で家族だけが参列してひっそりと執り行われ、そのことも父に申し訳ないと自分を責める要因の一つになっていた。

新型肺炎に感染した父は重症化してあっけなく亡くなったのに、感染源となった自分はさほど体調をこじらせることもなく回復してしまい、自分が悪者のような気がしてならない。

父の葬儀の後、回復した自分は経過観察が終わっって外出してもよいと言われたが、勤務していたレストランはどうにも居辛くなって退職してしまった。

新たに仕事を探そうにも、世間は外出自粛要請が取りざたされ、どこの会社も新たに人を雇うどころの話ではなかった。

そんな時に、ネットで見かけたのがアマビエのイラストだった。

どこか不気味なそのイラストは、人の目を引き付ける力があるように感じられる。

疫病が発生した時に自分の写し絵を広めよと告げたという妖怪アマビエが都内に出没したら、話題となって人々の感染防止への意識が高まるのではないだろうかと考えて、アマビエのコスプレ衣装を作り始めるまでに時間はかからなかった。

都内の人間の習性として、目を引くコスプレをした人間が目の前を通ったとしても遠巻きにして見るだけで、呼び止めたりするものはまずいない。

かつての自分がそうであったように、新型肺炎への感染リスクを軽視して夜の繁華街で飲食したりイベントに参加している人たちに警鐘を鳴らしたかったのだ。

コスプレ衣装が出来上がると、私はアマビエのコスプレで電車の車内や、街頭に出没する行為を繰り返すようになった。

僕は流れ込んだ記憶を追体験しながら受け取ったスパンコールを取り落としていたようだ。

小西さんはひらひらと落ちていくスパンコールを受け止めると早口に言う。

「アマビエの動画で鱗のように見えていたのはこれかもしれませんね。結局あの動画の元ネタはコスプレの類だったのですね」

「そうだとすると、さっきすれ違った女の人がコスプレしていたのかもしれないわね」

祥さんは小西さんと話しながら、僕が茫然としていることに気が付いたようだった。

「ウッチーさん、顔色が悪いけど大丈夫ですか」

「大丈夫だけ、今そのスパンコールを使ったアマビエの衣装を作った人の思念に触れていたんだ」

小西さんは首をかしげて怪訝な表情を浮かべる。

「ウッチーさんはサイコメトラー能力があるのよ。執着とか恨みのような強い思念を持った人が触れた物体にはその思念が染みついていて、ウッチーさんはそれを読み取ることが出来るの」

祥さんが説明すると、小西さんは懐疑的な表情で僕の顔を見た。

「妖怪のコスプレする人って何を考えているんですか」

小西さんはアマビエは本物の妖怪ではないかと考えていたらしく、コスプレと判明して微妙に気落ちしている気配だ。

「彼女はイベントに参加して新型肺炎に感染してその後回復したが、家族に感染が広がりお父さんが亡くなっている。アマビエのコスプレをするのは、感染がこれ以上広がらないように無関心な人たちに啓発する意図があるようだ」

小西さんと祥さんは顔を居合わせて沈黙したが、やがて祥さんが口を開いた。

「ここで女の人とすれ違ってからそんなに時間は経過していません。急いで駅に行けばまだホームにいるかもしれませんよ」

祥さんの提案で僕たちは、駅に戻ることになった。

アマビエの正体を突き止めたとしても、何も得るところはないかもしれないが、話をして彼女の行為に賛同するとか、お父さんを亡くされたことを慰めるとかできる気がしたのだ。

井の頭公園駅のホームは人影もまばらで、先ほどすれ違った女性はすぐに見つかり、その女性は、駅のホームにあるベンチにぐったりとした様子で腰かけていた。

具合が悪そうなことは、他人に話しかけるにはかえって都合がよかった。

「大丈夫ですか?体調がよくないように見えますけど」

祥さんが先頭に立って呼びかけると、女性はマスク越しのくぐもった声で僕たちに告げた。

「あまり近寄らないで。私は新型肺炎を発症しているかもしれません」

祥さんはその言葉の意味を理解すると一二歩後退した。

僕は先ほど読み取った思念の中で、彼女は一度感染して回復していたはずなのにと訝しく思っていた。

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