第320話 二つのアマビエ

「ウッチーさん早く行きましょうよ。小西君はもう来ているはずですよ」

足早に歩く祥さんに引っ張られるようにして僕は下北沢駅に向かっていた。

小西さんがアマビエの出没する駅を確定したというので僕はあまり気のりがしないままに出かけることにしたのだが、祥さんがアマビエを見られるかもしれないと同行を申し出たのだ。

「そんなに慌てなくても大丈夫だよ。小西君がアマビエを捕まえた訳でもないのだし」

「そういう問題ではありませんよ。人の行き来が多い場所で待たせては気の毒だから早く行きましょう。それに、私は建物から出るのは十日ぶりだからちょっと気分がいいのです」

彼女は山葉さんが産婦人科医院に入院している時から外出していなかったらしい。

僕の場合は、食材の買い出しに出たりするので多少は外出もしていたし、田島シェフは通勤しているので、巣ごもり期間が最も長いのは祥さんだったのだ。

「今年は桜も見に行けなかったし、沼ちゃんや木綿ちゃんもバイトに来ないからつまんなかったんです。小西君がアマビエを捕まえてくれたら久々に気分が晴れますよ」

「いや、もし見つけたとしても闇雲に捕まえる気はないのだけど」

僕は苦笑しながら彼女に言う。

妙に人が少なく感じられる下北沢駅に着くと、小西さんは改札を出たあたりで待ち構えていた。

「ウッチーさんに祥さんも来てくれたのですね。とりあえず動画を撮影したと思われる駅の前まで行ってみましょうよ」

小西さんは嬉しそうに僕たちに告げる。

「問題の駅は何処だったの」

祥さんが尋ねると、小西さんは得意げな表情で答えた。

「井の頭公園駅だったんです。駅の出口と公園のゲートが隣接していて、公園の中は鬱蒼と木々が茂っているのでなかなかいい雰囲気ですよ」

「それでは駅まで行ってみようか。撮影現場に行ったからと言ってアマビエに会えるとは思えないけどね」

僕は小西さんに告げると吉祥寺方面に向かう列車に乗るべくホームに向かった。

井の頭公園駅は終点の吉祥寺駅の一つ手前にあり、寝過ごして気が付いたらその駅にいたというのもうなずけるが、そもそも井の頭線では寝込んでしまうほどの乗車時間ではないとも思える。

