第316話 新たな都市伝説
「え?僕を雇ってくれないのですか」
面談に来た僕の所属する大学の新一年生の小西弘之さんは、アルバイトの雇用は中止したと僕が説明すると、がっかりした表情を浮かべた。
彼は高校を卒業したばかりのフレッシュな雰囲気だが、物おじしないで受け答えする様子が好印象だ。
「ごめんね。君には何の落ち度もないのだけれど、都内がこんな状況なのでお客さんが激減して休業を考えているくらいなんだ。新型コロナウイルス感染症の問題が収まって通常営業できるようになったら是非お願いするよ」
僕は連絡を怠っていた責任上、彼に説明する義務があった。
「そうですか。お客さんが減ってしまったのでアルバイトを雇わなくても手が足りるということなのですね。僕は大学の入学式がゴールデンウイーク明けに延期されたので、それまでやることがなくて困っていて、ここのアルバイトを紹介してくれた沼さんからアルバイトに来たら賄のご飯も出ると聞いて楽しみにしていたけど残念だな」
小西さんは諦めたような表情を浮かべて、不採用を前提に僕と雑談する雰囲気に変わった。
「せっかく来てくれたのに申し訳ないね」
僕はダメ押しのつもりでもう一度小西さんに謝ったが、彼は思いのほか食い下がった。
「もしよかったら、アルバイト料なしでいいから皿洗いとかに使ってもらえませんか。僕としては賄でご飯食べさせてもらえたら十分です。まだ入学式も済んでいなくて、知り合いもいないから下宿に閉じこもりきりで退屈ですし、外に出かけたくても東京で時間をつぶそうとすると、お金が必要だからどこにも行けないのです」
僕は小西さんが気の毒になってきた。
本来ならば、四月の上旬に入学式や学部のオリエンテーションがあり、講義に出席したり新しい友人が出来たりとキャンパスライフを楽しんでいる時期なのだが、今年度の新入生は新型肺炎の蔓延のため、4月中は事実上何もできずに待機させられているのだ。
「えーと出身は鳥取県だったよね」
「違いますよ、東京の人はよく間違えるけど僕は島根県の出身です」
僕は、履歴書を適当に見ていたことが露見して恥ずかしくなったが、同時に自分が大学に入学した頃に親友の雅俊と出会い、彼の出身の鳥取県と島根県を取り違えた事を思い出して懐かしくなった。
その時、先ほどから僕の横で話を聞いていた山葉さんが僕の耳元で囁いた。
「彼が短時間のパートで良いのなら来てもらおう。通常業務に戻ったときの人手の確保も考えておきたい」
僕も同じようなことを考えていたので、即座にうなずくと彼女に答えた。
「いいと思いますよ。オーナーから彼に伝えてくださいよ」
山葉さんは私が言うのかというように僕を見返したが、気を取り直して小西さんに言った。
「さっきの皿洗いの件だが、働いてもらって無給という訳にはいかないので、時給1020円で12時から13時までの1時間食器の洗浄業務をしてもらうことは出来ませんか。その後賄のご飯も食べてもらえますよ」
「それじゃあ雇ってもらえるんですか」
小西さんが表情を明るくしたが、僕はむしろ彼に気の毒な気がした。
「わざわざ通勤してもらったうえで最低時給程度の一時間分しか出せないのは気の毒なのだけどそれでもいいかな」
僕が問いかけると、彼は人懐こい笑顔を浮かべる。
「いいですよ。ぜひお願いします。これでお昼ご飯カップ麺生活から脱出できますよ」
山葉さんは僕の顔を見て笑顔を浮かべるが、同時に僕に何か訴える雰囲気だ。
僕は莉咲にミルクを上げる時間が来ていることに気がついて椅子から腰を浮かせて言った。
「それでは、この後は僕が店の中を案内しますから、オーナーはここまででいいですよ」
山葉さんは、ほっとした表情を浮かべると小西さんにこれからもよろしくと言って、2階の居住スペースに引き上げていった。
「プライベートなことをお聞きして申し訳ないのですが、オーナーと内村さんはご夫婦なのですよね」
小西さんは沼さんからカフェ青葉の情報を聞いているらしく、さりげなく質問する。
「そうだよ。最近子供が生まれたばかりで彼女は育児休業中なんだ」
「わあ、僕のためにわざわざ来てくれたんですね。なんだか申し訳ないな」
他愛のない話をしながら、僕は厨房にいた田島シェフを手招きして小西さんを紹介することにした。
「田島シェフ、お昼時にパートに来てもらうことになった小西さんです」
田島シェフは、嬉しそうな表情を浮かべる。
「よかった。内村さんは別にして従業員で男性は僕だけだったので小西さんが来てくれたらうれしいですよ」
祥さんとアルバイトの沼さんや木綿さんは好感度高い系の女性たちだが個性も強い。
物静かな田島シェフは同性の小西さんを歓迎している様子だ。
僕は、店のバックヤードにある厨房と従業員用の更衣室などを案内した。
「小西さんは、当面接客はしないけど、食器洗浄機がある部分がカウンター内のオープンキッチンスペースになるので、黒ズボンと白シャツにカフェエプロンスタイルで仕事をしてもらいます。シャツとエプロンはこちらで用意するけれど、ズボンはサイズの問題があるので、最初は自前で対応してください。」
「わかりました。黒系だったらデザインは問わないのですね」
小西さんが問い返したので僕は無言でうなずいた。
そして、僕は説明しながら小西さんを誘導してバックヤードから店舗部分のフロアに移動する。
小西さんを祥さんに紹介しようと思って店内を見回すと、お客さんは二人しかおらず、祥さんはカウンターの横で手持無沙汰な雰囲気でたたずんでいた。
僕は小西さんを連れていき、祥さんに紹介することにした。
「祥さん、アルバイトに来てくれることになった小西さんです」
「結局来てもらうことにしたのですか」
祥さんは意外そうに僕に聞く。
小西さんが来る前に、僕は細川さんに接客に従事してもらうと感染リスクが高いからお店の手伝いを止めるように勧告し、細川さんが僕たちの意思を組んでしばらく店に来ないことになったこともあり、祥さんは小西さんのアルバイトを断るものだと思っていたようだ。
「彼のたっての希望もあって、お昼時に一時間だけ来てもらうことになったよ。祥さんが直接指示することが多くなると思うから、よろしくお願いします」
祥さんは、嬉しそうな表情を浮かべて小西さんに挨拶する。
「スタッフの祥です。小西さんとは同学年に当たるからよろしくね」
「よろしくお願いします。いろいろと教えてください」
小西さんは、世慣れた雰囲気の祥さんに気おされている様子だがきちんと答えた。
僕は小西さんにカウンター内で食器を洗浄する際の注意事項を教え、祥さんもフロア担当として業務の連携を伝えたので、小西さんに対する業務のオリエンテーションは一通り終わった。
事務手続きとしては、雇用契約書を交わしたり、源泉徴収事務のために彼のマイナンバーを聞いたりといろいろあるのだが、小西さん自身に役所で取ってこなければならない書類もあるため、次回勤務に来る際に少し早めに来てもらって手続きをすることにした。
僕は差し当たっての用事が終わったので、小西さんがこの後予定が無いことを確認すると、カウンターで何か飲み物を飲んでもらうことにした。
「事務的なことは次に来てもらった時に済ますことにして、帰る前に何か好きな飲み物を飲んで帰ってよ」
「え?いいんですか」
小西さんはカウンターに置いてあるメニューをめくり、しばらく迷った後でカフェラテを注文した。
僕はラテマシーンを操作してカフェラテをを作りながら、彼に尋ねた。
「この店のことで何か聞きたいことはないかな」
祥さんもお客さんの動向に気を配りながらもカウンターの脇に立ち聞き耳を立てている。
「そうですね。沼さんに聞いたのですが。このお店のスタッフは山葉さんをはじめとして霊視能力等を持つ人が多いと聞いているのですが、本当ですか」
僕は今でも霊視能力など持ちたいと思わないが、それを持っていることは事実なので彼に告げた。
「山葉さんと僕それに祥さんと沼さんが霊感の持ち主だよ」
「へえ、すごいですね。実は高校時代の友人が変なものを見たといって、SNSの画像をシェアしてきたのです。本物なのか確かめていただけませんか」
小西さんはスマホの画面に動画を表示して僕に見せようとし、祥さんは興味深そうにのぞき込む。
僕は心霊系の画像は苦手なので引き気味に小西さんに聞いた。
「何の画像なの?」
「電車に乗っていて妖怪みたいなものに遭遇したという動画なのです。SNSで拡散されているみたいですよ」
最近では人の集まりは、趣味が合う人のクラスター的な集団になりがちだ。
妖怪等を好む人が集まったグループで怪しい画像が拡散されていくと、それは新たな都市伝説を作ってしまう可能性をはらんでいる。
僕は、小西さんがスマホに表示している動画をおそるおそる覗き込んだ。
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