下北沢駅を出て、僕たちが雑談をしていると程なく井の頭公園駅への到着を告げるアナウンスが流れた。

僕はアマビエの伝承について話し込んでいる小西さんと祥さんを促して電車を降りようとして、自分たちの対面側のシートに異形の者がいるのに気が付いた。

シートから垂れ下がる銀色の大きな足が目に入り、その両側に二本の赤く細い足がゆらゆらと揺れている。

のっぺりした銀色の顔から嘴のように口吻が伸びているが、その口吻は硬い表皮が蛇腹のようにつながり、自在に伸縮できる代物のようだ。

そして、両目には瞼がなく真円形の目がこちらを見据えており、頭頂部から背中にかけて真紅の髪のようなものに覆われている。

僕に続いて席を立った祥さんもその者に気づき、驚いた表情のままで硬直していた。

異形の者は電車の座席からゆらりと浮き上がると、丸く大きな目でこちらを見たままふわりと近寄ってきた。

「いやああああ」

祥さんが叫び声をあげ、車両に内にいた数人の乗客が何事かと僕たちを振り返った時、僕は自分たちに迫りつつあった異形の者が忽然と消えたことに気が付いた。

「びっくりしたな、祥さんどうしたのですか。電車に乗っていきなり叫び声をあげるから心臓が止まるかと思いましたよ」

小西さんの言葉を聞いて、僕は慌てて周囲を見回した。

電車は下北沢駅のホームに止まっており、今まさにドアが閉じたところだった。

祥さんは周囲の状況を見ながら涙目になって首を振る。

「違う、私は井の頭公園駅に着いたところで半魚人みたいなのが近づいてきたから悲鳴を上げたのに」

「はあ?何言っているんですか。今電車に乗ったばかりでしょう」

小西さんは先ほどまで祥さんと話していた記憶はない様子で怪訝な表情を浮かべている。

「ちがう、私とアマビエの伝承の話をしたのを覚えていないの?」

普段は落ち着いている祥さんが、パニックに陥ったように小西君を問い詰めるのを見て、僕は慌てて口をはさんだ。

「僕も見たよ。確かに半魚人的な風貌でふわふわと揺れながら僕たちに接近してきたのを憶えている。それにそいつを見たのは井の頭公園駅に到着した時だった」

「二人とも何を言っているのですか。今、下北沢駅を発車したばかりではないですか」

今度は小西さんが訳が分からないという様子で僕たちに尋ねるが、祥さんは小西さんに取り合わずに僕に尋ねた。

「ウッチーさんも井の頭公園駅に到着してからあれを見たのですね」

僕はゆっくりとうなずくしかなかった。

小西さんに状況を理解してもらうために、僕と祥さんは自分たちが見たことをひとしきり説明し、小西さんは首を振りながらつぶやいた。

「それじゃあ、僕たちは一度井の頭公園駅まで到着していたけれど、赤い髪の半魚人に遭遇して時間を遡行して下北沢駅を発車する場面まで送り戻されたというのですね」

小西さんは、僕たちのとりとめのない説明を頭の中で整理してどうにか僕たちが伝えようとしたシナリオにたどり着いたようだ。

「そうなんだ」

僕は、それ以上説明することが出来ず、言葉少なく肯定するだけだったが、小西さんは状況を理解した様子だった。

やがて井の頭公園駅への到着を知らせるアナウンスが流れると小西さんが言った。

「井の頭公園駅に付きましたけど、そんなものは見えていませんよね」

小西さんが不安そうな表情でつぶやくが、確かに今回は赤い髪の半魚人は見えていない。

「とりあえず電車を降りよう」

僕は二人を促して開いたドアから井の頭公園駅に降り立ち祥さんと小西さんもそれに続いく。

ホームに降りた僕が改札口を探して周囲を見回していると、小西さんが先に立って僕を手招きした。

「こっちの出入り口が問題の場所です。それにしても、僕たちを時間を遡行して元に戻すなんて神様みたいな存在なのでしょうか?」

「いや、即断はできないよ。僕と祥さんだけが同じ幻覚を共有していたとすればそちらの方が現実的な解釈だと思う」

僕は、考えを整理しようとして様々な可能性を考えてもっともありそうな結論を披露した。

「いやだな、ウッチーさんと同じ幻覚を共有するなんてまるで私たちが仲良しみたいじゃないですか」

祥さんが混ぜ返したので、小西さんの表情も緩んだ。

小西さんが案内した改札口とその周辺の情景には見覚えがあり、そこが先日見えた動画に登場した改札口だと見て取れた。

小西さんが先頭に立って、自動改札を抜けようとしたときに、不意に祥さんが大きな声で叫んだ。

「ウッチーさんあそこを見て」

祥さんが指さした先には、異形の姿があったのだ。

ただしそれは僕と祥さんが電車の中で見かけた赤い髪を持つ半魚人を思わす姿ではなく、緑色の髪を持ち、鳥のような嘴を持った顔、つまり先日のQチューブの投稿動画で見たのと同じ「アマビエ」の姿だった。

既に自動改札を抜けていた小西さんは、僕たちより少し遅れて「アマビエ」の姿に気づくとはじかれたように走り出し、僕と祥さんもそれに続いた。

しかし、改札口は道路から少し奥まった場所にあったため、アマビエは僕たちの視野から隠れてしまい、僕たちが駅前の道路に出ると、道路はかなり先まで見通せる状態なのにも関わらずアマビエの姿は消えていた。

「おかしいな。僕たちが道路に出るまでに視界から消えるほど遠くに行けるとは思えないのに」

小西さんがつぶやくのを聞いて、僕は道路の片側を覆う暗く静まった公園の森を見た。

「公園に逃げ込んだのかな」

「いえ、この公園は5月のゴールデンウイーク明けまでは閉鎖されているはずです」

小西さんの説明を裏づけるように、公園の出入り口には閉鎖を伝える文書が張り付けてあり、出入り口はパイロンでふさがれている。

僕たちは、公園の森の黒々としたシルエットを見ながら無言でたたずんでいた。

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